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僕が手を掴んだまま起き上がると、橋本さんも起き上がった。
向かい合って座る。
『1年前のお花見の帰りに小澤珈琲店を見つけたんだ。
そこには桜を見上げる女の子の絵が飾ってあった。』
橋本さんは言われることがわかったかのように目を伏せた。
『マスターがその絵はバカ息子が描いた絵だと言っていた。
昔からあるコーヒー屋なのに何で橋本さんが教えてくれなかったのか…なんとなく勘が働いて行ったことは誰にも言わずにいたんだ。
会社の帰りに3、4回通って顔見知りになった頃、息子さんについて話を聞いた。』
ずっと黙って聞いている。
『息子は絵に描かれてる年下の女の子と高校生の頃から付き合っていた。
大学卒業後、もっと絵やら他にも色々勉強がしたいとイタリアに留学した。
その後イタリアで知り合った現地の人と結婚し、そのまま向こうに住んでいると。』
瞬きをした目から涙が落ちた。
『だんだんと連絡が取れなくなっていくのを不安に思いながらも、その女の子は息子を信じてお店に通ってくれていたと。
だから…息子の結婚を告げることが身を切られるように辛かったって。
当たり前だけど、そこから来てくれなくなった。
まだこの辺りで働いていると聞いているけど元気かな、と言ってた。』
スカートが涙で濡れていく。
『マスターはその女の子をカナちゃんって呼んでた。』
橋本さんが空いている手でバッグを引き寄せた。
僕が手を離すとハンカチを取り出し、目を抑えながら呟いた。
『おじさん、おしゃべりだなぁ。』
ハンカチで隠れているから表情はわからない。
困らせたかなと思ったけど、その声は優しかった。
『その時計をしながら…まだ待ってるの?』
ハンカチを離して真っ赤な目で桜を見上げた。
そして首を横に振った。
『そういうわけじゃないの。』
『じゃあさ、その時計外そうよ。
去年、自分でも‘似合わないよね’って言ってたじゃん。』
僕はポケットからピンク色の石が付いているブレスレットを取り出し、橋本さんの右手を引き寄せてその手首に巻き付けた。
『こっちの方が似合うよ。』
僕を見た橋本さんの目からまた、涙が溢れる。
『キザだよね。わかってるよ。
でも好きになったからちゃんと伝えるよ。』
ブレスレットが揺れる右手をぎゅっと握った。
『1年前のお花見の日に桜の中を歩いてくる姿に惹かれた。
その後一緒に仕事する中で、どんどん好きになったよ。』
目を逸らさずに聞いてる。
向き合ってくれようとしてる。
『これでも僕は頭がいいし、勘も鋭いし、1年前より大人になった。
橋本さんにつり合うようになったと思うよ。』
そう言うと声を出さずに静かに笑った。
『僕を好きにならなくてもいいんだ。
ただ大好きだと言った桜を笑って見れるようになって欲しいよ。』
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