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――カノンの実家。そこは古民家をリノベーションした邸宅。石垣に囲まれ、広い庭には季節ごとに色とりどりの花が咲いており、見る者の目を楽しませてくれる。
「そろそろ桜の季節ね」
一本桜を眺めながらユキが正面玄関に立った時、いきなり扉が開かれた。
「あらユキちゃん。どうしたの?」
早々と運動服に着替えたカノンが問う。
「え……と。今からジョギングですか?」
「そのつもり。でもいいのよ。せっかく来てくれたんだから中に入りなさいな」
カノンの軽い誘いにユキは申し訳ない気持ちになった。
正面に立っているカノンの見事なスタイルは、日々の努力の成果であることを知っていたからだ。それを偶然とはいえ邪魔することになったのは、ユキにとって不本意なことである。
それでも今さら「やっぱり帰ります」と断るわけにもいかず、玄関を上がるカノンに付き従うユキだった。
――カノンの寝室。角部屋の六畳間からは庭全体が一望できる。ほかにも広い部屋があるのだが、当の本人はここが一番気に入っているという。
ユキも彼女と同じ意見だった。とにかく眺めがいい。老舗の温泉旅館にでもいるような気分が味わえる。
「はぁ……やっぱりここは落ち着きますねェ」
「今朝はウグイスの声が聞こえたのよ。はい、コーヒー。それで何の用かしら」
「カノンさん。もうすぐ春休みですよね。どんな予定なんですか?」
「うーん、そうねぇ……」
カノンはおもむろにストレッチを始めた。ジョギングの代わりなのかもしれない。彼女は全身運動のほかに バランス運動や筋トレも毎日欠かさずやる。
本来、彼女のような美人であればそこまで努力する必要はないし、若いのだから化粧するとかもっと手軽に済ませる手段はほかにもあるだろうに、そんなことはしないし興味もないらしい。
ユキは思う。
兄といい、カノンといい、あくまでストイックな二人だと。もう少し緩く生きてもいいのではなかろうか。
「たぶん午前中はトレーニングして、午後は近くの温泉で疲れを癒やして、夜はぐっすり寝るだけよ。ユキちゃんも一緒にどう? 細胞が若返るわよ」
「いえ……遠慮いたします。運動苦手なもんで」
ユキが笑顔を浮かべると、カノンは笑いながら反対側のストレッチを始めた。
「分かってるわよ、ユキちゃん。春休みの計画を考えているんでしょ?」
「……! そうです。そのとおりですっ」
「ミノルのことだから受験勉強を盾に断られたんじゃないの? 好きにしろ、みたいな感じで」
「すごいですっ。さすが兄さんの幼馴染み。判ってらっしゃる」
「昔のことを思い出すわねぇ。ユキちゃんがつまらなそうな顔でウチに来た日のこと。あの時は私と一緒に海岸通りまで打ち上げ花火を見に行ったの覚えてる?」
「はい。でも兄さんは出不精なだけで、家ではよくしてくれるんですよ。アタシの高校受験の時だってずっとつきっきりで勉強教えてくれたり。あと、お小遣いがピンチの時はすぐ自分の財布から貸してくれたり――」
「なんだかんだ言ってユキちゃんには甘いから」
「まぁでも、せっかくの休みなんで何か思い出に残ることがしたいですよね」
「それで私に相談に来たわけか……いいわよ。それならユキちゃんの誕生日はウチでお祝いしましょう。それでどうかしら」
「ホントですか?」
「もちろんよ。楽しみにしてて」
「ありがとうございます、カノンさん。でも兄さんは無理に誘わなくてもいいです。半分諦めてますから」
カノンの見送りを受けながら、ユキはとびっきりの笑顔でハンドルを握った。
(カノンさん、優しいな。大好き)
陽が傾きかけている。ユキの影がここに来たときより伸びていた。
自転車を押して小道に入った時、一匹の猫が視界に入った。白猫だ。
「チャーム?」
思わず声をかけた。白猫は一瞬立ち止まり振り返ったが、そのまま敷地内へと進んでいった。
「何よ。薄情なやつね」
その猫はチャームに間違いなかった。あのコンビニの近くで三人で見つけた捨て猫に違いなかった。あの日あの時、ユキが飼いたいと涙を流して申し出たのだが、母親に猛反対されて結局カノンの家に引き取られることになったオス猫。
今では飼い主に似ることなくでっぷりとした姿へと変貌し、悠々と近所を我が物顔で闊歩するボス猫として君臨している。
「バイバイ、チャーム。あんた、ご主人様を見習って少しダイエットした方がいいよ」
チャームはピンと立てた尻尾を振った。ユキの言葉に反応したのか、ただの気まぐれなのかは分からない。
ユキは自転車に跨がり、ペダルを踏む足に力を込めた。景色が流れ出す。風がひんやりして少し肌寒かった。
三月二十二日。春休み前日のことだった。
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