夢桜風

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「今からあの桜を確認してみない?」  僕の遠い記憶にあるあの桜、それは彼女がいうあの桜だ。足らないものと言うのはあの桜。  問いかけに対して彼女は微笑むと「うんっ」と言葉少なくも嬉しそうに返す。こんな彼女の本来の一挙手一投足が僕の記憶の底にある古い彼女を思い出させる。まるで氷が解けるように段々と透明度を増してキレイになる。  とっても明るい彼女はそれが普通ではなかった。もうちょっとおとなしい印象ばかりになり、僕の理想だったおしとやかに少し楽しさを含めた姿になっている。  懐かしい風景に向けて僕たちはバスで移動すると、そうは遠くない二人が出会っただろう団地に着いてそこから桜の場所まで歩くことにする。朧げながらもう古く住んでいる人も少ない団地を懐かしむように眺めて歩いて「君が引っ越して、あたしんちも直ぐにあっちに移ったんだ」と彼女が説明をしてくれる。  タイムスリップした気分になりながら、僕はまた忘れていた記憶を取り戻して「この家のおじいちゃん、怖かった」なんかの昔話をしながら僕たちは団地を通り過ぎ、川沿いに田んぼの続く細い道を歩いて桜に向かう。  もう僕はかなりのことを思い出して、道案内もできるくらいになって「あの辺だったね」と桜のあるほうを指さした。すると彼女も「お化け屋敷のところだらかね」と頷いている。  お化け屋敷というのは広い家ででぼろかったから地域の人たちが呼んでいた建物で、別に本当にお化けが出るわけじゃない。なんなら持ち主の厚意で貸し出されて武道教室なんかも開かれていたから普通の建物だ。  その辺りは今の道からは家が邪魔をして見通せない。だけどきっとあの桜は今もキレイに咲いているだろう。  彼女もそうだけど僕は楽しみにあの桜に歩く。 「嘘。確かにこの場所だよね?」  僕たちの記憶にある場所に桜はなかった。  キレイな住宅が数件並んでいて、それはちょうどお化け屋敷の敷地を分譲したようになっている。それで彼女が語ってから僕は言葉を無くしている。 「君ら、団地に住んでた子じゃないか?」  急に背後から声を掛けられて振り返ると、団地の怖いおじいさんがいた。ちょっとあれからの年数を考えると、おじいさんがお化けなんじゃないかと驚いてしまうが、おじいさんはさらに老けてもっとおじいさんになっている。  驚いていた僕とは違って彼女は「この場所に桜がありましたよね?」久しぶりだとの挨拶を簡単に交わしてからそう疑問を投げていた。するとおじいさんが「土地が売れてね。キレイだったのに家を建てるから伐られたんだ」と残念そうに語り、おじいさんも桜のあった場所を見つめる。  三人でさみし気に眺めていると、ちょっと季節にない寒い風が吹いている。それと一緒に僕はため息を吐いて「勿体ないな」とつぶやくと「君たちは桜を見にきたのかい?」とおじいさんが訪ねて「二人ともあの桜が忘れられなくって」と彼女が言うと、おじいさんは少し深くため息を吐く。 「願っていれば叶うことも有るかもしれない」  そう語るとくるっと回って反対方向に歩き出したので僕と彼女はどういうことなんだろうと、おじいさんに話を聞こうと振り返った。だけど、さっきまで隣に居たおじいさんの姿はない。  不思議に思う暇もなく風が吹いた。冷たい寒い風じゃなくて、暖かくて菜の花の香りをまとっている。ふわっとした風に吹かれて僕たちがもう一度振り返ると、そこには桜が咲いていた。  若干嘘みたいな風景だけど、数歩近づいてみてもキレイな住宅は姿を消してお化け屋敷の横の広場に桜が咲いている。夢でも幻でもなくてそこにはあの桜がある。  一度彼女と顔を合わせると「嘘みたい」と彼女も驚いて言葉もないみたい。僕と彼女の願いが叶ったのかもしれない。おじいさんの言う通りに。そして僕は桜に約束した言葉を言うことにする。 「あの、昔の女の子を探してたんだ。忘れられなくて、思い出に残っていたんだ。好きだったから。それで」 「会っても一年も気づかなかったのに。だけど、あたしも好きだったんだ。それで? 今はどう思う?」  ちょっと普段の印象に戻りながらも彼女は昔の雰囲気を残している。これが僕に対して見せる彼女の本当の姿なんだろう。 「付き合わない?」  少し自分の想いに照れ、笑ったけどその言葉だけはちゃんと言えた。 「ずっと待ってたんだ。うん。わかった。お願い」  どちらかと言うと彼女のほうがすましてはいるけど、言葉は少ない。あの頃の彼女が顔を出している。  僕たちはそれまでより近づいて肩が当たるくらいに並んで桜を眺める。散る姿が僕たちの周りを舞って祝福しているみたいに淡く白い景色に包まれた。  ずっと桜を眺めていたはずの僕たちだったのに「こんなところで眠ってちゃダメじゃないか」と知らない人に起こされて周りを見ると住宅が並んでいた。  不思議な顔をして僕は「桜をみてたんですけど」というが僕たちに声を掛けた人はもっと不思議な顔になる。そして彼女は「団地の端に住んでいるおじいさん知りませんか?」と聞いた。 「あのおじいさんは去年の春に亡くなったよ。もう高齢だったから。なんかこの近くの桜を見たいって話してたらしいけど」  お化け屋敷には、本当にお化けが居たらしい。その人にはおじいさんの話をしないで僕たちは帰りの道を歩き始める。もう桜が見送ってくれないけど、それがない訳じゃない。  桜を見た僕たちは夢じゃない。だからあの言葉も有効で歩くときは近寄っている。バス停までの道で「お化けは怖い?」と聞くと「怖くないんだね」と彼女が笑う。  バス停に着いて待ちながら「お花見、おじいさんも楽しめたのかな?」と彼女が心配そうに言うので「多分おじいさんはずっとあの桜を見てるんだよ」と返して訪れるバスを眺める。 「次の桜も一緒に居られるかな?」  別に心配しているのじゃなくて単に聞いているみたいな声で僕が語る。 「これからの桜はずっと一緒だよ」  彼女はこんな時も飛び切りの笑顔を送っていた。 「笑うなよ」  照れ釣られて笑ってしまうので返す。それでもはなやかな風しか吹かない。夢こんなにと続くのを願う。 おわり
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