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桜の花が咲く。
春になれば、それは当たり前の事だと思っていた。
母が入院している病院は、対面通行の道路を挟んだ向かい側にとても大きな公園がある。
「桜、まだまだ咲かないねぇ」
公園の景色を眺める視線を外さないまま、母が言う。
――桜が咲くのを心待ちにしているのだろうか?――
私は、ふとそんな事を思った。
病室の窓から見える、公園の中ほどに円形の広場があって、それを縁どるようにぐるりと桜の木が植えられてはいるのだけれど、今年はいつまでも暖かくならずに、蕾は頑なに縮こまったままだ。
それでも三月の半ばには、桜まつりと銘打って提灯を飾り付けたり、ぱらぱらと屋台が立ったりしていた。
「桜の木の下には……ってねぇ、知っとるよね」
突然そんな事を言う。
それが私に問いかけたのか、ただの独り言なのかは定かではなかったので、取り敢えず「うーん」とだけ曖昧な返事をしながら、私はある事を思い出していた。
小さな頃、私はあまり活発な方ではなく、家で一人本を読んで過ごすような子どもだった。特に不思議な事柄を扱ったお話しが好きで“桜の木の下には~”の件は、その頃読んでいた本の中に出てきた事柄だったはずだ。
そして、そんな事も記憶の奥底に埋没してしまうほど時は過ぎ、私が高校生だったある日、学校から帰ると、母が新聞の切り抜きを渡して来た。
それは何故だか“桜の木の下には~”の出典を示す記事だった。
――何だ? これは――
私は困惑した。それにどう言う意味があるのか思い当たらなかったし、分かりもしなかったからだ。そして母はただ新聞記事を手渡して来ただけで、その後も何ら話す事はなかったのだ。
だから“桜の木の下に~”と“母”と言う構図は、私の記憶のどこか奥底に“奇妙な出来事”としてへばり付いたまま、小さなシミのように滲み続けているのだ。
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