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第二章・秋冬 2ー①
季節は暦の上では秋とはいえ、まだまだ日中の日差しは真夏と変わらない気候だった。
秋物の上着を持て余して、腕に掛けている人も目に付く。
アッシュの滞在日程は1週間だと把握していたので、湊はアッシュが帰国してから荷物を取りに行き、別れの手紙を置いて来るつもりだったが、大学の教材までホテルにあったので、1週間も待つ事が出来なかった。
置き手紙は、昨夜、書いた。
何度も何度も、書き直した。
湿っぽくなり過ぎたり、恨みがましくなったり、あまりにもドライ過ぎたりと、何度書いても納得出来るものでは無かったが、結局、一番事務的に書いた手紙を選んだ。
アッシュが読むのが苦手なのも考えて、文章は簡潔な方が良いかと思ったからだ。
[アッシュへ
日本にいる時間が少ないようなので、食事の必要性がないと思い、実家に帰らせて頂きます。
電話の横にあるアドレスは、エリカ様のものです。]
何度か読み返して、これ以上書くと、アッシュが読むのに苦しむかと思った。
アッシュのボキャブラリーは、日本人のそれを上回るものだったが、ほとんどがヒヤリング能力で鍛えられたものなので、漢字は小学生程度しか理解出来ていない。
恐らく、彼女との対話で学んだものが大きいのが伺えた。
彼女と恋人関係として過ごした時間の長さが、あれだけアッシュの日本語を巧みにさせているのかと思うと、対抗する気も失せる。
朝に行って、アッシュと彼女の仲良さげな姿に鉢合わせしても居たたまれないので、昼過ぎに行く事にした。
アッシュのスケジュールには、今日は都知事との会食とあったので、確実にホテルにはいない。
エレベーターを上がり、入口のコンシェルジュに挨拶をした。
「お帰りなさいませ。篠崎様」
「た、ただいま……。えっと……アッシュはいるのかな?」
「外出中でいらっしゃいます」
「ありがとう」
念の為、コンシェルジュに確認を取ってから、中に入った。
万が一でも、アッシュがいたらどう説明したら良いか分からなかったからだ。
「お、お邪魔します~」
いつもは「ただいま」と言っているのにな、と自虐的になった。
湊は昨夜書いた手紙をテーブルの上に置いて、荷物をまとめる。
湊の作った夕食は綺麗に片付けられていて、見た目、エリカは見た目に家庭的な女性には見えなかったが、案外出来た人なんだと思った。
「エリカ様のお口にあったのかなぁ……。一応、味見したから、大丈夫だとは思うんだけど」
「……誰のお口に、なんですか」
背後から地を這うように低い声が聞こえ、湊はその場で飛び上がった。
「……ミナト、この手紙はどういう意味ですか?」
「あ、アッシュ……。今日は会食なんじゃ……」
「明後日に変更しました。それと、こんな事もあろうかと、コンシェルジュには「いない」と言うように根回ししておきました。貴方は必ず、教材を取りに来ると予測していましたから」
アッシュは温厚に見えて、ブラックなキャラクターなのを思い出す。
湊に対しては、ほとんどその黒い部分を見せなかったので、アッシュが策略家であるのを忘れていた。
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