プロローグ

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プロローグ

 どこを見ているのか、わかりにくい人だなって、思った。  そばにいても、抱かれていても  あなたは ずっと 遠くて。  彼と初めて会ったのは、東京に来て初めての仕事だった。  高校三年の頃から地元でモデルの仕事を始めて、卒業後に雑誌『mii(ミイ)』の専属モデルのオーディションに合格して上京した。  でも専属だからと言っても余裕で一人暮らしなんてことは難しくて、アルバイトも決めて生活をはじめたばかりだった。  撮影スタジオまで遅れないように迷わないように、スマホのナビ機能を使いながらなんとかたどり着き、そして撮影はわからないことだらけで手間取り、終わったのは予定の時間をかなり過ぎてしまっていた。  撮影の後、私服のTシャツとジーンズに着替えてから、スタッフさんが集まっている場所に顔を出した。  そこはスタジオの隅で、さっきまで私たちモデルが立っていたカメラの前と比べると少し暗い。  照明のコードやたくさんの機材が無造作に置かれていて、引っかからないように気をつけて動かないといけないように思えた。 「お疲れ様でした。今日はありがとうございました」  新しく所属することになった事務所の社長から、撮影前後の挨拶はきちんとするようにと言われている。  だけど、撮影中の自分の立ち振る舞いの悪さに少し後ろめたさを感じて、少し声が震えてしまう。 「あ、お疲れ様でしたー。日向さん、今日が初めてなんだよね?」  『mii』の編集担当の水野さんという女性が笑顔で答えてくれた。 「はい、地元では少し経験はありますが、全国誌と思うと緊張してしまって……時間かかってしまって申し訳ないです」  今日の撮影は新人モデルの紹介ページ用のもので、私を含めて三人のモデルが交代したり一緒になったりしながらだったけど、表情が固いと注意されるのは私だけだった。  わかっていたこととはいえ、自分の力不足にがっかりしてしまう。 「初めてなら仕方ないわよ。これからよろしくね」  その言葉に少しホッとした。 「ありがとうございます。頑張ります」  と、お辞儀をして出ようとしたときに、水野さんが言葉を続けた。 「ねえねえ、これからみんなで食事に行こうかって言ってたんだけど、日向さんもどう? 今後の撮影も同じメンバーになることも多いし、親睦会的な感じで。これから何か用事ある?」 「え、いえ、特には。撮影終わったら一度事務所に顔を出すようにとは言われているんですが……」 「電話してみたら?」 「そうですね、そうしてみます」  これは、たぶん、チャンスだ。  そのくらい私にもわかる。  小さなチャンスを逃さないようにしないと、この世界では生きていけないと、事務所の社長から毎日のように言われている。  一度スタジオを出て、通路の隅で携帯電話を取り出した。 『はい、ステラエージェンシー佐々木です』  呼び出し音ひとつめで応答する女性の声。  社長はいつも電話に出るのが早くて、毎回少し驚く。 「あ、お疲れ様です、日向です」 『あら、なっちゃん! お疲れ様、どうだった?』 「えっと、ちょっと、緊張しちゃいました」 『まあそりゃそうよ。一緒に行けたら良かったんだけど、悪かったわね』  今日は事務所の先輩が大きな仕事の契約があるとのことで、初仕事だったのに一人で行くことになってしまっていた。 「ううん、大丈夫です。で、事務所行こうと思ったんですけど」 『道に迷った?』 「あっ、そうじゃなくて、スタッフの皆さんから食事に誘われまして。親睦会的なって言われたんですけど」 『あら、じゃあ良かったんじゃない?』 「そう、なんですかね」 『ダメな子とは親しくなろうとは思わないでしょ』 「そう……ですかね?」  正直、あまり自信がないけど。 『いってらっしゃい。明日はバイト?』 「あ、はい」 『じゃあその後に事務所来てくれる? 専属と言っても他のおモデルの仕事しなくていいって訳ではないし、なっちゃんはこれからもっと良くなれると思ってるから』 「あ、ありがとうございます」 『スタッフさんたちにもしっかりアピールしてらっしゃい』 「はい、頑張ります」  そう言って通話を切って、またスタッフの控え室に向かった。 「あの、水野さん」 「あ、日向さん、どう?」 「行っていいって言われました。ご一緒させてください」 「良かった! ちょっと今お店決めてるから、もう少し待っててくれる? モデルさんは和音ちゃんも一緒に行くって」 「あ、はい。わかりました。待ってます」  そのとき、ふと水野さんの肩越しにあの人の姿が目に入った。  今日の写真を撮ってくれた、上田さんというカメラマンの人だ。  パソコンの画面を見ながら、スタッフの人と何か話をしている。  一般的な社会人男性としては長めの髪を無造作に後頭部でまとめて、撮影の時には緊張していて気が付かなかったけど背が高くてきれいな顔立ちをしている。  服装もシンプルなシャツとデニムだけど、シルバーのリングとか時計がさりげなくおしゃれっぽい。  おしゃれな雰囲気なのは上田さんだけじゃなくて、ここにいる大人の人全員に当てはまることだった。  東京の人はモデルのような職業じゃなくてもすごくかっこいいしかわいいし、おしゃれな人が多いな、と思う。
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