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嘘
午前六時。空を彩っていた朝焼けが姿を消して、人々が活動するに適した明るさとなっていた。
昨夜、日付が変わるギリギリ前に私達はフタゴカミダケへ到着した。まだ土地勘の無い内に夜間行動は危険だとアキオが判断して、馬車の中で座位のまま眠り夜を明かした。
本日からさっそく現地の調査だ。桜里兵は情報通り山越えをして陣を張っているのだろうか? だとしたら麓に在る小さな集落は、既に彼らに買収されたか脅されて占拠されている可能性が高い。
「ちっ、自国だってのにコソコソ行動しなくちゃならんとはな。しかも不便なド田舎ときてる!」
モロが不平を漏らした。実は私も内心ではゲンナリしていた。今回の任務はいろいろ疲れて長引きそうだ。
布団で横になって眠れないだろうし、見つからないように馬車と御者は離れた場所に待機させたので、偵察へ赴く度に毎回けっこうな距離を歩かなければならない。
小石が多く固い地面はゴツゴツしていて地味に足裏が攻撃される。足つぼマッサージだと思えばいいか。
「……二人とも気配を消せ。誰か居る」
先頭を歩いていたアキオに注意されて、私達は大きな岩陰に隠れた。そこから少し頭を出して前方を確かめると、三十メートルほど先に二人の女らしき人影を視認できた。こんな早朝に何をしているのだろう?
距離が有るので双眼鏡を取り出して使った。これはイザーカ国からの舶来品で、それまでの備品だった遠眼鏡より高性能、かつ小型で携帯しやすい優れものだ。
質素な服装の彼女達は麓の集落の住人なのかな? 彼女達はそれぞれ一つのカメを抱えていた。そしてそれを使って山肌から湧き出る清水を汲んだ。どうやら水汲みが朝一番に行われる彼女達の仕事らしい。ここは井戸を掘るには適さない地形なのだろうか。
「あれ?」
水を汲んだ女達は歩き始めたが、地図を見て記憶していた集落の位置とは違う方向へ進んでいた。
「隊長、あの人達は何処へ向かっているんでしょう?」
「……桜里兵団の陣かもしれない」
「あちゃー……やっぱり、麓の村人は桜里の手に落ちちゃいましたかね」
私から望遠鏡を受け取ったモロが、女達を観察してから鼻を鳴らした。
「へッ、どっちもまだ若いねーちゃんじゃねぇか。桜里の連中はどこまで自分達の世話をさせているのやら」
「………………」
下品な発言だが私とアキオは反論できなかった。
兵団の規律では一応、略奪や現地民への暴行が禁止されている。しかし命懸けの戦に身を投じる兵士達のストレスは大変なものだ。部下のガス抜きの為に上官が女を調達することは珍しくない。
娼館が近くに在れば簡単だが、無い場合は現地住民に協力を求めることになる。表向きは世話係として雇われる彼女達は、たいてい家族を人質に取られて強制的に奉公させられている。
「とにかく追うぞ」
彼女達の行く先が桜里兵団の陣ならば、本日第一の課題「敵兵の発見」を早くもクリアだ。
岩や樹木の陰を利用しながら女達の後を追った。ちなみに尾行というものは「だるまさんがころんだ」そのまんまだ。
「きゃ!」
少し歩いた所で、背が高い方の女が軽く躓いた。転びはしなかったもののカメの中の水を盛大にバラ撒いてしまった。
「やだ私ったら。ごめんねヒーちゃん、もう一回汲んでくるからちょっと待ってて!」
女はくるっと振り返った。ヤバ! 出てる、私の身体が木の陰から出てる!!
女が躓いた時点で隠密隊は近くの樹木にダッシュしたのだが、太い樹は既にアキオとモロに取られていた。仕方なく細い木に身を潜めたがたぶん肉を隠し切れていない!
タタタタタと小走りに引き返してきた背が高い方の女は、
「………………ん?」
立ち止まって私が微妙にはみ出している木を凝視した。まぁ気づきますよね、田舎育ちの人って目が良いし。
「ヒッ! だ、誰!?」
「待って、私は州央の人間よ!」
私は両手を上げて敵意が無いことを示しながら木の陰から姿を現した。見つかってしまった以上は彼女を懐柔しないと。
「安心して、私はあなたの味方よ」
当然だが突然現れた私に女は戸惑っていた。私の腰に差された太刀をチラチラ見ている。女同士ということが幸いしたのか逃げるまでには至っていないが。
「この近くの村が、桜里の兵に占領されたって情報が入ったから確かめにきたの」
「………………え」
彼女は懐疑的な目つきで私を見た。そこへ背の低い女が近付いてきた。
「ヒーちゃん、あなたはあっちへ行っていなさい」
背が高い女は相方を危険から遠ざけようとしたが、ヒーちゃんと呼ばれた背の低い女は首を横に振って拒否反応を示した。この二人の顔立ちはよく似ている。
「ええと、そのコは妹さん?」
「は、はい……。幼い頃の病が原因で喋れないんです」
「そう。可愛い子ね」
「………………」
見た感じ背の高い方が私と同じくらいの年頃で、ヒーちゃんは十五、六歳くらいだ。
さて言葉選びは慎重にしないとな。桜里兵に密告されないように、懐柔に失敗したら女は二人とも殺さなくてはならなくなる。隠れたままのアキオとモロは刀に手を掛けているだろう。
「それで情報は本当なのかしら? 桜里兵が実際にこの土地へ来ているの? あなた達は酷い目に遭っていない?」
できるだけ優しく問い掛けたが、女達は唇を噛んで発言しなかった。
「あのね……、もし大切な人が捕まっているとしたら……」
この私の言葉に女達の目が見開かれた。間違いない、彼女達は人質を取られているんだ。そして桜里兵団も駐屯している。
「家族や友達は必ず助け出すと約束する。でも今の私達には情報も人手も足りないの。だからあなた達にも協力してもらいたい」
姉妹の姉の方が弱々しく返した。
「そうなったら……村を巻き込む戦いになりますよね? あの人達はいずれ何処か別の場所へ移るって……、それまで大人しくしていれば命は保証するって言っていました……」
死人が出るよりはいい、それが村人の出した結論なのだろう。うーん、どう説得したものかね。
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