執行人

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執行人

俺は、王都でまともな仕事に就くまで本当に大変で、それでも何とか踏ん張って、道を逸れずにここまで来た、その俺が、王都の、しかも騎士から今、大金を盗んだ。 自分がしでかした事なのに、とてもじゃないが信じられなかった。同時に早くここから逃げなければと思った。 目撃者がいないとは限らない。金を、それも騎士から盗んだ場合の刑罰はどうだったか、そうだ、家族はどうする。下の妹はまだ小さくてこれからまだまだ金がいるのに、兄が犯罪者になってこれからどうやって生きていくんだ? 俺は無意識のうちに走り出していたらしい。尋常じゃない様子の俺に通行人が訝しげな視線を向ける。 だが、待てよ。もしバレてなければ? 自慢じゃないが影は薄い、何の特徴もない男だ。第一俺が麻袋を盗った時点でその場にいた連中の誰も声を掛けて来なかった。イーサン・ヴォンガルドはトイレに行っていて当然俺の姿を見ていない筈だ。 そもそもこんなに大量の金貨を無造作に卓に置いたまま席を離れる奴だ。こんな金、奴にとってはただの端金ではないのか。 その証拠にまだ誰も追って来る様子もない。そうして足を止めようと速度を緩めた瞬間、背後から強い力で腕を掴まれ思わず引き攣った悲鳴を上げた。 「オイオイ、まさか王宮務めの文官が犯人とはな……」 鼓膜に響くビリビリとした低い声。俺を捕らえたのは正しくイーサン・ヴォンガルドその人だった。 頭の中で激しく警告音が鳴る。だけど心は妙に静かだった。軽く掴まれているだけに見える腕は俺が渾身の力を振り絞ったところでピクリとも動かないだろう。至近距離で目の当たりにして初めて理解する、おんなじ人間ではない。 「何のことですか。俺は王宮勤めではありませんし、人違いでは」 この期に及んで俺はまだしらばっくれ、何とか逃げ道が作れないかと無駄な足掻きをした。 だってイーサン・ヴォンガルドが俺の存在を認識しているわけがない。俺だって今日までイーサン・ヴォンガルドの顔を知らなかったのに、 「あ?お前今日王宮の東廊下に文官のローブ身に纏って突っ立ってただろうが。俺の視力見縊んなよこのダボが」 そうだった、イーサン・ヴォンガルドは普段魔獣と渡り合っていてマジで普通じゃないんだった。ああ、駄目だ。最初から絶体絶命だったのにしょーもない嘘まで重ねて心象は最悪である。情状酌量の余地無し。オワタ。 「……か、家族に、知らせんでくれ」 「あん?」 金を盗んで逃走したくせに何を図々しいことを言っているんだろうか。虫のいいことを言っている自覚はあった。だけど俺の口は止まらない。 「明日絞首刑になって構わんし、首も好きに晒してもらってええ。ご、拷問に掛けてもええけ……家族は、田舎に住んどって、身内から犯罪者が出たなんて知られたら今の場所に住めんくなる」 昔必死に直した御国言葉が出てるのにも気付けなかった。 どうして俺は金貨の山を見て正気を保てなかったのだろうか。呼吸がどんどん浅くなって息がうまく吸えなくなる。 「……どんな事にも耐えんのか?」 イーサン・ヴォンガルドの肉厚な唇がゆったりと弧を描いて笑みを作る。俺は壊れた人形のようにガクガクと首を縦に振った。拷問など、当たり前だが受けた事がない。だけどここでやめるなどという選択肢は残されていない。 「お前みたいなケツの肉の硬そうな、見るからに未開通の男を相手にすんのは初めてだが……ま、文官にしちゃタッパもあるし丈夫そうだ。多少無茶しても死にゃしねェか」 イーサン・ヴォンガルドの言葉の半分も頭に入って来なかったが、つまり気が済むまで暴行を受けるということか? 改めてイーサンの体躯を確認して息を呑む。盛り上がった腕の筋肉に、分厚過ぎる胸板。鉄球の様なでかい拳に目をやり、背中に冷たいものが流れ落ちた。どう前向きに考えても死ぬ。 「ボサッとすんな。行くぞ」 「ッ、」 イーサンは俺の腕を捩り上げたまま歩き出した。そうして半ば引き摺られるような格好で辿り着いた場所は、俺の稼ぎなんかじゃ到底利用出来ないような高級宿舎だった。 恐慌でどうにかなりそうな俺の脳味噌はその違和感に気付けなかった。 人目につかない直ぐに二人きりになれる場所で殴り殺される。その考えに思考が塗り潰された俺が初めて何かおかしいと感じたのは、服を剥ぎ取られ尻に香油をぶっかけられてからだった。
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