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翌年一九九四年の三月の午前。 体育館に生徒が集まり終業式が行なわれた。その際に校長からの挨拶が終わると続けて司会を取る教員から、私に向かって登壇するように促し舞台に上がり全校生徒の前で当月末締めで退職することを伝えるとどよめきの声が鳴り響いた。一連の紗奈との関係を持ったことへの謝罪と始末として学校を去ることを述べ再び立ち位置に戻ると他の教員たちが生徒たちを静粛するように宥めていった。 式が終わり教室へ戻ると生徒たちは私の姿を見ては物悲しい表情を浮かべていた。 「このような事態になったのも全ては先生の責任です。皆んなは来月から二年生へと進んで、それぞれの将来へと向かっていきます。まだ色々悩むこともあるとは思いますが、どうか、悔いのないよう自分自身のために己を貫いて成長していってほしい。先生もしばらくは福江にいます。だから、職務が変わっても皆んなの事は忘れません。勿論この学校に在籍させていただけた恩も忘れません。泣くことよりも笑顔。皆んなの笑顔が僕の誇りです。短い間でしたがお世話になりました。ありがとうございます。……望月、君も簡単でいいから皆んなに挨拶をしてください」 「……色々迷惑をかけてごめんなさい。学校中の人たちに知れ渡って正直びっくりしたけど、私も先生と同じように悔いのない人生をこれから生きていこうと思います。まずは無事に子どもが産まれてくるように大事にします。学業の事はその後に考えていくつもりです。皆んな、私も福江にいる間、時間があったら会いに来てくれませんか?」 「もちろんだよ。うちに来てもいいしさ。ねえ、お腹が大きくなる前に皆んなでご飯とか食べに行かない?」 「いいなそれ。ここの近くにもファミレスとか焼肉屋もあるしさ、先生も一緒に来て祝賀会みたいなのやろうぜ」 一人の生徒が多数決で祝賀会の日程を決めるとそれに賛同した生徒たちも盛り上がってくれていた。いつしか気兼ねなく接している生徒たちの結束力を見ているとこちらとしてもこのクラスの担任として来て良かったのだと実感した。 放課後、紗奈は数名の生徒たちと下校をしていき、私も職員室でひと通りの荷物を整頓し自家用車に積んで学校を退勤した。 そして当月の末日に再び出勤をして全ての荷物をまとめたあと、教室へ行き机の周りを整理して教壇に立った。今日は生憎の小雨模様だったが、それはそれで風情として良いと感じ学び舎の匂いに刻まれた彼らの足音や響き渡る声を思い出していた。 私は座席に向かって深く礼をした。その後校長室へ行き校長に挨拶をして、再び職員室へ行き教頭をはじめ各教員たち挨拶をして名残惜しさのなか学校を出ると最後に正門の前に立ち一礼をしてから、車で家路に向かった。 一週間後の四月一日。生徒たちと約束した通り高校の近くの大通り沿いに面してある焼肉店を貸し切りにしてもらい祝賀会を行なった。 「紗奈、電話したんだけど体調良くないから家で休んでいたいって」 「そうか……まあまた機会があれば会えるし、またそのうちこうやって皆んなで会って食事でもしよう。ほら、続けて食べなさい」 「今日先生の奢りでしょう?」 「……ああ、今日だけな。次回はみんなで割り勘だからな」 「先生、ここ座って!」 「ああ」 「望月、まだ連絡つかない?」 「うん。家にはいるみたいだが、親御さんがなかなか出してくれないみたいでさ」 「そのうちさ、ひょっこり出てきそうな気もするよね。そうだ!そういや先生さ、次の仕事って決まったの?」 「一応 七重(ななえ)の町役場に就く事になった。五月の連休明けからだ。」 「福江から通うんですか?」 「うん。片道で三十分くらいだし……それに望月の事もあるから、福江にはまだ居るから」 「落ち着いたらまたその時会いに行ってもいい?」 「いいよ」 電話をかけてくれたのは笠原志帆。一年の時に四組にいた生徒で紗奈とは小学生の頃からの幼馴染みで親友だという。 笠原は頻繁に紗奈の自宅に連絡を取ろうとしているが、本人ではなく両親が出る事が多いと話していた。直接訪ねたくても断られてしまうこともあり、彼女の体調が心配だと気にかけている。普段であれば気兼ねなく接してくれる家族であるが、様子が気になるのでもしかすると何か隠している事でもしていそうだと言い、私や皆にも協力して何としてでも真相を知りたいと告げていた。 翌週の平日の夕方に私は紗奈の自宅に訪問し、玄関先に立ちしばらく待っていたが、室内の明かりが点いていないので、そこから繋がる中庭に入りベランダの外から中を見ようとしたが真っ暗で何も見えない。 もう一度玄関に行き、何度かドアを叩いて呼び出しをしたが反応がなかった。するとドアの郵便受けに大量のチラシが挟まっているのを見て、その中にとある金融関連の取立て屋の封筒があるのに気づいて取り出すと、義父宛の名前が書かれてあった。 様子がおかしいと思い、すぐ隣にある一軒家の人の所に行こうとした時、その斜め向かいに住んでいる家の中から五十代の女性が出てきて私に声をかけてきた。 「平潟、先生ですか?」 「はい。あの……望月さんと連絡がつかないので直接伺いに来たのですが、何か知っていますか?」 「そちらも何も聞いていないのですか?」 「どういう事ですか?」 「この間二週間前かしら、運送業者のトラックが止まっていたので、話しかけたら、引越しをされるって言っていたんです」 「どちらに?」 「それを聞こうとしたんですが、急いでいるからと素っ気なく言い返されたんです。そうしたら、三日後くらいかしら……私の所に取り立て屋だと名乗る人が来て、望月さんの行方を尋ねてきたんですが、何も知らないと答えたら、ぶっきらぼうに嫌な態度を取ってきてね……」 「それじゃあ、もしかして貸金業に手を出していたんですかね?」 「恐らく。何かね望月さんのお義父さん、借金抱えていたみたいで一千万とかかなりの額だって他の近所の方から聞いたの。あの人達、どこに行ったのかしら……」 事情を話してくれたその女性に挨拶をした後、自宅に向かう途中の線路脇の通りを歩いて行った。途轍もないくらい肩を落として途方に暮れそうな気で仕方ない。 何も言わずに一家総出でこの町を出て行ってしまったことに、腹立たしさより無念さが大きかった。
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