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猫がまた一匹逃げました
絶叫した私の気持ちはお分かりいただけると思います。
言葉遣いは……まあアレでしたが。
あまりにも大きな声を出したからでしょうか?
被っていた猫がまた一匹逃げましたわ。
これで残りはあと三匹です。
でも仕方がないと思われません?
この屋敷に来て以降、出した手紙は40通超です。
なのに初めていただいた返事がこれですよ?
これ以上ないほど簡潔に要点だけを書けるなんて……文官としては優秀なのでしょう。
文字数で17文字、句読点を入れても20字です。
10歩譲って、時候の挨拶は無くて良いでしょう。
100歩譲れば、名前さえも書いていただけないことも我慢できます。
もしかしたら私の名前をご存じないのかもしれませんし?
1000歩譲って誠意を探せば、全て任せるよと読み替えられます。
「お嬢様? 大丈夫ですか? お嬢様?」
どうも私は泣いていたようです。
会ったことも話したこともない婚約者のことを慕ってたわけではありませんが、女性にとって結婚式というものは特別なものなのです。
結婚する気も無かった私が言っても説得力皆無ですが、私にも少しは夢があったのです。
ここまで無残に踏みにじられると、いっそ清々しささえ覚えます。
「うん。心配かけてごめん……うんうん……私は大丈夫だから」
後ろでバキッと音がしました。
リリさんがあの太い箒の柄を腕力だけで折ったようです。
その横でガシャンという音が響きました。
マリーさんが花瓶を壁にぶつけていました。
ですが、誰も止めませんし咎めもしません。
ああ皆さん、怒ってくださっているのですね。
私の代わりに物に当たって下さっています。
お陰で私は何も壊すことなく、ちょっぴり溜飲を下げることができました。
「できれば義両親には内緒にしたいのだけれど」
私がそう言うと、怒りで震えていることを隠しもせずアレンさんが言いました。
「ご賢明な判断だと存じます。ルイス様のサイズは把握しておりますので、お嬢様のお好みで仕立てましょう。すぐにデザイナーを呼びます」
「あっ! ちょっと待ってください」
私はアレンさんを呼び止めました。
「ドレスは要りません。たぶん無駄になると思います。それより少しだけ豪華な、たとえば王宮の夜会でも着られそうなものをひとつだけ誂えましょう。何年先に着られるのかわかりませんからシンプルで落ち着いた色で」
「お嬢さま……」
「ルイス様のご衣裳も不要です。おそらく結婚式にも来られないでしょうから」
「「「「「そんな!」」」」」
「来ると思います?」
「「「「「・・・・・・」」」」」
「そうでしょう?」
「「「「「いや……さすがに来るでしょう?」」」」」
「賭けます?」
「「「「「乗りましょう」」」」」
私達の結婚式に新郎が来るか来ないかで賭けが始まりました。
賭けの対象は結婚式当日の豪華な夕食です。
ランディさんが凄い御馳走を作ると張り切っておられましたので、それが食べられないというのは相当なダメージですから。
結果、4:2で来ない方が多かったのです。
どんだけ信用が無いのでしょうね? ルイス様。
来ると賭けたのはアレンさんとランディさんでした。
アレンさんは立場上ルイス様の肩を持った感じですが、ランディさんは味見で全種食べるからどっちでも一緒ということでした。
好きです、そのリアリズム。
こんなことができるのも、お義母様が骨折したためにお二方とも結婚式に来られなくなったからですね。
もし来られるなら衣装を仕立てないわけにはいきませんからね。
もちろん私の実家からも誰も来ません。
父は理論的に無理ですが、弟と叔母にも来ないように言いましたから。
嫁ぎ先のご両親が欠席なのに、嫁側だけ来るのはおかしいでしょう?
着るかどうかも分からない夜会用のドレスと装飾類一式を揃え、残ったお金は全員で山分けしました。
リリさんとマリーさんは一年分のお給金より多いと、それはそれは喜んでくれました。
私も皆さんと同額のお小遣いをゲットしましたので、弟に正装を二揃い仕立てました。
もうすぐ卒業ですからね、卒業パーティーや夜会などで着ることも増えるはずですもの。
もちろんあの衝撃のお返事以降も何度かお手紙を差し上げました。
忘れていると賭けの公平感が損なわれますので、結婚式の場所と日時も知らせました。
『お忙しいのは重々承知しております。でも、せめてブーケだけでもご用意いただけないでしょうか。我儘を言って申し訳ございません。私達にとって一生に一度の結婚式でございますので、何卒よろしくお願い申し上げます』
もちろん返事はありませんでした。
まあわかってましたけどね。
ええ、分かっておりましたとも。
そして結婚式前日、無駄だと思いながらの準備は捗りません。
リリさんとマリーさんが頑張ってくれますが、彼女たちも来ない方に賭けていますからその動きの鈍いこと!
される側もする側もやる気の無さといったら……笑えます。
「お嬢さま、ブーケはどうされたのですか?」
「あら! 忘れていたわ。ノベックさんに頼んで庭の花を数本リボンで纏めましょうか」
「それでは投げられませんよ?」
「誰に投げるの?」
「申し訳ございません」
結婚式前夜のエステ作業を適当に切り上げた私は、とっととベッドに潜り込みました。
そして当日!
もう全員ドキドキです!
全員の放つ異常な空気に神父様は困っておられます。
私は開け放たれた教会のドアの前で、新郎の到着を待っているような待っていないような?
使用人の皆さんは一番前の席を陣取って、神父様に背を向けて入口を凝視しています。
コホンと小さく咳払いがしました。
開始時間が来たようです。
それでもあと30分は待つことになりました。
次のお式があるので、それが待てる限界だそうです。
オルガン奏者があくびをかみ殺し、合唱団の子供たちが座り込んでゲームを始めました。
申し訳無いので、後日にでもたっぷり寄付をしておきましょう。
「どうされますか?」
しびれを切らした神父様が、近くに立っていたアレンさんに聞きました。
「あ~始めちゃってください。お嬢さま〜負けを認めますぅ~。もう始めちゃいましょう、こっちに来てください。1人で来れますか?」
「は~い、すぐ行きま~す」
私は夜会用ドレスの裾を思い切り持ち上げて、小走りで神父様の前に行きました。
ブーケは出がけに庭先で見繕ったセントレアの花です。
薄い青色と濃い紺色のコントラストが可憐です。
紺色はルイス様の瞳の色だそうですが、私は遠目でしか見たことがないので瞳の色までは知りませんでした。
この花を選んだときに、庭師のノベックさんが言いました。
「お嬢様……セントレアを選ぶなんて。ルイス坊ちゃんの瞳の色だね。やっぱりお嬢様はルイス様のことを想ってくださっているんだね。お可哀想なお嬢様」
いやいやノベックさん。
ホント偶然ですから。
通りがかりで目についただけですから。
もちろんそんなことは思っても口には致しません。
時間が押している神父様も強い反対などなさらず、全行程を省略した本当に簡素な結婚式はものの数分で終了いたしました。
結婚申請書へのサインは私とアレンさんがおこないました。
アレンさん曰く、いつも代理で書いているからバレないそうです。
結婚式を終えた私たちはさっさと屋敷に戻り宴会の準備を始めました。
せっかく仕立てたドレスが無駄に汚れなくて助かりました。
どうせ来ないと分かっていたので、化粧もいい加減ですので落としやすくて楽でした。
慣れないコルセットも外し、暴飲暴食の準備は万端です!
「「「「「ご結婚おめでとうございます!」」」」」
賭けに負けたアレンさんの前にはお情けのシャンパンしかありません。
可哀そうなので、子牛のステーキを二切れ分けてあげました。
とても嬉しそうな顔をしたアレンさん……イケオジです。
皆さんもアレンさんの皿に、少しずつですがいろいろ載せてあげています。
もしかしたら、アレンさんの皿が一番豪華かもしれません。
この屋敷の方々は本当に良い人ばかりです。
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