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「いつからいたんだ?」 「今来たばかりだよ」 「……帰りなさい」 「どうして?」 「お家の人が心配する。またこうして会っていたら誰かに見つかるから、今日は帰ってくれ」「渡したいものがあるの」 「何?」 「これ……肉じゃが。お母さんと一緒に作ったの。先生に持っていっていきなさいって」 「……わかった、ありがとう。受け取るよ」 「じゃあ……帰ります。また来るから」 「今度は事前に連絡しなさい」 「はい」 彼女は寂しそうな背中をしながら家路へ帰っていった。本当は会いに来てくれたことがとても嬉しく自宅に上がらせたかったが、また冷静でいられない自分に変わってしまうと思い自制した。 部屋に入り台所へ夕飯の支度をして先程もらったタッパーに入った肉じゃがも温めて食卓に並べる。また冷え込んできているせいか独りきりの食事が()びしく感じる。 程よく煮込んであるジャガイモを箸で割り、口に含むとそのほぐれた触感の柔らかさに、実家の母親が作ってくれた味と似ていて旧懐に浸るような感じで、気が付くと左目から涙が一粒、ふた粒と流れていた。食事を済ませて風呂に入り浴室から出てベッドに倒れ込むようにうつ伏せになり、布団を握ってはそのまま抱きしめた。望月を先日の様に抱きたいという思いに駆られている。なぜかまた自然に涙が出てくる。 全ての責任を取るなどと堂々と言えたものだと不安な気持ちが体中を駆け巡る。とても遣る瀬ない。けれど新たに守るべきものができた慶びごとは素直に受け入れてもよいのだ。 今は独りでもいずれかは彼女と子どもと一緒に家族になれるんだと考えれば恐れるものもなくなるはずだと言い聞かせてやらなければならない。今日はとても疲れた。まだこれから闘いはある。私はいつの間にか睡魔に襲われて深い眠りについていった。 二週間後の金曜の夜に札幌へ行き妻の実家へ帰省した。リビングに行くとちょうど両親もいたので、望月との事を四人で話しをすることにした。妻から私の口元に残る傷の(あざ)を見て何があったのか問われたので、望月の馴れ初めを話し始め、彼女のお腹に子どもがいることを伝えると唖然として、両親も生徒に手を出してどういう気で関係を持ってしまったのかと嘆いていた。 これを境に妻とは別れを切り出したと伝えると妻は私との間に子どもができないことが悔しくてたまらないと言い、望月を連れてきて話し合いたいと話していたが、彼女の義父が外出を許可してくれないので不可能だと返答した。 妻は自分が福江に行って直接彼女に会わせてくれないかとせがんできたが、どちらにしても今は会えないと言うとすぐに納得できるものではないので考える時間をくれと言い出した。私はあらかじめ持参した離婚届を手渡しして翌日の朝に福江に戻ってきた。 部屋に上がると電話に留守電が入っていたのでボタンを押すと、望月からの伝言があり私の自宅に行きたいと告げていた。折り返し彼女の家に電話をすると、彼女の義父が出てきて母親とともに親戚の家に行っているので今は自宅にいないと返答してきた。私は義父と二人で話がしたいと伝えるとこれから家に来てもよいと言ってきたので、電話を終えた後すぐに着替えて急ぎ早に向かった。 到着すると義父が真っすぐな眼差しでこちらを見ながら部屋に上がれと言い、リビングのソファに腰を掛けて数分間の無言が続いた後、義父から私に向かって話をしてきた。 「紗奈をどうして一人の女性として受け入れようとしたのですか?」 「僕は、彼女の前向きさやひた向きに努力するところに共感しているところがあります。生徒たちからも慕われていていつも皆を引っ張っていこうとする姿勢もあり、誰よりも優しく思いやりのある子です。」 「それは私達親もわかっています」 「誰よりも強くいきたいという思いがあり、私も圧倒されてしまうくらい、(たくま)しい人だと感じています。その姿を見ている内に僕も一人の女性として惹かれていきました。一人の人間として……僕も彼女のように強くいたいと考えるようになりました」 「つまり、純粋に娘のことを好きになり男として手に入れたいと思ったんですか?」 「そういうことになります」 「あなたもその身なりでよく決意しましたよね。そちらも奥様がいらっしゃる身なのに……」 「望月さん」 「何ですか?」 「僕は彼女に対して不貞行為をしてしまったように思えるかもしれません。しかし、彼女は僕に対してあなたの様に温かい人と一緒になるのが目標としてあるとおっしゃっていました」 「あの子が?」 「はい。前の父親とも仲が良かったのに、ご両親独断の都合で離婚して離れ離れになってしまったことが今でも悔やんでいるとも話しています。ああいうふうにはなりたくない、私は私の道を築いていくんだと日頃から言っています」 「確かに、大人の都合で引き離されてしまったことに幼心も傷をつけてしまったとは思いますが……それはもう終わった事です。今私達があの子に対してどう向き合っていくかが大事なところ。それなのに、その間に先生が入ってきて今回の事に私達も非常事態にどう対応すればよいか、悩んでいるんですよ?」 「重々承知しています。けれど、お腹の子は二人きりだけでは育てるのは正直大変です。どうか、ご両親の賛同も兼ねて皆で子どもを育てていきませんか?そうすれば、望月も安心して育児に専念できると思います」 「それも大人の都合として育てることにもなりますが……まあ、紗奈の事を思うと孤独にさせるといつかどこかで落胆させてしまうしな……」 「僕は学校側に全てを話したら退職します」 「どこに行かれるんですか?」 「これから異動願も出します。希望としては函館にいる自分の両親の元に行こうと考えている最中です」 「そうなると私達からは離れてしまいますが、それで本当に家族を養っていく自信はありますか?」 「はい。死ぬ気でも守って貫いていこうと心しています」 「そこまで考えているのなら……とりあえず子どもは出産するまでの間、福江で皆で支え合っていきましょう。世間様もありますが、私もあなたの熱意を受け止めておこうと思います」 「ありがとうございます」 「仮のお話ですが、もしあなたが逃げるようなことをし出したら……天罰よりも恐ろしい仕打ちが待っていると覚悟してください」 私は彼に深く会釈をし家を出たあと数軒先の交差点に差し掛かったところで、望月と母親が笑顔で会話しながら歩いているのを見かけた。向こうも私に気づいて手を振り、私も微笑みながら手を振り返した。 「先生、お義父さんと話したの?」 「何か言ってましたか?」 「とりあえず、子どもの出産の事を見守ってくれるって言っていた」 「紗奈、良かったね」 「お母さん、これから先生の家に行ってもいい?」 「体は大丈夫?」 「うん。明るいうちに戻るから。お願い」 「いいわよ。二人とも気をつけてください」 望月は私の腕に掴んできていつもの眩い笑顔を取り戻してくれた。希望ある兆しがまだ見え隠れしているが、私はこの時、普段見ている福江の山間の景色が(きら)めいているように見えるのを三十年経った今でも忘れずに頭の片隅に映し出されるのだった。
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