第7章 仮面王子と踊れない薬師

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第4話 変わったのはきっと、 「出ておいで」 カチコチに固まったままカーテンに包まるわたしに、クリード殿下の無機質な声が響いた。 なぜだか怖い。 昨日のクリード殿下が仮面を被る姿を見ていたからだろうか。 別の世界の人間だと自覚してしまって気まずいのか。 彼氏がいるのに別の男性とお茶していたのを見られたみたいな罪悪感がある。 わたしと殿下、そんな関係ではないのだけれど? 「クレア、報告を」 「はい」 動かないわたしに痺れを切らしたのか、クリード殿下はそのままクレアに声をかけた。 他の魔力は感じない。騎士たちもリアム殿下と共に部屋をあとにしたらしい。 そうやって現実逃避している間に、クレアはわたしとリアム殿下の様子を恐ろしく正確に話し始めている。 なんだか会話を記録され、再現されているみたいだ。 ちょっと恥ずかしい。変な話はしていないけど居心地は悪い。 「……なるほど、ご苦労だった」 耳をふさぎたい気分で黙っていれば、いつのまにか報告がすべて終わったようだ。 クリード殿下のねぎらいの言葉もまた無機質だった。 「下がってくれ。入口で待機するように」 「お断りします」 「……だめかい?」 「だめです。陛下のご指示です」 「……うーん」 だめなんだ。ふたりきりを禁止されているとは知らなかった。 だから殿下とお会いするときはいつも周りに人がいたのか。 「メイシィ、そろそろ出てきてくれないかな?」 「……」 「メイシィ……」 どうしよう。出るタイミングがわからなくなってしまった。 クリード殿下の呼ぶ声がだんだんと低く、悲しい色になっていく。 わたしだって出ていきたいんだけど、どうしたらいいんだ。一歩が踏み出せない。 このままだとまたクリード殿下が病んでしまう! 「メイシィ、大丈夫、怒ってないよ」 「!」 ふいに、心に不思議な温かさを感じた。 「出ておいで、私も休憩の間に君に会いたかったんだけど、リアム王太子に先を越されてしまったんだ。 私が出遅れたのが悪い、怒ってないよ」 「……ほんとうですか?」 「ん"ん"っ」 カーテンの隙間からクリード殿下を覗くと、いつもの髪を下ろした姿がいた。 会場にいた時とは違い、外套を脱いでいる。 「クレア、この愛らしい生き物はなんだ?」 「ヒューマンです」 「私と同じだって?本当に?」 「本当です」 「……カーテンごと抱きしめたい」 「!」 「あっ引っ込んだ」 「殿下、今のは失言です」 「そうか……」 「少しお下がりください。そうすれば出てくるかと」 「そうか!」 「……殿下、一歩は下がったとは言えません。もっと下がってください」 「どのくらい?」 「20歩ほどです」 「遠すぎる!5歩だ!」 「だめです。それなら10歩です」 「……わかった」 クリード殿下が下がってから、ようやくわたしはカーテンから脱出することに成功した。 クレアが微笑んでやれやれと首を振る。 その向こうで、殿下が嬉しそうにこちらを眺めていた。 「申し訳ありません。クリード殿下」 「気にする必要はないよ、メイシィ」 「ありがとうございます……その、」 「うん?」 「クレアが言う通り、怪しいことはしてません!信じてくれますよね、クリード殿下?」 誤解は早く解くべきだ。 本人は気にしてない素振りだったけれど、やっぱり……と病み始めるのはよくあること。 しっかり伝えておかなければ! わたしとリアム殿下には何の関係もありません! 「ははっ、もちろん信じてるよ。ところでメイシィ、必死に否定する姿が可愛すぎる。やっぱり抱きしめてもいいかな?」 「ありがとうございます。……本当になんでもないですからね、温室でお会いすることが多かっただけですからね。あと嫌です」 「知っているよ。竜人族は小動物が好きだからね、ヒューマンでも兎人族の特徴を持つメイシィに友好的になるのもわかる。私はもちろんメイシィ個人に親しみを感じているよ。だから友好の証にハグでもどうだろう」 「そうだったんですか……知らなかったです。あと嫌です」 「そうか……」 少し離れたところから寂しい表情を見せてくるクリード殿下。 もし至近距離で見てしまったら意識してしまったかもしれない。 いつもなら気にしないのに、わたしは昨日から殿下の一挙一動に敏感になってしまっている。 「それより殿下、お部屋に戻らなくても良いのですか?」 「問題ないよ」 「それなら良いのですが、ここはリアム殿下のご休憩室では?」 「おそらくもう戻ってこないから気にしなくて良いよ」 「え?」 少し近づいてきた殿下はくすりと笑う。 クレアが小さく頷いたので間違いないみたい。 なぜだろうと考えていると、もう少し近づいてきた殿下が答えを教えてくれた。 「父上の用事は龍王宛の公的書状だ。次期龍王であるリアム王太子に内容の説明をするだろうし、その場にはラジアン兄上もいるだろう。 そのまま茶会が始まって舞踏会に戻ることになるだろうね」 「そうでしたか」 「今のパスカ龍王国はもっとも影響力のある強国だ。我が国ミリステア魔王国もそれなりの力はあるが、パスカとの友好関係は何としても重視したい。 はは、政治的な話はどうしても固くなるね」 そんな強国の王太子にのんびりとコーヒーを振舞われるわたし、そしていつか自国に来てくれと言われる一般階級魔法薬師のわたし。 ぶるりと震えた。 わたしに一国の責任を負わせないでほしい。 「クリード殿下、そろそろお召し物の準備をするお時間です」 わずかな沈黙の隙間をぬって、クレアは殿下に一礼した。 「もうそんな時間か。はあ、メイシィともうお別れか。はあ」 「わたしは救護室におりますので、いつでもいらしてください。あ、でも……」 クリード殿下は小首をかしげてわたしを見下ろしてきた。 髪の隙間から青色のイヤリングが覗き、昨日見た殿下の髪型を思い出す。 どうやらわたしはあの姿がとても格好よく見えたらしい。ここまで経っても目の裏から剥がれてくれないのだから認めるしかない。 「できればいらっしゃらないでくださいね。お元気のまま舞踏会を終えていただくのが一番ですから」 きっとまたあの仮面を携えて挑むことになるのだろう。 クリード殿下は身体が強いわけではない。お心が体調に影響を及ぼさないか少し心配だ。 殿下はいつの間に目の前に立ち、優しく微笑んでいる。 「ありがとう。君の言葉は私の妙薬だ」 「そう言っていただけると薬師として嬉しいです」 「舞踏会でも君が隣にいてくれたらな……ああ、そうだ」 何かを思いついたらしい。クレアが不思議そうな視線を寄こしている。 わたしもピンとこないまま眺めていると、殿下はわたしに顔を近づけてきた。 「2日目の夜の耳飾りは色を変えようと思うんだが、メイシィは何色がいいと思う?」 「色ですか?」 「ああ、今は青色なんだ」 クリード殿下は不意に顔の右側にある髪をかきあげてイヤリングを見せてきた。 わたしは脳裏に置いていた昨日の記憶が暴れだすのを感じる。 初めてみる殿下の耳、首筋から漏れ出す色気、そしてこちらをじっと見る美しい瞳……。 まるで、夜空に浮かぶ星々と、月。 美し、す、ぎ、る。 ダメ、だめだ、耐えられない! 「~~~~~!!」 わたしは声にならない叫び声をあげた。 やっぱり直視なんてできない!何なのこの人!本当に同じヒューマンなの!? 目が潰れちゃったように視界が真っ暗で、何も見えないし見たくない! 後ろからクレアの頭に自分の頭をぐりぐりして視界を覆っているだけなんだけど。 「め、メイシィ、ちょっと」 「メイシィ!?どうしたんだい!?」 「来ないでください殿下!」 「え!?」 クレアが頭をこちらに向けたことで、彼女の柔らかな垂れ耳が当たる。 それを持ち上げながらクリード殿下を恐る恐る見てみれば、髪はかき上げたままだった。 うっ胸が。 「ちょっとやめて」 クレアにばしっと手を叩かれた。兎人族は耳を触られるのが苦手である。 「緑でも素敵だと思います!」 「そうかな?……魔法で変えてみたんだけれど、どうだろう?」 「お似合いです!」 「……クレア、今メイシィは私を見ていたか?」 「見てないですね」 「赤はどうかな?できれば君と同じのが良い」 「お似合いです!」 「私を見てくれメイシィ……!」 クレアを挟んでやりとりすること数回。 結局わたしの色が良いと赤色になったようだった。ほぼ見ていないけれど。 やがて髪型を戻したのを確認してクレアの後ろから出てきたわたし。 クリード殿下はぷるぷる震えながら口を開く。 「もしかして、この髪型、気に入ってくれたかい?」 「!!」 ああ、もう!顔が赤いのが自分でわかる。 やめてよ本当に。わたしだってひとりの女性なんだ。特別な感情がなくたって見目麗しい人に照れたりドキドキしたりするに決まってる。 「はは……ははは!」 大口を開けて笑うクリード殿下。仮面など知らないような無垢の表情。 片手は服が皺だらけになりそうなほど自分の胸を掴んでいる。 その頬はわたしの瞳にそっくりだった。 そうして救護室に戻されたわたしは、これから本番だというのにげっそりと疲れ切っていた。 今頃、殿下はまたあの仮面で多くの人々とひとときを過ごしていらっしゃるのだろう。 耳に赤い光を揺らしながら。 2日目の舞踏会もまた、つつがなく終了しようとしている。 屋外の会場である庭園からは、今も賑やかな声が響いている。 わたしは窓の隙間から、切り取られた夜空を眺めている。 明日はいよいよ、最終日だ。
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