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事務所で息子であろう人物に私の経緯を話した後、自宅に招いて改めて話をする事にした。 三週間が経ち、彼が家を訪れて部屋に上がらせると、連絡が遅くなってしまった事を侘びたいと告げ深く頭を下げてきたので姿勢を正すようにと宥めてあげた。 紗奈が私のいない間に育ててくれた温厚で逞しく立派になっている子どもを前に、どう手を差し伸べればよいのかもどかしい気持ちだ。 望月隆弘。私の名前を一文字取りその名をつけたという。まるで聖なる光を輝かせ満ち溢れる平穏さを醸し出す容姿。顔立ちからして紗奈の面影を感じる、愛情を深く包み込むような二重の目元や眉が特徴的だ。 彼の話によると、彼女は義父が賭け事から抜け出せない体質となり、多額の借金を背負い、債務整理が追いつかなくなってしまったところから夜逃げ同然で一家ともに埼玉県内へ移住し、二十年近く暮らしてなんとか返済も終えた後に、実家を離れて、隆弘を1人で育てていったという。 しかし、父親のいない我が子の為に私の代わりになるようなパートナーを探しては複数の男性と関係を持っていき、その姿を隆弘は見ていきながら子どもながらに心苦しさを抱えていたと話す。 彼が大学を卒業した後就職が決まったタイミングと同時に、紗奈の身体に異変が起こり短期間に入退院を繰り返していた最中、帰宅を許可された時期の外出先で事故に遭い下半身不随になったという。現在は郊外の療養所にて生活をしているらしく、隆弘も仕事の合間に時間を見ては見舞いに行っていると話していた。 「紗奈が、事故に……」 「お願いがあります」 「何ですか?」 「お母さんに、会ってくれませんか?」 妙に低く身体の中を鼓動が打っていき、教員当時に過ごした福江の香りを思い出す。私は妻の顔を見て拒否したいと首を横に振る仕草を見せると、彼女は肩に手を触れてきた。 「……私の事を思い出したら、気が動転してしまわないかな?」 「今のあの人は記憶が曖昧なのです。恐らくは大丈夫かと……。お互いが生きている事を知れば何か反応はしてくるばすです。平潟さん、一緒に面会していただけないでしょうか……?」 憶測だが、紗奈は私があの時全てを投げ捨ててまで死に物狂いになりながら自分を奪いに来て欲しくて(たま)らない心境でいたのに、それもおろか追いかけもせず裏切られたという蠱惑(こわく)的な思いが強いはずだ。 今更再会したところで、全てが許される訳ではない。私のように酷く爪痕を残してしまった穢れ(けが)れ者に何ができるのだろうかと、ただ我を責め立てていくばかりだ。 私は獄中 狭隘(きょうあい)な空間の中で常に身体は泣いていた。誰にも見つからないように枯れ果てるまで泣いていた。 私の中で卑猥な天使だと思い込んでいた彼女が微々たりとも離れずにしがみついてはあの瞳で凝視をする。 そしてお互いが目が合うと彼女は自ら粉砕して消えていくのだった。その痛みは未だに忘れずにいる。そんな私をどう受け入れてくれるのだろうか。 「時間をくれないかな?」 「はい。僕はいつでも待っています」 隆弘は明るい表情を絶やさず玄関先で見送る際も会釈をしては微笑み、その日の夕方の飛行機の便で埼玉に戻って行った。 夕食時、口に食べ物を含み咀嚼してはため息をつく私に妻が笑みを浮かべていたので何か聞きたい事でもあるのかと尋ねると、心を素直にして紗奈に会いに行ってはどうかと返答していた。妻はそれを嫌がらないのかと問うと(むし)ろ私から彼女のところに行けば、少しは過去を許してくれるのではないかと言っていた。 十分猛省しているのだし、私も今の歳になり昔とはまた違う篤実な品格もあるから、きっと彼女も分かってくれるに違いないと励ましてくれた。その言葉を持って紗奈に会えるのなら、私もどこかで何か兆しが見えるはずだ。それから日を追うごとに彼女への再会を待ち侘びた。 一ヶ月後、私は一人で新千歳空港へ向かい、昼の便で東京へ行き、慌ただしい雑踏の中を潜り抜けるように電車に乗り換えて埼玉へ向かった。大宮駅に到着して改札口を出てみどりの窓口のある場所の近くで構内の人の流れを眺めいると、遠くから待ち合わせをしていた隆弘の姿を見つけ、駆け寄るとバスターミナルの傍に駐車している自家用車に乗り、途中生花店へ立ち寄り見舞い用の花を買い、そこから一時間かけて国道と県道をまたいだところにある滑川(なめりかわ)町の病院が隣接する療養施設へ向かった。 車から降りて立つと近くに川が流れていて立冬の長閑(のどか)な風が吹いており、北海道とは違う澄み渡った広い景色がそこに映し出されていた。 建物の中に入りエレベーターで上がっていきスタッフステーションのところで看護師に挨拶をした後、個室の階へ案内されて向かうとそこには老若男女問わずに穏やかに過ごす利用者たちの姿があった。大広間に続いている各部屋を通り過ぎたところに別途個室が構えてあり、その扉の一番奥の個室へ入ると、ある四十代くらいの女性が車椅子に乗って窓辺の方を向いていた。 私達に気が付くと隆弘に向かって微笑み、次に私の顔を見て軽く会釈をした。隆弘は自分の母親、つまり紗奈だと告げ、その容姿から以前と変わらない凛としたあの眼差しで他者を見る瞳。 何かを眺望するように時折見せるその仕草が、いつかのあどけなかった頃の彼女そのものだと、私は故郷で見た遠き日の螢火(ほたるび)に触れたようにも思えた。
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