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1
枯れ渡る草原が暮色に染まる。
半天は澄んだ夜闇の中であった。
夕影に沈みゆく都に、暗く、冷たい冬の風が吹き抜けていく。
まるで、荊が生い茂るような荒々しさである。
その風を追うようにして冴え渡るのは、張り詰めた弦の冷たさであった。
闇に濡れた松の影の下、その邸宅の窓から、一盞の火影とともに琴音がもれていた。
橙の灯火が琴に傾く明椿林の姿を照らす。
彼は、薄く氷を張った水面に浮かぶ花びらをさらうような指使いで、古代の哀愁譜を奏でていた。
ちらちらと降り始めた雪にさえ気付いている様子はない。
織り出される音色は夜が深まるごとにますます哀調を帯びていき、枯れ山は聞くに堪えず、雪にしぐれて白く染まっていく。すでに失われた故譜を擬えれば、氷の下の禽鱗も耳を澄ませて静かに涙をこぼした。
瓦も路傍も雪に真っ白と染まる夜の極み。
人の気配もすでに邸宅の奥にあって、不気味な静けさが残る路地であった。
彷徨い歩く男の耳に、明椿林の胸の痛みが届く。
赤ら顔を輝かせた武人らが、かの門前に立ちどよみ、何やら賑やかに語り交わしていた。その傍に、混じるようにして男がたっていた。
やがて燭を手にした使用人が様子を見にやってくると、開いた門の隙間をするりと抜けて、草の茂る暗い庭を臆しもせずに進んでいく。
深みを増す闇の中、蔦の絡ませた窓から暖かな色がこぼれているのを目にして足をとめた。
部屋の中には震えるほどの哀しげな音が、煙のように立ちこめている。
――何をそんなに悲しむようなことがある。
男は思わず息をつく。
傍らを見れば、塞がるような憂いを払おうと努力したらしい。何本もの酒瓶が転がっている。
明椿林は睡そうな目をして、霜の降りるような琴に指を滑らせる。
首筋を流れる髪の間から、消え残った火影の鈍い光りを弾いて金の耳飾りが揺れていた。
「志を、同じくして励んでいた……。友だった」
酒に濡れた唇は桃色に滴り、涙の痕が残る頬は杏色に咲き匂う。ゆったりと蕾を吹くようにして手繰る声は、夜を慈しむようにしっとりとして、苦しげである。
かつてはその友を、この小さな居宅へよぶほどの仲。酒を飲みつつ、たわいない話を交わしたもの。
そのすべての思い出が、雪のにおいの立ちこめる小さな部屋に、鋭い気配を含んで満ちているように思われた。
寂しさを怺える襟は濡れ、酒中花の乱れとともに衣は一段と開けていく。用意した酒瓶の数よりも、遙かに大量の瓶が増えていることさえ深酒の所為と思い、明椿林はそのまま意識を手放し、深く、眠り込んでしまった。
――――――
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