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 その風の中では、矢傷を受けた男が嵐のすさまじさにもだえ苦しんでいるとばかり思われた。ところが、彼は破れた衣を引きずりながら、擦り傷だらけの手で地を掴み、夕闇に紛れて春永国に入り込んでいた。  絶え間なく浴びせられる砂礫の嵐を抜けると、目の前には見慣れない、異国じみた城門が堅く扉を閉ざして待っている。  春永国の城門である。  傍に立つ兵士の異風な佇まいをみてますます喜びに湧き上がった。  生きて国境を渡ることができるとは、この瞬間まで夢にも思わなかった。  男は傷だらけの身体に鞭を打ち、あと一息とばかりに転がるように駆け寄った。まるでその痩躯は、一切の免罪を許されるとでも思っているようである。 「名を盛怵(ション・シュイ)と申し上げます。暘国の李西に籍を置く農民でございます!」  李西に蔓延した呻き声が、男の背に重くのし掛かっていた。その重みに押しつぶされるようにして彼は額ずいた。死を覚悟して国境を越えてきた彼にとって、砂まみれの城門はさながら天国の扉に見えたに違いない。  男は手をすりあわせ、続けざまにわめき立てる。 「天子様のお耳に、ぜひともこの訴えを! 食べ物を、どうか分けて頂きたいのです! 李西に兵士が留まるようになってから、私たちは何も口にできなくなった! 飢えて死んだ家族を、誰もが口にするほかないのです! このすさまじさを、徳の供えた君子であれば理解できるはずでございましょう!」 「侵入者をとらえよ!」  見かねた大男が人垣を掻き分けて剣を抜き放つ。伏せった身体を引き掴み、眼光鋭く睨み付けた。 「領域を侵すというのならば、どんな奴であろうと許しはせんぞ!」  その剣幕のすさまじさを目の前にして、男はヒッと青ざめて腰を抜かす。  血を噴くような兵士の顔を恐ろしげに見つめ、戦慄く身体を大きく震えさせて仰け反った。  もはや飢えと寒さで男はそこを一歩と動ける体力も残っていなかった。 「ぶ、武器を持たないただの農民が、一体どのような害を与えるというのです……! 県令は私たちのことをなんとも思っておりません。死に物狂いで関所を抜けた私の覚悟が、わからないのですか!」  男は口に泡を食い、激しくまくし立てる。尚も兵士の足に絡みつこうとした。その鬱陶しさに、たまらず剣が振り上げられた。  あわや振り下ろされようとする間際、やり取りを見ていた明椿林はいても立ってもいられず足を踏み出す。
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