40人が本棚に入れています
本棚に追加
II
◆◆◆◆
杖を片手に紫檀色の夜会服を春風に靡かせ、ロレンツォは星明かりが照らす道を歩く。
ふと、旋律が耳朶を打ち、彼の意識を捕らえた――。
【青薔薇公の庭園】
一面に青い薔薇が咲き誇る巨大な夜の庭園は〝青薔薇公〟とも名高い故エンリコ・ロンバルディ公爵に敬意を表して作られた。
月光が照らす庭園の中心にグランドピアノがある。
それを演奏する女性は、あまりにも呆気なく、ロレンツォの全てを奪い去った――。
彼女が鍵盤を弾く度に艶やかな黒髪が空を踊り、それは月光の祝福を受けて瑠璃色のドレスへと着地する。
儚げな長い睫毛の下には、澄んだ紫水晶のような紫色の瞳が、月の光を喰らう悪魔のように輝く。
悪魔、いや、もっと高潔で犯し難い存在。
彼女の演奏は、ここに聴衆が居るのならば周囲全ての賛美を、羨望を、嫉妬を、劣情を呼び起こすほどに蠱惑的だった。
彼女はそれら全てを自分のものとし喰らう貪欲にして清廉な月の〝女王〟。
聴衆が抱く、感情は全て彼らが率先して彼女への供物として捧げる〝愛〟に他ならない。
その一瞬は永遠のように、永遠はこの一瞬のために、二人だけの夜会の幕は突如上がり、雲が月を隠すように静かに下りた。
「ブラボー！！ と言うところでしょうか」
ロレンツォの拍手に女性が、ゆっくりと振り返った。
儚げな瞳には僅かに驚きの色が浮かんでいるようにも見える。
ロレンツォは杖を一振りすると、一輪の青薔薇を出現させて彼女へと差し出した。
「ありがとう」
「いえいえ」
女性は花を笑顔で受け取ると立ち上がった。
「こんばんは、月夜の妖精。僕の名はロレンツォと申します」
「こんばんは、夢の世界の恋人。姓は？」
「あぁ、スミスです」
「ふふふ、貴方はどう見てもこの国の人に見えますが。いいわ、ロレンツォ・スミスさんね。私はアンジェリカ・ヴィヴァルディです」
女性は瑠璃色のドレスを摘んで綺麗なお辞儀をしてみせる。
「素敵な花を感謝します」
「貴方の演奏への対価としてはあまりにも、ささやかですが。それにしても、ルカトーニの音楽が似合う見事な月夜です。このような特別な夜は、二人の音楽好きが親交を深めるのに申し分ないと思いませんか？」
「ふふ、そうですね。私も、いくつか訪れたいと思っていたところがあるのですが、何分にもこの街にはまだ不慣れなもので。ご案内してくださる新しい友人が居るのならば心強いですわ」
最初のコメントを投稿しよう！