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「オオカミが来たぞー!!!」
喉が枯れるほど叫んでも、麓の村は静まり返っている。
なんで?なんでみんな、出てこない?
響き渡るのは、羊たちの断末魔の鳴き声。赤いエフェクトを纏った、鋭い鉤爪。
ギロリと、ギラつく瞳が、僕を捉えた。
動けない。助けて。助けて。もう、嘘なんてつかないから…!
***
ザアアア……
細かい雨が、絶え間なく降っている。ここはどこだろう。
僕は、オオカミに喰われて、死んだんじゃないのか?
「羊太、おっはよ!」
ようたぁ?誰だよ。振り向くと、見慣れない服を来た男子がいた。
「お前、誰だよ?てかここ、どこ?」
そう返すと、きょとんとされた。一瞬の沈黙。
「あ、記憶喪失⁉︎まじー?」
軽っ!てか記憶喪失じゃねーし…
僕は羊飼いの子供。暇すぎて、オオカミが来たなんて嘘をつき続けていたら、本当に来たときに助けてもらえなかったバカな子供。
いくらでも思い出せるさ…なんてセンチメンタルな気分は、次の瞬間吹っ飛んだ。
「あ、そーだ、俺、実はな、六人彼女いるんだぜ」
はああ⁉︎六人⁉︎僕とそう年も変わらないように見えるのに⁉︎
「ん?モテる秘訣、教えてやろーか?」
そんな場合じゃない…そう頭の端ではわかっているのに、反射的に頷いていた。
***
大牙(たいが)と名乗ったその男子に連れて行かれたのはデカくて白い建物。教会にしてはボロい。
「ここは?」
「小学校。ここはな、かわいー女の子がいっぱいいる楽園なんだ!」
へえ…女の子が。修道院だろうか…?
「なーにがかわいい女の子よ。鼻の下伸ばしちゃってバカみたい」
不意に、後ろから声がした。長い、さらさらの髪。見慣れない衣服はよく似合って、勝気そうな瞳がまた…
…なるほど。小学校、恐るべしだ。
キンコンカンコーン…
この、どこでなっているかわからない鐘の音が、授業終わりの合図らしい。
隣で伸びをする女の子をチラ見…おっと、バッチリ目が合ってしまった。
む、とかわいらしく唇を尖らせたその子は、何か思いついたようににやりと笑った。
「そーいえば、宇佐見さんが羊太くんのこと好きって言ってたよ」
えええ⁉︎宇佐見さんって、どの子⁉︎
「あっははは、笑いすぎでしょ。嘘だよ、嘘」
そう言いながら、彼女も大爆笑。でも僕はもう、笑えない。嘘。思わず顔を顰める。
お前、そのうち死ぬぞ?
***
だけどそれは、始まりに過ぎなかった。
「次の授業は外でやるらしいぞ…なーんてな、ウソウソ」
「アイドルの〇〇が結婚したって知ってる?ごめんごめん、嘘だってば」
「大牙に彼女六人?ないない!一人もいねーだろ」
まじか⁉︎嘘、ウソうそ嘘……
どーなってるんだ、この世界は⁉︎
「羊太くん、あっちで先生が……」
懲りもせず、話しかけてきた誰かを、ぼくはキッと睨みつける。
「どーせまた嘘なんだろ⁉︎やめろよ、嘘なんか」
そう言い捨てて、少し後悔した。真っ直ぐに、清らかな瞳がこちらを見ていた。さらりと長い髪が揺れている。
この子は違うのかもしれない。嘘なんか言っていないのかもしれない。でも、止まらなかった。
「嘘なんかつくとなあ、どんどん信用されなくなるんだぞ。気がついたら周りに誰もいなくなって、ホントの言葉も、伝わらなくなるんだぞ」
最初は、嘘の言葉ばかり言うから、僕は嘘つきなのだと言われた。
そのうち、嘘つきの僕が言うから、その言葉は嘘だと言われるようになって。
好きなもの、感動したこと、辛いこと。嘘つきの僕が口にすることで、それらは価値を失っていく。嘘は、嘘は……
「たしかに嘘は悪いこと、かもしれないけど」
穏やかな、優しい声だった。思わず、顔を上げる。
「でも、誰かを楽しませたり、笑わせたりするための嘘なら、私は好きだよ」
ほら、と促され、教室を見やる。変わらず交わされる嘘の応酬。
でも……笑い声が絶えない。やめてよ、なんて言葉こそ嘘なんだろうと、簡単にわかるほどに。楽しそう、だった。ふと、思い出す。初めて嘘をついた日のことを。
***
あの日、お父さんが死んだ日。みんな泣いていた。泣いて泣いて、くたくたに疲れていた。
それでもお母さんは、震える手で僕ら子供の夕ご飯を作ってくれた。
塩と砂糖を間違えたのか、何かを入れ忘れたのか。わからないけど、その料理は信じられないほどまずかった。
「…どうかしら?」
「……………おいしい」
ほっとしたように、泣きそうな顔で、お母さんは確かに笑った。
***
そうだ。あの嘘は、ひとを笑わせた。
にっこりと、目の前の少女は微笑んだ。
「それに今日は、エイプリル・フールだから。嘘をついてもいい日だよ」
嘘をついてもいい日。嘘をついて、誰かを笑顔にする日。
「……いいね、それ」
でしょ、と、彼女は嬉しそうに笑う。
夕陽に反射して、彼女の名札がきらりと光る。
宇佐見ゆき子、そう書かれた名札が。
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