悪夢

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悪夢

 母さんは昼間からずっと、台所と居間を往復してせわしくなく動いていた。夜に開かれる誕生会のごちそうを作っていたのだ。  今日は私の六歳の誕生会。本当の誕生日は二日前だけど、仕事で忙しい父さんの休みに合わせて今日パーティをすることになった。二日遅れくらいどうってことはない。  毎年招いているイサハヤおじちゃんの都合がつかなかったことが残念だけれど、彼からは可憐なワンピースのプレゼントが二日前に届いていた。それを着た私は異国のお姫様のようだと鏡の前でうっとりした。  お姫様に相応しいパーティ会場となるように、私は薄い色紙を花の形に折り、壁やテーブルに自ら飾り付けを(ほどこ)していた。  幼児用の椅子に座る四歳下の弟、エナミが退屈そうにモジモジしていた。察した父さんが木製の船の玩具を手渡した。エナミは小さな指で玩具の形状をなぞっていた。 「注文していたケーキを取ってくる」  そう言って夕刻に父さんは家を出ていった。海の向こうの国から伝わったとされるケーキは、当時の州央(スオウ)では珍しい食べ物だった。家庭で焼くことができず、専門店でしか買えなかったのだ。 「ことしはエナミもケーキ、ちょっとはたべていいんだよね?」 「そうね、もう二歳を過ぎたからね」  私達の家には当たり前の幸せが在った。その時までは。  バンッ! と乱暴な音を立てて、鍵を掛けたはずの玄関扉が開けられた。会ったことのない五人の男達がズカズカと家に押し入ってきた。 「ど、どなたですか、あなた達は!?」  男達は質問に答えず、母さんの腕を背中にねじり首に短刀の刃を当てた。 「ひっ……」 「奥さん、だよな? 旦那は何処に居る?」 「お、夫は……、ケーキを引き取りにお店へ……」 「ああん? 留守かよ!」  母さんを拘束した中年男へ、若い長髪の男が声を掛けた。 「せんぱーい、ちゃあんと情報収集しないとー」  語尾を伸ばす嫌な喋り方だ。 「うっせ。店に行ったんならいずれ戻ってくるだろ」 「ああ、むしろ好都合だ。簡単に人質が手に入ったんだから」  異常事態を察した私はエナミの元へ駆け寄り、無言で彼の身体を抱きしめた。 「それにしてもイオリの奴、ずいぶんイイ女と結婚してたんだな」  イオリ。それは父さんの名前だ。でもこの下卑(げび)た男達のことを私は知らない。国の兵士である父さんの友達に何度か会っていたが、みんなイサハヤおじちゃんのように身なりのしっかりした好青年ばかりだった。  男達のうちの数人が、母さんの身体をねっとりと(まと)わり付くような視線で眺めた。 「隊長、この女ヤッてもいいか?」 「構わんが、イオリがいつ帰ってくるか判らん。ジン、玄関で見張りをしろ」 「俺ですか? シキ、おめーがやれよ」 「隊長はジン先輩をご指名ですよー?」 「シキは戸口に立つと目立つ。おまえが行くんだ、ジン」 「チッ、しゃーねぇな。へいへい、見張りやりますからちゃんと俺にもその女、後で回してくれよ?」 「嫌! やめ、やめて下さい!」  二人の男が母さんを居間の床に押し倒した。 「イヤァァァァ!」 「うるせぇ!!」  悲鳴を上げた母さんは男に顔面を殴られた。鼻血で顔下半分が赤く染まった母さんはぐったりした。 「せんぱーい、あんまり無茶すると人質死んじゃいますよー?」 「別に構わない。人質は一人残っていればいい。そうだな、下のガキは残せ。あとは好きにしていい」  隊長らしき男が無慈悲なことを言った。 「アハハ、相変わらず隊長はおっかないや」  長髪の若い男がこちらに近付き、指で私の顎を乱暴に上げ自分へ向けた。彼の右目の下には特徴的な涙黒子が有った。 「残念だねお姉ちゃん。キミはここで死んじゃう運命みたいだ。もう少し成長していたら、死ぬ前にボクと楽しめたのにねー?」  おぞましいことを言ってのけた男の指を、私は強く噛んだ。 「ってぇ! このガキ!!」  若い男は怒りに任せて私を左手で薙ぎ払った。床に強く叩き付けられた私は頭がクラクラして動けなくなった。 「ほぉ、流石はイオリの娘だな。鍛えればいい戦士になりそうだ」 「ムカつく……」 「いや、本当に戦士として育ててみようか。まだ洗脳が可能な年齢だろう」 「隊長、本気ですかー?」 「ああ。シキ、その娘を連れて先にアジトへ戻っていろ」 「ええ!? ボクがイオリの首を獲って、大手柄を立てる予定だったのにー!」 「いいから行け。おまえが居ると現場がうるさい」  シキと呼ばれている若い男は、渋々といった感じで私を己の肩に担いだ。その時、他には届かないとても小さな声で彼は囁いた。 「……ごめんな。ここで死なせてあげた方がきっと苦しまずに済んだ」  これは彼の懺悔の言葉だろうか? でもそんなことは重要ではなかった。男達に組み敷かれた母さんと残された幼いエナミ。  二人を助けたい。だのに私の意識は徐々に闇に呑まれていったのだった…………。 ☆☆☆  目覚めた私は自室の布団の中で荒い息を吐いていた。 「何で……」  寝汗を掻いたようで寝間着が身体に張り付いて気持ちが悪い。 「何で思い出させるんだよッ、畜生!!!!」  私は枕を力任せに壁へ投げ付けた。繊維が少し裂けたようで中身のそば殻が宙を舞った。 「あぁもう…………!」  両手で頭を抱えた私は呻いた。  幸せな夢を見たかった。夢の中の家族は生きている。顔はぼんやりとだが、二歳だった弟も成長している。私達家族は笑い合っている。夢の中でなら。  だというのに今日の夢は私に現実を見せてきた。十七年前に起きた真実を。  あの日、私は若い頃のシキによって隠密隊に連れてこられた。そう、家を襲ったのは国の為に働く忍びの連中だったのだ。  奴らの狙いは父さん。王太子の近衛兵を務める程に優秀な弓兵だった父さんには、家族の知らない裏の顔が存在した。父さんは狙撃の腕を買われ、暗殺の仕事を請け負っていたと後でシキから聞いた。  でもそれは王太子からの命令だった。王家に逆らえず、父さんは嫌々任務に当たっていたに過ぎない。そして用済みとなったら口封じ。酷い話だ。  あれから家族がどうなったのか判らない。  事実を並べると私達の家が全焼し、焼け跡からは身体がバラバラになった遺体が何体も見つかり、家に残った隠密隊は誰一人としてアジトへ戻ってこなかった。  そして後日にとある港町で、父さんによく似た背格好の男性が幼い子供と一緒に船に乗り込む姿が目撃されている。  次に隊長となった男は言った。「おそらくは家に戻ったイオリが前隊長達を皆殺しにして、誰が死んだか判らないように自ら家に火を放ったのだろう」と。  そうであって欲しい。  国の暗殺者だった父さんを放置できず、隠密隊は何度も国内外に刺客を放った。隣国の桜里(オウリ)で父さんらしき男を討ち取ったらしいが、本人であるという証拠が無いので真偽の程は曖昧だ。  母さんの姿は一度も目撃されていない。きっともう死んでいるのだろう。  私は仇の本拠地であるここで、まだ希望が有る父さんと弟エナミの無事を祈るしかできないのだ。  悪夢に何度もうなされながら…………。
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