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──平成6年4月1日──
拓斗は目覚めるとキッチンに向かった。休みの間いつも遅く起きていた。テーブルには静流が用意した朝食が並んでいる。すっかり冷めた食事だ。もう、静流は出掛けて誰もいない朝をのんびり過ごしていた。窓から庭を見ながら食パンを頬張った。チューリップの花が咲いている。風に揺られ気持ち良さそうだ。静流が水を撒いたようだ。周りが濡れている。陽に照らされキラキラと水滴が輝いている。朝の日課になっていた。
「父さんが言うから……拓斗もたまには水を上げなさいよ。父さんが大切にしてる庭だから帰って来て荒れてたらがっかりするでしょ?」
言われる度に軽く返事をしていた。
「ただいま」
清海が疲れた様子で帰ってきた。
「お帰り」
拓斗が食事を終えた頃だった。そのまま清海は洗濯機に向かい博之の着替えを洗濯機に放りこんだ。
「父さん、どうだった?」
放り込む手を止めてふと溜め息をつく清海。
「なんか良くないみたいなの……昨日は一日中痛みを堪えていたわ」
「えっ? 大丈夫なの?」
拓斗は目を丸くして慌てた。
「嘘よ……今日はエープリールフールよ。嘘を吐いてもいい日。相変わらず元気にしてる。元気過ぎていつも庭の心配をしてるわ」
振り返り清海は笑った。
──エープリルフールなんて気休めだわ──
嘘が許される日。心が解放されることを少しでも期待した。しかし晴れることはなかった。むしろ心に巻き付いた罪悪感という名の鎖は重くなり清海の心を締め付けた。
嘘と聞いて拓斗は強張った表情を緩ませた。
「そんな嘘はやめよろよ」
拓斗は少し不機嫌になった。
「そうね、不謹慎ね。ごめんね」
清海は反省したように拓斗に謝った。
「まったく嘘を吐くなら笑顔になるようなもんにしてくれよ。気が滅入るだろ」
拓斗はそう言った。
「ちょっと水でも撒いて来るよ。庭荒れさせて父さんがっかりさせたくないからな。言っとくけど、これ嘘じゃないからな」
清海は目を丸くし驚いた。
「拓斗がそんなことするなんて。今から雨が降るわ」
「降るわけないだろ? こんなに晴れてるのに」
「嘘よ……」
清海は笑った。
無視するように外に出ていく拓斗。外から水をまく音が聞こえてきた。清海は音を聞きながら目を伏せる。
──あぁ、いつも四月一日ならいいのに。気安めでもいい。本当は、もうだめなのよ。もしも毎日がエイプリールフールなら嘘をついても許されるのに。例え私が辛くても拓斗は笑顔で安心出来る。父さんは元気だよとずっと嘘を吐ければ──
清海はっとした。
──そうか、笑顔に出来る嘘にはならない。どう足掻いても最後は拓斗を傷つけてしまう──
清海は洗濯機に手を置き俯き肩を震わせた。
──まだ、拓斗は不安定な時だ。入試や卒業は終わったばかり、今から環境が変わる。人生の節目だ。だからこそ、だからこそなのだ。今一度強く決意しよう。悟られてはいけない。それが例え許されなくても悟られてはいけない──
清海は顔に指先をあて、広角を引き上げ笑顔を作った。
──私が拓斗の笑顔になる──
〈了〉
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