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彼はーーーーー夫は、下を向いたまま片足をブラブラとさせている。
まるで拗ねた子供のように。
「お前だって今更なんだよ。ここには何度も来てるってのにさぁ。」
「この前、孫たちの顔見てたら思い出したのよ。ちょうどあの子たちと同じくらいの年頃のことだったなって。それにいきなりじゃないのよ。私、長年ずっと気になってたんですけど?」
「これまで黙ってたんならそのまま墓まで持ってけっての。ああ、もうバカバカしい。こちとらいきなり昔話されて恥ずかしいったらありゃしない。はぁ。」
年の割には残っている白い髪に手をやり、夫はため息をついた。
どれだけ見た目が老いても、彼の中身は変わらない。口が悪く、感情を隠さずあけすけで、学生がそのまま大きくなったようで。
「ふふん。認知症のトレーニングになったでしょ。でもまぁ、これでスッキリしたわぁ。やっぱそうよねぇ。嘘だった、と。」
「キッカケなんて些細なことだろうよ。結果的には続いたんだから。」
そう言った夫の顔には共に過ごした50年を感じさせる皺が刻まれている。
その通りだな、と思った。
悪口を言い合いながらも、衝突しながらも、口を利かない時もあり、なんだかんだで元に戻って。互いに支え合い苦楽を乗り越え、子を成し、孫にも恵まれて、長い時を歩んだ。
始まりが嘘だったことに何の不満があろうか。そんな人生だってある。
長年の棘が抜けて晴れやかな気分で桜の木を見上げた。
花は散ったが枯れてはいない。来年にはまた綺麗な花を咲かせるだろう。
思い出のあの日のように。
それ以上の言葉もなく、夫は再び桜並木へと歩き出した。
気が向けばたまに来る二人の散歩道へ。
「そういえば言い忘れてたけどさ。」
チラリと私の方に顔を向けた。
「何よ。」
「俺、別に忘れてたわけじゃねぇぞ。今日はぴったり50年目だよな。」
私は思わず「えっ」と声を漏らした。
なんとなく50年目とは思ってたが今日がその日とは。
「はん。その顔、カレンダー見てなかったな。じゃあ今日が何の日かも知らねぇまま聞いてきたわけか。もうボケちまったか?そうゆうとこだぞお前。」
まだボケてないと心で言い訳しながらも、今日の日付を意識してなかったことは確かだった。真意を確かめることだけで頭がいっぱいで。この場所に来ることばかり考えてて。
脳を必死に動かして今日という日の意味を探る。
あの日の、50年目、今日、エイプリルフール。
であれば彼の思い出話は。
「嘘っていうのが、ウソ・・・?」
私の声が聞こえたのか、聞こえてないのか。
彼はどこか恥ずかしそうに背中を丸めて、足早に先を歩いていった。
(了)
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