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「好きです」
僕らの関係はその嘘から始まった。
どんな子がタイプかと聞かれてなんとなく「法学部の中川さん」と答えると、目の前に本人がいた。
友達と歩いていた彼女は「え?」と困惑した声を出し、立ち止まった。
接点はない。
サークルの新歓で同じテーブルに居ただけで結局彼女は違うサークルに行ってしまったから、喋ったこともない。
「新歓来てたよね?」と僕の友達が言い出し、彼女の友達も「ほら、行きなよ」なんて煽って。
そういえば今日は四月一日だ。いざとなれば誤魔化しが効くと思って、軽い気持ちで嘘を吐いた。
*
プレゼントを買った。
「姉がいらないって言ってたから、あげる」
遊園地の前売り券を購入した。
「友達からもらった余り物だけど、一緒に行かない?」
一ヶ月記念日にちょっといいレストランを予約した。
「前から気になってて、僕が行きたかっただけだから」
深夜のバイト終わりに、お店の前で待ち伏せした。
「わ、びっくりした〜。今帰り? 家まで送るよ。いやほんと、たまたま、僕も友達と飲んでてたまたま、会えただけだよ」
もともと綺麗だとは思っていたので、嘘が本当になるまで時間はかからなかった。
でも何故か気恥ずかしくて、嘘ばかり吐いた。
最初は不安そうな顔をしていた彼女だが、時間が経つにつれ微笑むようになった。
「嘘が下手ね」と言って、僕の手を握ってくれた。
些細なことで喧嘩したのは一周年記念日を間近に控えた日のこと。キッカケも覚えてない程くだらない事が原因だったけど、最後に告げた言葉だけは覚えてる。
「ノリで告っただけだから。好きじゃないよ、最初から別に……好きじゃなかった」
驚いた彼女が言葉を失って、居た堪れなくなった僕は彼女の部屋を飛び出した。
最初の嘘は墓場まで持っていくつもりだった。
嘘だよと言いたい。
あれは嘘なんだ、全部嘘だよわかってるよね?
わかってくれるよね?
だけど、待てど暮らせど彼女から連絡はなくて、謝るタイミングを逃して言い訳もできなかった。
「エイプリルフールだったらよかったのに」
そんなことを呟いてみたけどよく考えたら、僕は嘘ばかり吐いていた。
彼女と過ごした日々は毎日が、エイプリルフールだった。
*
電話がかかってきたのは喧嘩の日から一週間後、一周年記念日の日だった。
「久しぶり」と言われて「うん」と返事をして。
今日が四月一日だと気がついて泣きそうになった。
『元気してた?』
「うん」
『もしかして寝てた?』
「うん」
『そっか、ごめんね電話して。迷惑だった?』
「うん」
『そっ……か』
小さくなる彼女の声。
嘘だよ、全部嘘でーす。エイプリルフールだよ今日、一年に一度、嘘をついていい日だからさ。
嘘だよ。
その一言が言えず沈黙が続きしばらくして、彼女が声を発した。
「ちゃんとしたほうがいいかと思って」
一方的に話をする彼女が言うには、
このままではよくない。
別れるならきちんと別れよう。
荷物を取りに来て欲しい。
好きじゃないなら「好きじゃない」って、はっきり言って。
そんな感じのことだった。
最後の方は言葉を詰まらせて、彼女が泣いているのが電話越しにでも伝わってきた。
『なんとか言ってよ。いつものように……嘘を吐いて』
静かな部屋で、聞こえてくるのは彼女の泣き声だけ。
そうだ、嘘をつけばいい。
いつものように、誤魔化すための嘘を。
だって今日はエイプリルフールじゃないか。嘘をついても許されるんだ。誰も怒らない、誰にも怒られない。
この場を乗り切る嘘を、彼女の涙を止めるための……
僕はなんで今まで、嘘をついていたんだっけ?
「……いやだ」
僕の言葉に、電話向こうの彼女が「え?」と声を上げた。
「いやだ、別れたくない。ごめん、酷いこと言ってごめん……ちゃんと話したい、やり直したい」
僕はなんで嘘をついていた?
嘘から始まった恋だから?
エイプリルフールでもないのに……
彼女が笑ってくれたから。
『好きです』
その言葉を聞いた彼女が笑った。
初めて嘘をついた日、告白したあの時。
知らない男に好意をもたれて不安そうな顔をした彼女が、ちょっとだけ、笑ったのだ。
プレゼントをあげた日、遠慮する彼女を安心させたくて嘘をついた。
遊園地のチケットを渡した時、彼女に申し訳ないと思って欲しくなくて嘘をついた。
記念日に高級レストランを予約したのは、彼女を連れて行ってあげたかったからだ。
夜道を一人で歩いて欲しくなくて心配で、バイト先まで駆けつけた。
嘘が必要だったのだ。
この一年間、僕らが仲良くなるために必要な言葉だった。
だから今、三百六十五日経って僕が言うべき言葉は、
「好きです」
やっと本音が言えた。
せっかくのエイプリルフールだというのに僕はその日、彼女に嘘がつけなかった。
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