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三角形の重心から運命線を探す
主人公変わって幼なじみの彼女視点になります。
* * * * *
恋とか愛とか、そんな感情を示す矢印、
好きという気持ち。
それを誰かに向けた人が三人いて、
その方向がこんがらがっている状態のことを人は、
三角関係と呼びます。
*
恋をした。
生まれて初めて、胸がぎゅーっとなって。
その人と両想いだとわかった日、私たちの関係に新しい名前がついた。
「彼氏が、できた……」
改めて考えるとくすぐったくて、息を止めて顔を枕に押し付けた。
今でも信じられない、あんなにかっこいい人が。
一目惚れだった、と言ってくれた。
出会った瞬間に可愛いと思って、猫カフェを出るころには好きになっていた、と。
『俺ばっか話してるな、ごめん』
彼の言葉に上手な返答ができず、駅のホーム、ベンチに並んで静かに去りゆくテールライトを眺めていた。
私も、好きです。
かろうじて声にできた言葉はちゃんと、彼に伝わっていただろうか。
『じゃあ、また……』
そう言って別れた彼には、私自身にも解決しなければならない問題がある。
「キス……した、よね?」
それはつい先週のことだ。
公園のブランコで、幼なじみの男の子にキスをされた。と言っても事故みたいな、ブランコが揺れて唇と唇がぶつかっただけ……
「そんなわけないか」
大きく息を吐き出して、枕に顔を埋める。
あの後、わけがわからなくて逃げるように公園を出た。
一度も振り返らなかったので幼なじみの、涼太がどんな顔をしていたかはわからない。
家に帰ってすぐお風呂に入って、泡のついた手で唇を触ると自然と涙が流れた。
好きだ、とあの時聞こえた。
聞き間違いじゃなければ涼太は、私のことが好きで……いつから?
だって私たち、言葉もろくに喋れない時期からずっと一緒にいて。
家族みんなで行ったキャンプや遊園地だって、いつも一緒に……
いや、振り返ってみれば不思議な点はある。
もともと無愛想なところはあるが涼太は人付き合いが好きじゃなくて、私以外とは無駄話もしない。
小さいころから私の前を歩いてくれて、悪戯されたらすぐに飛んできてくれた。
高校受験だってそうだ。
涼太ならもっと良いとこ狙えるだろうにどうして私と同じ高校を……
「私のせい? あれ? 私のせい?」
だって、でも、何かを言われたわけでもないし。
そもそも言ってくれないと気づかないというか、わからないというか。
「涼太、私のことが好きだったの?」
鈍感な私が悪い……いや、だから、言ってくれないとわからないって!
言わないほうも悪くない?
察しろってこと?
難しいよ、無理じゃない?
「涼太だって悪い!」
独り言を終わらせて布団をかぶると、秒で眠気が襲ってきた。
だけど夢にうなされて目が覚めて、「私が悪いのかな……」と妙な罪悪感で眠れなかった。
*
寝不足続きの三日目。
なんとか起きて学校に行って授業中に居眠りをして、寄り道せず家に帰ることにした。
ふわふわと電車に揺られて改札をぬけて、噴水広場に涼太の姿がないことを確認する。徒歩通学の涼太が駅に近寄る必要はないんだけど。なぜか、時々この噴水広場にいる。
噴水岩に腰掛けて、私に気付くと表情を変えないまま立ち上がって。
前を歩いてくれたのは最初だけ。
二回目は用事があると先に帰って、残された私と先輩の二人で猫カフェに行った。
三回目は先週、キスをした日だ。
「居るわけないか」
話をしなければと思っていた。
だけど何をどう話していいかわからず、会えないことに安堵している自分もいる。
あくびを噛み殺しながら歩き自宅付近になったころ、スマホが鳴った。
「あ……」
自然と顔がにやけてしまう。
先輩、彼氏からだった。
画面に表示された可愛いスタンプ。
今から部活かな? なんて考えてロックを解除した時、
「スマホ見ながら歩くなよ」
聞き慣れた低い声に、肩が跳ねる。
スマホをポケットに入れて、おそるおそる振り返る。
顔を見なくても、相手が誰だかわかっていた。
「え、と……おかえり、涼太」
名前を呼ぶと、涼太は不機嫌そうに目をそらし、鞄を抱え直した。
「俺の家、ここじゃないし」
「あ、そうだね。涼太の家は向こうだね……えっと、寄っていく?」
私の指先を追って、涼太が視線を上げた。
二階の窓、私の部屋だ。
「誰もいないの?」
「お母さん、今の時間パートに行ってるから」
「……寄ってく」
「あ、そっか、うん」
鍵を取り出し、カチャカチャと穴に差し込む。
涼太の視線は私の手元か、背中か。
とにかく全身が熱くて痛くて、苦しかった。
*
涼太が部屋に来るのは何年振りだろう……何年振り?
それほどまでに、部屋に上げていなかった。
互いの部屋を行き来して遊んだのは何歳までだったか。
いつの間に私たち、関係が変わったのだろう。
涼太はいつから、意識してた?
「馬鹿だろ」
私の部屋、ベッドを背もたれにして座った涼太が呟いた。
わかる……さすがにそこまで鈍感じゃない。
なにが馬鹿なのか、ちゃんとわかってる。
「り、涼太は、幼なじみだから……」
涼太の目つきが厳しくなる。
その前からわかっていた、馬鹿なことを言った。
ただの幼なじみだから、部屋に上げてもいいと思っただなんて。
先週なにをされたか覚えてるくせに、涼太の気持ちを、わかってるくせに。
情けなくて、なんて言えばいいかわからなくて、涙が溢れてきた。
「ごめん、ちょっと待ってて……」
ドアノブに伸ばした私の手を、涼太の腕が掴む。
強い力で引っ張られ、気付いた時にはベッドに押し倒されていた。
仰向けで横たわる私の上、唇と唇の距離は約二十センチ。
「ごめ、ごめんなさい」
「……どうして謝る?」
「わたし、そういうつもりじゃなくて……」
「そういうつもりじゃない男を部屋に上げるな」
「わか……わかってる」
「わかってないだろ? そっちが男って思ってなくても、こっちはお前のこと女として見てる」
「……いま、わかった」
涼太が眉間に皺を寄せる。
涙が出ていた、私の目から。
ボタボタ、涙の粒が耳に入って、髪と布団のシーツを濡らす。
涼太に腕を押さえられているせいで、拭くことはできない。
目も、そらすことは出来ない。
「もし、先輩だったらきっと、上げてない」
「は?」
「先輩に、部屋行っていいかって聞かれても私たぶん、まだダメって言うと思う」
困惑していた涼太がはっと、私の言葉の意味に気がついた。
私の腕を掴んだまま、唇を噛んで目を瞑る。
力強く、なにかを我慢するかのように。
「先輩だけか?」
「……うん」
「先輩以外の男は、俺でも誰でも部屋上げてた?」
「今はもうダメって言うけど、普通に、いいよって言ってたと思う。十分前までの私なら」
「何も起こらないだろうって? 自分にその気がないから?」
「男女がどうとか恋愛とか、そんなものを、わかってなかったから」
「……ゆいのそういう馬鹿で、なにも考えてない無邪気なとこ、好きだった」
ため息を吐いた涼太が、手のひらでくしゃりと前髪を潰す。
再度のため息とともにベッドから退き、私に背を向けて床に座った。
「俺はいつか、ゆいと結婚すると思ってた」
軽く顎をあげて、天井のほうを向いて、涼太が語り始める。
私が見ているのは背中だから、涼太の表情はわからない。
「新居どうしよう、団地の新しいとこに建てるかそしたら今の家どうしようとか。その前に就職だな、大学はゆいが通うところの近くを受けよう、とか」
背中を丸めた涼太が、大きく息を吐いて前髪に手を当てた。
緊張してる、なにかをやり遂げる前にやる涼太の癖だ。
わかる、そんなことまでわかるのに……きっと、将来、新しい家で涼太と暮らすのは私じゃない。
「母さんたちも喜ぶと思ったんだよ。子どもだって俺たちなら絶対かわいい。家族みんなでまた旅行に行けるんだって、今度は本物の家族だなって……馬鹿だ、俺」
当たり前に思い浮かべていた。
当然のように描いていた未来が、こんな形でなくなるなんて。
と、話す涼太の声は微かに震えていた。
「ゆい、好きだ」
突然すぎて、意味がわからなくて固まってしまった。
しばらくして告白されたことに気がついて、慌てて身を起こす。
だけど声が出なくて、涙がボロボロこぼれて、呆れたような顔で涼太が振り返った。
「泣き虫なのは変わらないな。……公園のブランコ、漕ぎ方がわからないから押してくれって泣いたの覚えてる?」
首を横に振ると、涼太がふっと寂しそうな笑みを浮かべた。
「あの時も、今みたいにぐっちゃぐちゃに泣いて、結局俺が押してやって……いつの間にか、俺の知らない間に、ゆいは自分でブランコ漕げるようになってた」
覚えてない。
ブランコなんて、記憶にある中では普通に乗っていたから。
「ずっと見てきたはずなのに、全然見えてなかったな。肝心なところはいつも、別の誰かが持っていく……そうだな、ゆいを変えるのはいつも、俺じゃなかった」
勉強がわからないから教えてよと泣いて、涼太は必死に教えてくれたけど全然ダメで、塾に通うことにした。
キャンプの肝試しだって、涼太は前を歩いてくれたのに。私は引き返して両親に助けを求めて、父にしがみついていた。
同じ高校を受けると聞いて嬉しかったけど結局、私たちは別々の道を進んで。
『恋とか愛とか、そんなことはよくわからない』
涼太とそんな話をしたすぐ後に、私にそれを教えてくれたのは先輩だった。
「俺の知ってるゆいは、俺の好きな幼なじみもう、いないんだろうな」
涼太の背中が丸まっていて、寂しそうで。
その時になって気がついた。
こんなに大きかったんだ、と。
いつの間にこんなに背が伸びて、大人になったんだろう。
ずっと一緒にいたのに、一番近くにいたのに。
私は全然、涼太のことを見ていなかった。
「き、気づけてよかったね」
私の言葉に、涼太が振り返る。
「は?」と、驚いたような表情。
目元が少し、湿っぽくなっていた。
「ずっと一緒にいたけど私たち、最後は結局別々の道を歩くから、今、早めに気づけてよかったね」
手の甲で涙と鼻水を拭いながら、あ、失言だった。と気がついた。
顔を上げると、呆然と私を見つめる涼太の視線。
しばらくしてそれが、ふやっと綻んだ。
「なに言ってんだ、マジで。振った相手に言うことじゃないだろ」
あははははっと、お腹を抱えて笑う涼太は無理をしているわけではなく、本当に面白さで笑っていた。
わかる、ずっと一緒にいたからわかる。
馬鹿な私の失敗をそうやって、笑顔で許してくれた。
「あー、いや……まだ、振られてないな」
目尻に溜まった涙を拭いながら、涼太が私に向き直った。
ベッドに腰掛ける私と、床に座って私を見上げる涼太。
きゅっと両手を握られたが逃げなかった。
これで最後だから。
今まで散々手を繋いで、一緒に歩いてきたけれど、これが最後。
「ずっと好きだった。ゆい、俺と付き合ってください」
「……ごめんなさい」
好きな人がいます。
だから、
「涼太とは付き合えない。先輩のことが好きで、きっとこれからずっと、涼太に対する気持ちが先輩を越えることはない」
「……言えるじゃん」
はぁーっとため息を吐いた涼太が、膝に顔を埋めた。
「わかってると思うけど、これ、俺の優しさだからな? 告られたらちゃんと、自分から返事しろよ?」
「うん……」
「それ以前に告られんな、相手に気をもたすな」
「……気をつける」
「鈍感なの直せ、前見て歩け。さっきだってふらふら、急に動いたと思ったらスマホ見るし」
「ずっと見てたの?」
「団地に入る、ちょっと前から」
「声かけ……れなかったよね。ごめん」
「……今、ちょっとだけ優越感」
なんだろうと首を傾げると、涼太が顔を上げた。
「自分で気づけたじゃん、相手の気持ちを察することができた。ゆいが成長するきっかけを俺が作った、初めて」
「……うん」
「警戒心ってのも教えてやったし。そういえば恋とか愛とか、ゆいにそれを教えたのは先輩だけど紹介したのは俺だから、結局全部俺のおかげじゃん」
「涼太は、私にとって必要な人だよ。ずっと一緒にいて、人生の一部みたいになってて……何もないってことはない、たくさんのことを教えてくれた。涼太は私にとって、大切な人だよ」
「……そういうとこだよなぁ」
くすくすっと笑った涼太が再び頭を下げた。
なにがおかしかったかわからなくて首を傾げる私の手に、涼太の手が重なる。
「ゆい、サヨナラして欲しい」
私を見た涼太の顔は怒っている風ではなくむしろ逆、雨上がりの空のようだった。
「今までと同じとか、同じように声をかけるとか俺には無理だ。好きだから優しくしてたけど、これからはもうやめる、やめたい。特別な一人じゃなくてただの同級生、付き合いが長い幼なじみってだけの位置にしたい」
「……うん」
「話しかけられても素っ気なく返したいし、ふらふらスマホ見ながら歩いてても注意しない。先輩との仲がどうなっても、俺は知らない。ゆいが泣いててももう知らない。好きなままでいるとか陰から見守るとか、少女漫画の真似みたいなのはできない……極端だと、弱虫だと思う?」
「……わからないけど、寂しい、とは思う」
「うん」
「けど……優しいままでいて欲しいって思ってしまうのは私のわがままで、酷いこと考えてるってのは、わかる。私が先輩を選んだ以上、私に向けられていた涼太の優しさはもう、私のものじゃない」
「よかった、思った以上に話が通じる」
「……ちょっとそれ、私が頭悪いってこと?」
冗談かどうかわからなくて声を小さくして怒ると、涼太があははっとおかしそうに笑った。
間違ってなかった、よかった。
そのことに安堵してしまうほど、慣れ親しんだ幼なじみの顔色を窺ってしまうほど、緊張していた。
ここで言葉を間違えればきっと、涼太とはもう、二度と話ができない。
「だから今のゆいとは、俺が好きだった幼なじみとはもうお別れしたい。しばらくは連絡もしないで、見かけても声かけないで」
「……うん」
「それでいつか俺が、ゆいをただの幼なじみとして見ることができたらまた、友達になって欲しい」
「…………うん」
ポタポタポタッと、涙が涼太の手の甲に落ちた。
「最後」と言って、涼太の右手が私の涙を拭う。
見つめ合って、目線を合わせて、微笑み合って。
「じゃあ、また……」
言葉を交わして、涼太が手を離した。
だから、涙は自分でなんとかするしか無くて。ベッドを降りてティッシュを取りに行った。
涼太が笑ってるのがわかる。
呆れたように優しく、今はまだ、好きな女の子を見守る視線で。
「帰るから」
冷たくなった声に顔を上げる。
ドアを半開きにしたまま、涼太が私に振り返る。
「そういえば俺、謝らないから」
なんだろうと惚ける私に、涼太が真顔でその答えを告げる。
「キスしたこと、謝らない」
涼太の言葉は漠然として、私は呆然としていて、しばらくして言葉の意味を理解した私の胸に熱い空気みたいなものが入ってきた。
「あ、あやまろうよ……」
ダメ、いけないと思うのに我慢できず「あははっ」と声が先に出て。
涙でぐちゃぐちゃになった顔もつられて、笑ってしまった。
「そこまで言ったなら、謝ろうよ」
寂しさで泣いているのか、おかしくて泣いているのかわからなくなっていた。
だけど涼太が微笑んだから、嬉しそうに笑ったから、間違いじゃなかったんだと思った。
ティッシュで鼻を噛んでいる間にドアは閉まっていて。
いつの間にか、私の知らない瞬間に、涼太は出て行った。
一人残された部屋でしばらく泣いて、ふと、先輩から連絡が来ていたことを思い出した。
こんな時にとは思うけど我慢出来ず、ポケットからスマホを取り出す。
『お疲れさま』のかわいいスタンプの後に、『部活休みになった。今日会えない?』のメッセージ。
慌てて立ち上がって、時計とメッセージの受信時間を確認する。
一時間近く経っている。
「返事……えっと、会える……会えます、会いたいです」
手が震えて、文字がうまく打てなかった。
早く、早くしないと……あぁ、もう!
スマホ片手に、それ以外のものはなにも持たず、部屋を飛び出した。
靴紐が解けていたけれど結び直す時間も惜しくて、必死に走った。
『転ぶから危ない』と注意してくれる幼なじみはもういない。
走るなと怒って笑ってくれた、涼太はもう私を心配してくれないだろうけど。
大丈夫、一人でいける。
私はちゃんと、自分の意思で自分の足で、先輩の元へ行く。
*
例えば、私たちのこの状態が三角関係と名前のつくものだったとして。
私と涼太と先輩の三人で、三角形を作っていたとして。
私はずっと、正解を探していたのだろう。
三角形の重心から二人を見つめて、どうすればいいのかわからなくて佇んで。
あぁ、そっか、そうだ。
違うよ、涼太。
大事なことはいつも、涼太が教えてくれたよ。
三角形の重心から動けないでいる私に、頂点から声をかけてくれて。
私はようやく先輩を、底辺で私を待ってくれている恋の相手を見つけた。
三角形の頂点から垂線を落としてもらって、重心という私を連れて、底辺へ。
運命線を探して、大好きな彼の元へ。
*
物語が始まった場所。
三角形が作られた広場に着くと、噴水岩のところに彼がいた。
涼太と同じ制服、だけど先輩のほうが上手く着こなしていてかっこいい。
三年生だからか、背が高いからか。
ううん、違う、きっと、私が彼を好きだからだ。
私の足音に、先輩がスマホから顔を上げた。
驚いた先輩の表情が途端、喜楽のそれに変わる。
スマホをポケットに収めて、私の元へ駆け寄る。
運命線が繋がれるこの瞬間。
涼太が紹介してくれたこの感情を、
先輩が教えてくれたこの気持ちを、
恋とか愛とかそんなものを、一緒に、語りませんか?
*終
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