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一時間ほど庭で会話した後、個室に戻り隆弘が紗奈をベッドへ寝かせて彼女が疲れた表情をしていたので仮眠を取るように促した。 私は彼女の横の棚の上に置いてある差し入れとして渡した花を見て、彼女の顔を眺めながら礼を告げて部屋から出た。隆弘も廊下ですれ違った看護師に声をかけて今日はこれで帰ると伝えて、二人で施設を後にした。 大宮駅に向かう車中で会話をしていると、彼は私にある事を話してきた。 「僕は、母から福江の事や実の父親の存在を聞こうとはしませんでした」 「どうしてだい?」 「あの人に直接聞かなくとも……いつも誰かの事を思っている表情をしてきたからです」 「それは、俺の事?」 「ええ。中学生の時母が仕事で出かけている間に笠原志帆さんという方から届いた手紙を見たことがあって……そこに平潟さんらしき男性の名前があり、文面からその人が自分の父親だと推測していたんです」 「紗奈に聞こうともしなかったのか?」 「そうすると過去を責め立ててしまうことになるので、敢えて伏せていました。片親しかいないのは辛かったけど、今こうしてあなたともお会いできましたし。施設でお二人の会話も聞こえているうちに顔を見て、逆にこの時で再会できたことで全てのもつれた糸がほどけていったんだなって実感できました」 「君には……ひたすら感謝しかないな……」 「それからあと、二、三時間ほどしたら先ほどお二人が話していた母の記憶はなくなります」 「そういう、具合なのか?」 「担当医も話していましたが、脳の検査をしても原因が不明なところもあり、はっきりとした病名がつかないそうです。僕の解釈ですが、恐らく早期のアルツハイマー病かと……」 「そうか。ただ今はあのように元気でいる事がわかって安心はしました。隆弘くんも忙しい時にわざわざ時間をとってくれてありがとうな」 「こちらこそ、ここまで来るのにお疲れになったでしょう。今晩は東京で泊まるんですか?」 「ええ。都会にはほとんど来た事がないから、あの人だかりにはびっくりしたよ」 それからして駅に着き、改札前の構内で別れを告げようとした時、隆弘は私に自分の住む場所の連絡先を書いたメモ用紙を渡して、今後紗奈に会う事はなくても良いから、改めてしばらくの間は電話や手紙などでお互いに連絡し合おうと話してきた。私も承諾すると彼は微笑んでくれた。 翌日、函館に戻った私は由梨枝に紗奈と隆弘に会って、長年にわたる疑惑から解放され折り合いがついたと話すと、彼女も安堵した表情で身体を抱きしめてくれた。施設から出て帰る際に紗奈からもらった手作りのかぎ針編みのテーブルクロスを由梨枝に見せるとそれは私が持っておくべきものだと言い、寝室の引き出しの中に畳んでしまった。 二週間後由梨枝とともに市内に出かけて、市電沿いから脇道に入ったところにある西埠頭近辺の海を眺望できる八幡坂へとやってきた。地元の若い人たちや外国人の観光客で賑わいを見せては私達もせっかくだからと通行人に声を掛けて写真を撮ってもらった。 そのあと金森の赤レンガ倉庫の近くにあるところで早めの夕食を取り、食事を終えた後に外に出てしばらくの間海を眺めていた。 私はこの景色を見ていると福江にいた頃の自分に戻る気分になった。もう戻る事はないあの街や川沿いから見える山の景色。そこから吹いて流れてくる風の音や匂いなどはもう遠い過去の情景となり、振り返ることがあっても悔いを残す事はないであろう。決して全てが水に流せることではないが、宵闇に広がる星が私達やこれまでに出会った大切な人達を優しく見てくれているだろう。 時々私はこう思う。こうして人間として生きてきたことには何かしらの意義があるのだ。折れそうになった心身も、信念を貫き通せた者だけが神からの恩恵を受けることができるのだと。 それがやがて海原へ出て私達の宿命はそのものの生涯に印を押されて閉ざす日が来た時に何かを悟る──。 一日が終わろうとしている。そして今日も、この海は私達に優しかった。 了
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