5話 強制発情(マーキング)

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5話 強制発情(マーキング)

 とにかく謝らないと、こんなによくしてくれているのに……。社長相手に、こんなことをしてしまって。  完全に僕が悪いんだから、謝らないと……。しばしの沈黙の後に、僕は意を決して口を開く。 「すみま!」 「ごめんなさい」 「えっ……」  僕が口を開くと同時に、社長も口を開いていた。僕が謝るのは当然だけど、なんで罪悪感を感じているのだろうか。  僕がつい蒼介の名前を口にしたから? それとも僕がここにいるから? やっぱ、直ぐに出て行った方がいいのかも。  そう思って立ち上がって、社長に頭を下げた。寝室に僕のコートが、かかっていたことを思い出す。  その下に僕のカバンがあったから、それを持って帰ろう。そのまま寝室の方に向かおうとすると、血相を変えた社長に急に腕を掴まれた。 「何処に行くんですか」 「……帰ります」 「な……んで」 「これ以上、社長にご迷惑おかけするわけには行かないので」  僕がそう言ったら、掴まれた腕を更に強く握られた。それでもそんなに痛くないのは、この人の優しさなのだろう。  それでも……昨日はたまたま、助けてくれただけ。この人がどんなに優しくても、只の一社員にここまでする道理はない。  まだ明るい時間帯だから、彼も仕事だろう。流石に今日は大事な商談があったと思うから、休めないだろうから。  そう思って握っている力が弱まった時に、僕は寝室の方に再び歩き出す。寝室のドアノブに手をかけた瞬間に、後ろから急に抱きしめられた。 「しゃ」 「ダメだ……絶対に、帰さない」 「なっ……」  いつもと雰囲気が、違って驚いて後ろを振り向く。そこには、見たこともないほどに怒っている只のαがいた。  怖かった……さっきまで優しい笑みを浮かべていた人が、急にこんなオスの表情をするなんて。  全身を包まれているように、感じて体中の体温が上昇していく。自分でも分かる……これは、上級αによるΩに対する強制発情(マーキング)だ。  マーキングとは、上級αにしか出来ないと言われている能力の一つだ。上級αがこの人と決めたΩにしか出来ない。  名前の通りに強制的に発情期にさせて、Ωの体の自由を奪うものだ。Ωはこのマーキングには、絶対に逆らうことが出来ない。 「湊、もう一度言う。俺の側から、離れるな」 「かえ……で……さ」  僕が目を見て名前を呼ぶと、急にマーキングが解除された。体を支えることが出来ずに、その場にへたり込む。  体に全くと言っていいほど、力が入らなくなってしまう。マーキングをされたのは、初めてだったから特に効いてしまった。 「あっ……すみません! 大丈夫、ではなさそうですね」  すると社長が僕をお姫様抱っこして、寝室の方に連れていく。体がいうことを効いてくれないから、抵抗も出来ないし。  言葉を出そうにも、怖くて何も言えない。社長はそんな僕に気を遣ってか、優しい笑みを浮かべていた。いつもなら、綺麗だと思っていただろう。  今は只々、その笑顔が少し不気味に見えてしまった。ベッドに寝かされて、甘い声で囁かれる。 「もう二度と、帰るなんて言わないでくださいね」 「しゃ……ちょう、でも迷惑が」 「誰か迷惑だなんて言いましたか?」 「それは言ってないですけど……」  布団をかけてくれて、おでこにキスを落とされた。その時の表情がいつもと、同じで綺麗で美しかった。  布団から顔だけ出して、ベッドの横に座っている社長を見る。真っ直ぐに僕を見て、優しく微笑んでくれている。  確かに迷惑だなんて言われていない。それでも、絶対にこのままでいいわけがない……。  そんなこと分かっているのに、体は疲れて瞼が重たくなってしまう。そんな時に、優しく頭を撫でてくれた。 「おやすみなさい」 「おやすみ……」  その優しい声色と眼差しが、亡くなった両親に似ていた。大事なものを見つめる瞳と、愛おしいそうに触れられた。  そのせいか、気がつくと寝てしまったようだった。不思議と不安と恐怖はなく、とても幸せな眠りだった。  久しぶりに両親の夢を見て、只々笑顔を浮かべていた。僕はとても、嬉しくなってしまった。  目が覚めるとカーテンの向こうは、既に暗くなっていた。どれだけの時間、寝てしまったのだろうか。  相変わらずで、この部屋には時計がない。ベッドの横を見ても、社長の姿は影も形もなかった。 「寂しい……」 「大丈夫ですよ。私がいるので」  僕が呟くと灯りがついて、社長の優しい笑みが見えた。僕は自分の頬に何やら、暖かいものが溢れていくのが感じた。  すると社長は慌てて僕の近くに寄ってきて、心配そうに涙を拭いてくれた。僕は思わず、社長に抱きついた。  優しく抱きしめてくれて、頭を撫でてくれた。それだけでとてつもなく、安心することが出来た。 「どうしたのですか? どこか、痛いのですか?」 「社長は……なんで、優しくしてくれるのですか」 「……下心ですよ。私は初めて会った時から、貴方に一目惚れしたのです」 「えっ?」  それさっきも言っていたけど、冗談だよね……。そう思って社長の目を見てみると、本気で言っているのは直ぐに分かった。  それと同時に何故、僕にそんな風に甘い顔をするのか分からない。一目惚れって……こんな何処にでもいるような僕に?  イケメンで御曹司の、社長が? 本気で言っているのは、明白だけど……信じれないな。 「あ、あの……僕に一目惚れされるような、要素ないとおも」 「貴方はご自身の魅力に、気がついていないだけですよ」 「あっ……」  顎をクイっとされて、強制的に顔を近づけられた。端正な顔立ちに目を離せずに、見つめ合った。  彼の青みがかった綺麗な瞳が、僕を捉えて離してくれない。本当にカッコいいよね……。  社長が魅力溢れる人だということは、今日この何時間か分からないけど……分かった。  だけどだからこそ、僕みたいな普通の男にそこまでの魅力があるとは思えない。僕は彼が好きだから、社長の本気には応えることは出来ない。  僕は優しくて暖かく、真剣な眼差しを向けてくれている社長から目を逸らした。罪悪感があったけど、どんなことがあっても彼が好きだから。 「すみませんが……社長のお気持ちには……」 「いいですよ。ただ……今は広瀬さんのためにも小笠原さんのためにも、距離をおいた方がいいですよ」 「そうですね……しかし、どうしても会社で会ってしまうので」  確かに……社長の言う通りで、ぐうの音も出ない。でも……かと言って身寄りもないから、どこかに行く当てもないんだけど。
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