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ハニー誕生!
「何ここ……」
電話で教えてもらった住所は映画に出てきそうな高級住宅街だった。
どの家ももの凄く高い塀に覆われていて、どこが家と家の境なのかもよくわからない。これまでの人生にまったく縁のなかった場所だ。
学生服にスポーツバッグ、コンビニのビニール傘をさしたぼくは、どこからどう見てもよそ者で哀しくなる。
電話に出てくれたのは優しい感じの男の人で、高校生でもいいですよって言ってくれたけど本当に大丈夫だろうか。何だか段々不安になってきた……。
「住所だと絶対ここなんだけど……」
実はぼく、さっきから完全に迷子状態なんだよね。コンクリートの塀がまるで迷路みたいに次から次へと押し寄せてきて、何度同じところをグルグルしたことか。靴もズボンもビショビショだよ。
番地は合っているはず。この建物に間違いはないはずだけど、どう見ても普通の家じゃない。
何かのホールとか美術館とか、めっちゃ高級なレストランとか、そんな感じ。表札もインターフォンもないし……。
「どうしよう。面接に遅刻するなんてサイアクだよ」
身長の倍はありそうな門の前で、ぼくは項垂れる。やっぱり雨の日はついてないなぁ。こんなときは携帯電話を持っていない自分が恨めしくなる。どこかで公衆電話を探してもう一度道順を聞いてみなくちゃ。
「キミ、ちょっと邪魔ですよ」
急に声がして驚いて振り向くと、音もなく一台の車がぼくの背後に止まっていた。スモークされたウィンドーが下りて、サングラスをかけた男の人が機嫌の悪そうな声で話しかけてくる。なんで雨の日にサングラス?
「ああ。すみません」
……って、危ないのはそっちじゃん!
黒光りする車。程よく汗をかいたサラブレッドみたいに美しい曲線に雨を滴らせている。
車のことなんて全くわからないぼくが見ても、うっとりするくらい格好いい。正面には今にも飛び立ちそうなペガサスのマークが付いている。
「あの。ちょっとお聞きしますが。この辺に藤堂さんてお宅はありませんか?」
ぼくは勇気を出して聞いてみた。駅まで戻って公衆電話を探していたら約束の時間に間に合わない。
早くどけと言わんばかりにハンドルに指をトントンさせながらぼくを見ていた彼は、ちょっと表情を変えた……ように見えた。実際にはサングラスのせいでわからないけどね。
「ひょっとしてキミ、星川咲良さん?」
「え・・・・・・はい。星川ですけど」
どうしてこの人がぼくの名前を知っているのさ。まさか今朝の電話の人かな? いやいや、こんな俺様的な話し方をする人じゃなかったはずだ。
「ちょうど良かったです。道が混んでいて遅くなってしまって。とりあえず中に入りましょう。乗ってください」
中に入りましょうって。てことは……やっぱりこれが家?
「早く」と低い声で促され、ぼくは反対側に回って助手席に乗り込んだ。
未来型のペガサスみたいな車の中で、ぼくは緊張しながら姿勢を正し、濡れてしまった制服のズボンの裾を折り曲げた。
準備万端とばかりに隣を見ると、なぜか彼がニヤニヤ笑っている……ように思った。だってサングラスかけてるからわからないんだもん。
ひょっとして幹生の心配が当たっちゃったとか? 車の中でいきなりアンナコトやコンナコトされないよね?
「キミは車が好きですか?」
どういう意味だろう? 乗るのが好きって意味か、運転するのが好きって意味か、車自体が好きって意味か。
「すみません。ぼく、まだ免許は……」
咄嗟に出た言葉に自分でも的外れな答えだと秒で気付く。そんなこと聞かれてないよな。
ぼくの答えにしばらくきょとんとしていたかと思うと、フッと馬鹿にしたような小さな笑いが聞こえた。こいつ、さっきから態度デカ過ぎ!
次の瞬間、センサーに反応した分厚い鉄の扉が内側に開いて、ぼくは巨大な屋敷の中に飲み込まれて行った。
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