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『そっち、もう少しピンとなるように引っ張ってー。』
橋本さんが叫ぶ。
『…うい。』
やる気の無さを露わに返事をした僕は、ブルーシートの角を持ってヒラヒラさせながら引っ張った。
4月1日付けで都心の本社から西東京営業所に異動になった。
入社3年目の異動に不満は無かった。
ピンポイントで飛ばされたわけではなく多くの人が異動する時期であり、転居を伴うほどの場所でもなかった。
顔見知りの人もいる。
ただ…。
異動してきた今日、所長に挨拶した時に花粉症かどうかを聞かれた。
花粉症は無いですと答えたら今日はちょうど金曜、会社近くの公園のお花見の場所取りに任命されたのだった。
それがかなりの不満である。
本社では無かった風習だ。
バカバカしいと思ってしまう。
『かなり嫌そうだね、芹沢くんは。』
『だって…今どきこんな場所取りしてる会社あります?
昭和じゃあるまいしー。』
『そうでもないよ。』
橋本さんがニコニコしながら顔をクイッとする方向を見ると、16時を過ぎた公園に徐々にシートを敷く人達が増えてきている。
『…だとしてもー!
ペグ打って荷物置いておけばいいんじゃないですか?』
橋本さんは整ったブルーシートを満足げに見てスニーカーを脱ぎ、まだ冬物のコートの下のロングスカートをふわりとさせて座り込んだ。
『ここはね、ペグ打ち禁止、無人場所取り禁止なの。』
次の言葉に詰まった僕を見上げて穏やかに言った。
『ブルーシート敷けたし、会社に戻ってもいいよ。
もう1人でも大丈夫。
場所取り強要すると所長と私もパワハラになっちゃうからさ。』
悪戯っ子みたいにニヤッと笑う。
『あ、芹沢くんの歓迎会も兼ねてるから飲み会はおいでね。』
橋本さんの落ち着いた空気に包まれて自分だけがイライラしているのが恥ずかしくなってきた。
『…いや、引き受けたからには居ますけど。』
諦めて靴を脱いでブルーシートに上がる。
そんな僕を見てふふふと笑った。
『私はこの役目、すごく気に入ってるんだよ。』
『なんで?』
2人きりの空間に気が緩んでタメ口になってしまった。
『だって大好きな桜の一番綺麗な日にさ、夕陽に照らされながらゆっくり眺めていられるんだよ。
それも勤務時間内に堂々と。』
橋本さんは少し冷たくなってきた風を顔に受けながら桜を見上げる。
風に揺らめく花々の間からオレンジ色の陽光が燦めく。
表情は嬉しそう…なんだけれど少し淋しそうにも見える。
『まっ、まだわかんないか、子供には。』
そう言いながら僕の顔を見て、また悪戯っ子みたいにニヤニヤしていた。
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