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序章・桜の国で ①
春というには、まだ肌寒い毎日だった。
だが桜の花はまだ満開で、そこだけは暖かな季節を感じさせる。
大学も新学期に切り替わり、いよいよ前期の授業が始まった。
教科書もノートも、授業も新しく切り替わり、身が引き締まる。
篠崎湊は、何もかもが一新する、この季節が好きだった。
エントランスに入ると、背の高い男が頭を掻いて何やら唸っている。
通り抜けようとすると、その男はどうやら日本人ではないようだった。
湊は、そのまま行き過ぎようか悩んだが、Uターンして男の元に戻った。
近付くと、その男は175センチはある決して背が低い訳ではない湊より、更に10センチ以上高いような大柄な男だった。
皮膚は浅黒く、中東の人間のようにも見えたが、その髪と瞳は明るい色をしていて、何処の国の出身かは分からない。
顔は彫りが深く、精悍なイメージだったが、少し垂れ気味の目が優しい印象に変えていた。
「お困りですか?……えっと……英語の方がいいかな?」
「あ、日本語、分かります。ただ、読むのが少し苦手で……授業の選択の仕方が分かりません」
少しイントネーションのおかしい日本語だったが、丁寧な言葉使いが好印象だった。
「私の日本語、おかしいですか?」
「とてもお上手ですよ?良かったらお教えしましょうか?……食堂に行きます?」
「ありがとうございます。お時間、よろしいんですか?助かります」
食堂に行くと、まだ午前中だったからか、人は疎らだった。
テーブルに座ると、横に腰掛けた彼はいつの間にかコーヒーを買って来ていて、湊にも勧めて来る。
コーヒー代を払おうとすると、教えて貰うお礼だと言って、受け取らなかった。
「俺は篠崎湊です。この大学の4年生です。国文科を専攻しています」
「私はアッシュと言います。フルネームはとても長いので覚えられないと思います。ヴァリューカから来ました」
「ヴァリューカ?あんまり聞いた事がない国です」
「中東の、石油の豊かな国です。他にも海産物や真珠、鉱物に恵まれた小さな国です。あ、ミナト、それから私にはどうぞ敬語は使わないで下さい。普通の会話も勉強しなければならないので」
そうしたらアッシュもと言うと、アッシュは立場上、どうしても敬語が必要らしく、その堅苦しい喋り方は直そうとはしなかった。
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