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駅前通りから脇道に逸れた路地。
その突き当たり、何軒かの建売住宅横の小さな公園は、草花の管理こそされているものの、ブランコも砂場もない、言わば寂しい場所だった。
だが、公園の片隅にある藤棚だけは違っていた。
4月末ともくれば、風に揺れる藍紫の藤の花は、
殺風景なそれを、一瞬で趣のある情景変える。
とはいえ、その美しさに足を止める人は少ない。
時折通りかかった老人が見上げ今年も咲いたねぇと独り言をこぼすのみ。
藤が咲く前だってそうだ。
午後に通りかかれば、稀に駄菓子をむさぼる子供を見かけたりするものの、通常そこにいるのは、鳩か野鳥か、とにかく邪魔にならないものだけだった。
だからこそ、その下に二脚だけポツンと配置された長ベンチの1つは、この町に越してからというもの固定の読書場所となった。
図書館でもなく、自宅のワンルームでもない、
静かな公園しか本に集中出来ない私にとって、
藤棚下のベンチは、今で言う神席のように輝いて見えた。
なのにその日は、思いがけず隣のベンチに騒々しい男がやって来た。一見ビジネスマン風の男は、
ドサリという音をたてベンチに座っただけでも物々しいのに、苦しげに唸り出すというオプションまで付いていた。
かといってどこか怪我をしている風でも、地面に突っ伏す訳でもないから緊急性はない。
だから私は最初のうち、無視を決め込んでいたし、そうするつもりだった。
だが男の苦しげな唸り声は増すばかり。
くしくもその日、読んでいたミステリー小説は、
丁度佳境を迎えていた。
唸り声の主に早く退場願いたかった私は、
声を掛けざるを得なかったのである。
「あのー、大丈夫ですか?」
「、、はぃ、、ま、、なん、、とか」
スーツの背を海老のように丸め、頭を抱え込むようにしていた男は、腕の隙間からぎこちない笑みをこちらに向けた。
額に薄っすらと浮かぶ汗。どことなく顔色も冴えない。苦痛に頬は歪んでいたが、その凛々しい顔立ちに反する優しい瞳が印象的だった。
好みのタイプだったが、そんなことは関係ない。
元の静けさを望んでいた私は畳み掛けた。
「だったら良いんですけど、、歩けるなら一度病院で診てもらった方が」
「、、病院、、あるんですか?」
「ええ。少し歩きますけど、ほら、あそこの木の間に黄色の看板、花屋さんが見えるでしょう?その3軒右隣に確か」
「あぁ、、あの辺りか、ちょっと遠いな、、でも、、診てもらった方がいいのかな、、酷く腹が痛くて、、」
男は顔が上げ、喘ぐように唇を開くと、白い歯がチラチラと垣間見えた。
どうしよう、やっぱりタイプだ。
心の声がまた響いたが、この男は本を読むのに邪魔なだけだからと、私は平静を装い続けた。
「それは大変ですね。少しでも早く行かれては?」
「、、ですね。ありがとうございます。行ってきます」
男がよろよろと立ち上がり、私はホッとベンチに背を戻した。
男の体調より、好みのタイプより、小説の犯人が誰かなのかが、1番大事。私はそんな人間だからだ。
だが男が立ち去って暫く、そのベンチに忘れ物を見つけてしまうと、そうもいかなくなってしまった。
ー 携帯って、、また厄介な物忘れていったなぁ。
ティッシュとかなら良かったのに ー
あまりの痛みに携帯どころではなかったのだろう。
かといって警察に届ければ、それだけで書類や何やと時間を取られる。
どうしようか、、、。
実直そうな男と同じ、何の遊びもない黒カバーに包まれたスマートフォンを手に取ると、どうにかしなければならないという気持ちが初めて生まれた。
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