第7章 仮面王子と踊れない薬師

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第2話 シトリナイトの仮面をつけて 分厚い扉でさえ防げない、底抜けに明るい音が漏れ聞こえてきた。 舞踏会の会場だけではなく、救護室や控室を含めた周辺全体が統一の調度品に入れ替わっており、廊下の中央にはすべて赤い絨毯(じゅうたん)が広がっている。 そのやわらかい感触に慣れないまま歩いてきたわたしは、とある扉の前に立っていた。 「それでは、よろしくお願いします。メイシィ様」 「は、はい……」 わたしは片手を広げてひとこと呟く。 すると、顕現されたのは細い老木のような白い杖。 あらかじめ復習しておいた呪文を詠唱すること30秒、魔力で身体を包んでみる。 目の前の狸人(りひと)族の侍従がわたしに反応しなくなったことを確認して声をかけた。 『透明化魔法だよ、透明魔法』 ざっと3時間は前のこと、控室にわたしを呼び出したラジアン殿下はにっこりと笑った。 『招待状なしで入るには隠れないと。君、使える?』 王太子が自らこっそり潜入しろと言ってくるとは。 『使えますが……殿下の後ろにいらっしゃる魔術師様にお願いするのが確実かと……』 魔法は自身が持つ魔力を使って非自然現象を引き起こす手段だ。 ミリステア魔王国にも魔術師院があり、薬師よりもずっと多くの魔術師が日々新しい魔法の研究や魔道具の開発、戦闘や治療の技術を磨いている。 この技術はわたしたち薬師も大いに活用させてもらっていて、滅菌空間の展開や音声遮断、薬草の撹拌(かくはん)や薬効抽出作業などなどなど挙げればキリがない。 そのため、薬師になるにはある程度の魔法の知識と実力が必要になる。 特に他種族の知識、経験、技術が必要なミリステアの薬師は、他国の薬師と差別化され『魔法薬師』と呼ばれるようになった。 『ふむ、君の透明化魔法は一度で何分もつ?』 『3時間が限界でございます』 『『えっ』』 『?』 『……うん、やっぱり自分でやってくれ!』 「終わりました」 「え?あ、はい。それでは扉を開きます。扉は全開にできませんので隙間からお入りください」 「はい、お願いいたします」 扉の音が喧騒に消されていく。 通れる隙間ができたのを見計らって、わたしは舞踏会の会場に入った。 会場は、豪華絢爛そのものだった。 白い床や壁、柱に金色の装飾がされていて、中央には巨大なシャンデリアが直視できないほど輝いている。 そのシャンデリアからはそれぞれの柱に向かって金と黒の布がゆったりと繋がれており、ミリステア魔王国とパスカ龍王国の国旗の色が交互に飾られていることに気がついた。 わたしが入ったのは会場の3階。劇場の個室のような場所だった。 指示された通り、ラジアン殿下とアーリア殿下の間に立ち、小声でおふたりに声をかけた。 未来の国王と王妃の間に入るわたし。恐れ多すぎる。脱兎のごとく逃げだしたい。 「よく来た、完璧だよ」 「ありがとうございます」 ラジアン殿下はわたしの方を向いた―――が、見えてないので初めからアーリア殿下に向かって話しかけている。 一方のアーリア殿下は扇で口元を隠し、ラジアン殿下に目線を送っていた。 見知らぬところに視線を預けるのは怪しいとのことで、あくまでおふたりが話しているよう見せかけているそうだ。 こういう公の場は誰が何を見てるかわからないかららしい。王族というのは何をするにもなかなか難儀だ。 「ここは会場が上から一望できる。どうだい?圧巻だろう」 「はい……かなりの人がいらっしゃいますし、みなさま楽しんでおられますね」 「右側の奥にいるのがフィクス王女だよ。人型は見たことがなかったね?」 「はい、そうです」 遠いのではっきりとは見えないが、真っ赤な髪をふたつにまとめ、緑色のドレスを纏った少女を見つけた。 リアム殿下と同じく目立つ色合いで、思ったより兄妹らしいそっくりなおふたりである。 「あ、国王陛下と王妃殿下のお召し物は……」 「ん?」 反対側にはミリステア魔王国の国王夫妻が座っていた。 次々にご挨拶を受けていらっしゃる様子で、笑顔が咲くおふたりの胸元には花が飾られている。 「『シトリナイト』ですね。クリード殿下、無事にお渡しできたのですね」 「……へえ、君知ってたんだ」 「はい、以前殿下に見せていただきました」 「ふーん」 シトリナイトは深い青色は陛下の瞳の色、黄色は王妃の髪色を意識してクリード殿下が育てた人口花だ。 おそらく貴重な時魔法を使ったのだろう。その命を絶っても変わらず両陛下に色どりを添えている。 ミリステアにおいて、お互いの色の装飾品で着飾るのは深い愛情を示している。 「じゃあさっそく本題だ。クリードはあそこだよ」 ラジアン殿下が指をさしたのは真下に近い地点だった。 顔を下へのぞかせれば、見慣れた金色が――――― 「……あれ?」 クリード殿下もラジアン殿下と同じ、白い服に金色の装飾が施された恰好をしていた。 片方の肩から濃い青色の布を垂らしており、光に反射して星のように輝いている。 どうやら髪型も片耳を見せるように上げてまとめているようだ。首筋が見えていつもより色気が増している。 とても美しい。まるで夜空に浮かぶ星々と月のようだ。 男性に言うべき言葉ではないのはわかるけれど、それ以外の表現が見つからない。 遠くて良かった。近づいたら目が潰されそう。直視できる自信がない。 殿下の周りは色とりどりの令嬢たちが取り囲んでいる。 上から見ると一凛の花のようで、ああ、わたしとは違う世界の方なんだなと自覚する。 ここ数年、毎日のように顔をあわせてきたクリード殿下。 透明にならないと顔も出せない白衣姿のわたし。 そうだ。これが本来の距離だ。 ――――なんだけど、おかしい。 「どうかしたかい~?」 「あの、クリード殿下はいつもパーティの際はあのような表情をされているのですか?」 「表情?そうだね、違和感はないよ。君には違うように見える?」 「ええ……」 「クリード殿下、今日もなんと素敵なお召し物なのでしょうか!」 「ありがとう。とても嬉しい」 「青色は陛下の瞳のお色ですね。とても仲がよろしいのですね」 「ええそうです。今日は陛下の色を、明日は母上の色をお借りしようかと」 「まあ!きっとお美しいのでしょうね!」 聞こえてくる会話は賛美と感謝の言葉ばかりだ。 女性たちはどの方も結婚適齢期に見える年齢ばかり、しかもかなり距離が近い。 よく目を凝らしてみると……ああやっぱり。 腕に抱き着いている方もいれば背中を触っている方もいる。 セクハラでは?わたしがやられたら速攻杖で殴って逃げる状況だ。 「なんだか、顔色が悪いです。表情が固くて『仮面』を被っているように見えます」 「……アーリア、君はどう思う?」 「わたくしにはいつものクリード殿下に見えますわ」 「ふむ」 ラジアン殿下は黙り込んでしまった。 わたしはどうしても気になってまじまじとクリード殿下を眺める。 殿下は初対面こそ体調を崩していたが、それからは顔色が悪いことなど一度もなかった。 ……もちろん、病んでいるときは例外として。 「メイシィ嬢、念のため言うけどあまり身をのり出さないようにね」 「た、大変失礼しました」 「そんなにクリードのことが気になるかい?」 「……はい、気になります!」 「おお、おお、おおお!それは何で!?」 「殿下、声量を落としてください。今お話ししているのはわたくしですわ」 「っと、そうだった」 それで?なぜ気になるのかな? こちらは見ないものの、アーリア妃殿下を見る目がキラキラと輝いている。 「わたしもひとりの魔法薬師ですから、めったに顔色を悪くしない殿下の様子は貴重です。お会いした時に少しでも気づくことができればすぐに周りへ知らせることができますし、健康に影響が出る前に治療できる可能性が高まります」 「そっちかぁ……」 そっちです。 ご期待通りの、嫉妬や羨望や自分もその場にいたかったとか、ではないです。 念のためラジアン殿下に伝えると、わかりやすく落胆された。 背後でアーリア殿下のため息が聞こえる。 とはいえ。クリード殿下の様子が気になる。 わたし以外の誰かと会話をしているとき、さわやかな笑顔を見せつつも四六時中気を張っている方だ。 特に大人数が揃うパーティの場では、妖精の暴走は王族の権威を傷つけるには十分すぎる。 人々の接触や過度な接触や賛美は、きっと殿下にとって耐えねばならない猛毒なのだろう。 王族の重責と妖精たちへの畏怖、まったく過酷な板挟みだ。 わたしのこころが勝手に痛む。 「……そろそろここにいるのも限界だな」 下にいる人々に気づかれ始めたらしい。 手を振りながらつぶやくラジアン殿下の言葉に察して、わたしは誰にも見えないまま一礼した。 「貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。それでは失礼いたします」 返事はない。身体を引けばその場にアーリア殿下が埋まった。 おふたりの偉大な背中にもういちど一礼し、わたしはそっとこの場を後にした。 「はあ」 魔法を解いて、わたしはため息をついた。 透明化魔法を展開していた疲労感よりも、目の裏に移る華やかで残酷な世界がわたしの頭の中を埋め尽くす。 苦手な世界だ。誰もが国のためという建前のもと、自分の利益だけでうごめく場所。 できることなら近づきたくないが、きっとこれからはそうはいかないのだろう。 ラジアン王太子はいじわるだ。 こうやってわたしの反応を楽しみながら、勝手にわたしの利用価値を計る。 でも根っこはとてもお優しいのだ。 あの方の傍にいることの意味をこうして早く(さと)してくださるのだから。 さて、どうしたものか。 わたしはこれからの未来を、ゆっくりと、確実に、選ばなくてはいけない。
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