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僕の高嶺の花⑤
授業が終わったあと、宰は食堂でぼんやりと椅子に座っていた。
天音に最後に会ってから一週間が過ぎた。
(会える距離にいるのに、会えないってきついな)
知らずため息が口から零れ落ちる。最初のうちは自然と天音の研究室に向いてしまう足を振り切るため、授業が終わったら早々に家に帰るか予定を入れて物理的に天音のところに行けないようにしていた。だけどバイトをしていても仲間と飲み会をしていても、家にいても頭の中から天音のことが離れなくて。今何をしてるだろうとか、困ってることはないかなとか、次から次に考えてしまって落ち着かなかった。
結局、せめて少しでも天音を感じられれば落ち着くかもしれないと、宰は一日の授業が終わった後、特に用事もないのに大学に残るようになっていた。
(くそっ......先生の声が聞きたい...先生の......)
天音の笑顔に会いたい。天音に会いたくて会いたくて、その気持ちを振り切るように強く瞼を閉じても、眼裏に花が綻ぶような天音の笑顔が浮かんでくる。もはやどうやっても天音のことを考えるのを止められなくて、頭がおかしくなりそうだった。
宰は机に肘を付いた手で髪をぐしゃぐしゃと握りしめると、大きく息を吐いた。
「さっきからため息ばっかついてるけどどーした?」
不意に聞こえた声に顔を上げると、目の前に遼が座っていた。
「りょう......」
「飲み物でも買っていこうかと思ったら、この世の終わりみたいな顔してるお前が見えて」
どーかしたのか? と遼が瞳で問いかける。
「......いや、特になにも」
態勢を整え、気まずそうに顔を逸らす宰に、遼がフッと微笑んだ。
「本当に大変な時ほど、なんでもないって言うんだよな~お前。まっ、俺もそうだから分かるけど」
「............」
「そういや最近、文学部の方に行ってないみたいだけど」
言われた言葉に、ピクリと反応して宰が遼の方を見る。
「あんなに毎日通ってたのに、どうしたのかなぁ? 新しい助教授に会いに行ってたんだっけ? かわいい人らしいねぇ」
遼がわざとらしくおちゃらけて聞いてくる。だけど雰囲気から、宰のことを本当に心配しているのが伝わってきて無碍にできない。
「別に何も......お前だって同じようにちょっと前まで理学部の方へ通ってただろ」
そう言って宰は腕を組んで目を逸らす。
「俺と同じって、それ。遠回しにその助教授のことが好きだって言ってるようなものだけど」
「!」
はっきりと言った遼に宰は驚く。普段の遼なら、こんな風にからかわれたら真っ赤になって否定にならない否定を繰り返すのに。
「遼...お前、言うようになったな」
「茶化すなって」
驚いた顔の宰に、少し頬を染めながら遼は真剣な目でこちらを見た。
「先週までため息ついてはにやけてたのに、最近どんどん元気がなくなっていってるし。そんな状態でなんでもないなんて言われても信じられるわけないだろ」
真っ直ぐな瞳が、自分を見つめるのにいたたまれなくなって宰は視線を伏せた。
「その人のこと本気で好きなんだろ」
「.........」
宰は答えない。
「こんなところで、ぐだぐだしてる暇あったら、もっとやることあるんじゃないのか」
「......ないよ、俺にできることなんて......なにもない......」
覇気のない宰の声に、遼はグッと拳を握りしめた。
「佐々木が誰かと付き合ってるの何人か見てきたけど、いつも振られて終わるよな。付き合ってって言われたら断ることもせず誰とでも付き合ってたし、合コンとか女の子に興味あるふりしてるけど、お前ってさ結局誰にも本気になってないじゃん。少なくとも俺にはいつもそう見えてた。そういう気持ちって相手に伝わるんだよ、だからいつも向こうから離れていくんだ。そしてお前がそれを追いかけたり、自分から誰かに告白するところも見たことない」
「......そんなことな」
「あるよ」
弱い声で否定する宰に向かって、遼は強く断言する。
気付かれていないと思っていたのに。図星をさされて宰は黙り込んだ。
忘れたふりをしても、宰の心の中にはいつだって天音がいて。誰と付き合っても、新しい出会いを積極的に探しても、結局忘れることなどできなかったのだ。
「佐々木がこんなに誰かに執着して、分かりやすく感情が表に出てる姿初めて見た。だから、そんなに好きなら簡単にあきらめるべきじゃない」
まるで自分のことのように、遼は熱心に宰に向かって話し続ける。
「俺、は......俺じゃ......ダメなんだよ」
宰は手で顔を覆った。
「先生は......優しくて綺麗で、俺には届かない高嶺の花なんだ。俺みたいな、何の変哲もない平凡な男に...見合うような人じゃないんだ」
どれだけ想っても、自分は天音に見合わない。最初から高望みだったのだ。だから今度こそ、宰は天音をあきらめ――。
「はぁ?」
宰の思考を、遼の間の抜けた声が遮る。あまりに唖然とした声に宰は思わず顔を上げた。遼は心底驚いたようにぽかんとした顔でこちらを見ていた。
「お前......本気で言ってんのか?」
「え? 本気だけど......」
目を細めてこちらを見る遼の迫力に、宰は少しだけ怯んだ。
「はあ~~⁉⁉ なに言ってんだよ‼ 俺なんかよりよっぽどモテるくせに! 気も利くし優しいし、めちゃめちゃイケメンじゃねーかよ。お前......鏡見たことないのか?」
呆れたような顔で遼がそう言った。
「お前のどこが平凡だよ......こんな真剣に心配してるのに、俺のことからかってんのか」
拗ねるようにむくれる遼を宰は呆然と見つめる。
「いや、からかってなんか」
宰はからかっているつもりなんかまるでない、思ってることをそのまま口にしただけだ。嘘なんてついていない。唇を尖らせる遼を見ながら、どうしてからかっていると取られたのか不思議に思う。
瞬間、記憶が過ぎる。
『好きだなんて、そんな風に僕のことからかわないで』
そう言った天音はどんな顔をしていただろうか。宰は自分のことに精一杯で、あの時の天音の顔をよく覚えていない。震えていたあの手は本当に、宰のことを怖がっていたのだろうか。
(まさか......)
宰はハッとするように口元を手で覆った。
その時。
「羽本先生今日も可愛かったな~」
「ほんとに!話せてラッキーだったな」
宰と遼の側を、男子学生二人が通り過ぎる。
「でも羽本先生、安田教授に呼び出されてるって言ってたけど大丈夫かな?」
「え? なんで??」
聞こえてきた名前に、宰はそちらの方に顔を向けた。
安田とは、この前天音のことを食事に誘っていた教授の名前だった。
「あいつあからさまに羽本先生のこと狙ってるじゃん!ここ数日、しつこく付いて回ってるのよく目撃するしさ。ここだけの話、あの教授裏ではけっこう遊んでて、気に入った相手を食事に誘っては酔わせてやばいことしてるって話」
「げー最低~羽本先生大丈夫かなぁ......」
「っ......‼」
宰は勢いよく立ち上がると男子学生の肩を掴んだ。
「それどこで?先生にどこで会った⁉」
「......と、図書館の方だけど」
宰の勢いに驚いて学生は目を白黒させる。
(図書館......!)
場所を聞いた宰は遼の方を振り返る。
「すまん遼! あとは任せた!」
そう叫ぶと宰は荷物を置いて、その場を駆けだした。
「俺、なんか変なこと言いました?」
あっという間に姿が見えなくなった宰が駆け出した方向を見つめ、学生が頭をかく。
「いや助かったありがとう」
遼はその肩をポンと叩いて礼を言った。
「佐々木......頑張れよ......」
間に合いますようにと祈りながら、遼は佐々木にエールを送った。
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