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「――彪吝(ピアオ・リン)は今も刺吏として任を全うしている。(シエ)帝もご存じのはずだ」  柔らかな口調に滲む鋭い声色に、明椿林(ミン・チンリン)は振り返る。  秋霜がふったような白い髪。どこまでも黒い瞳はすべてを見透かすような叡智に富んでいる。柔和な顔立ちの男は後ろに手を組みながら、ゆったりと部屋の惨状を見回していた。萃緑(ツォイリュイ)が恭しく控える様子を見れば、彼が彪吝、李西(りさい)の刺吏。  明椿林は立ち上がる。 「歓迎のもてなしくらいはしてやろう。でなければ味気ない」  態度はやや不遜なくらいが県令らしいというもの。 ――――――  船を下らせ、李西の都にたどり着くまでに渡り歩いた邑は、総じて貧しかった。幾度と戦場と化し、人骨の(たお)れた腐朽の大地は復興するほどの余力を残していなかった。  李西を不毛の地と至らしめた春永国(しゅんえいこく)の歴史はそれほど長くはない。騎馬の民族が寄り集まって帝を立て、名乗りを上げた小さな国である。  華開く前の暗い国。そうして歴史には、何十年にわたって侵入を繰り返す野蛮な民族と描かれるほど。  初代の皇帝の名も、その末裔である皇太子も、今では誰も知る人がいない。  明椿林は双樹の葉から零れた陽に目を細め、書巻の字を辿った。  蠍央(シエイン)の即位から具に書き留められた歴史は、明椿林が密かに記録しているものだった。  国を脅かした先帝は漠漠と荒れ狂う波のように人民を打ち砕き、血肉が枯れるまで酷使し続けた。特に中央を離れた県の衰えはあまりに酷く、稗や粟さえも口にすることが許されず、子どもは潰えて、飢えに苦しんだ家人は首をつった。木々はその重さでしなりつづけ、ついには柳のように垂れ下がったまま起き上がることがなかった。  明椿林はその最中に生き続けた孤児だった。  二人目の母親は息子を産むと同時に鬼籍に入り、父親は遠い地で戦死した。  辿った親戚の家では飢饉が重なり、穀物の種や草の根すら食べ尽くし、山も畑も地肌が剥き出しだった。  ――明四(ミンスー)。琴を弾きなさい。都へ。  阿林(アリン)……、阿林……。かわいい阿林……。  鳥でさえ死に行くような秋の空に死臭がのぼり、群がる黒羽は空をうめつくす。羽ばたきの音は激しい木枯らしと成り果てて、明椿林は痩せ衰えたからだで都を目指した。  間違っていると知らないのなら、上帝に教えてあげなくてはと、ただ明椿林は純粋に思っていた。  五歳であった。  その年、春永国は亡び、先帝は蠍央に討ち取られた――。  治政は二十年と続いている。上帝としての徳と、優れた天子の才故であろう。その彼の憂慮は貴族たちに留まらず、李西に及ぶ。
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