6、綾瀬M ②

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綾瀬Mの自殺企図は、かなり深刻だった。1回目は電車に飛び込もうとした。周りの人が異変に気づき取り押さえた。 2回目はオーバードーズと飲酒。それも外で。警察が探した。行方不明4時間後に見つかった。 3回目もオーバードーズ。薬剤名は控えるが数百錠。これは家の中で家族がすぐに救急を呼んだ。 4回目、また外。それも川べりでオーバードーズと飲酒。朝まで発見されず低体温、死の手前まで行った。 5回目は面談の日、帰ってから発作的にオーバードーズ。 面談の時、葵に「死にたいけど、何とかなりそう。」と言っていた。 綾瀬さんには飲酒の習慣がない。死のうとしてワザとオーバードースの時に飲酒する。自殺企図の3回目と4回目の間に保護入院。面談中、言動がおかしいのに葵が気づいた。 「今日は帰れないですよ。」と葵は言った。保護入院には二人の医師の診断が必要で、家族の同意も必要だ。着の身着のまま、早川総合病院の精神科閉鎖病棟に入院。保護は、この1回だけだった。 綾瀬は、初めての閉鎖病棟に驚いたようだった。 退院した彼女は言っていた。 「あそこはサンクチュアリ(聖域)です。」 綾瀬にとって何がストレスなのか葵には分かっていた。恐らく「親」だ。娘の病気に対して「いつになったら治るんだ。」と娘に詰め寄っている。 家族面談は拒否していた。 この病気の事実、遺伝要素を認められない。病気ではなく障害だということさえ認めていない。任意入院が10回を超えた。家にいると悪化するのだ。入院中は安定している。他の患者さんと上手くやって行けている。 だが、退院して1年持たない。毎年のように入院する。 「疲れてしまいました。もう、無理です。入院させてください。ヤバイです。」と任意入院を申し出る。 綾瀬Mが自らこう言う時、その先は自殺企図をするのは分かっている。入院の手続きを取る。 20余年の間に、まず父が亡くなり、母親が弟と同居するために家を出ると綾瀬Mの病状は安定した。 家で一人気ままに絵を描いたり、文章を綴ったりしている。生活能力は低い。買い食いをして掃除も出来ない。風呂にも入りたがらない。 幸い金銭的には不自由していない。障害厚生年金と長年の貯金と退職金。父親の遺産相続で株を数銘柄持っていて配当金だけでも年に100万近くあるという。彼女は絵を描きながら、幻聴を聴き、無いはずの香りを嗅ぐ。 「せんせい。すっごいですよ。神澤工業の株、爆上がり!配当が楽しみ!そしたらまた「英語の診断書」をお願いしますね。 「また、クルーズ?」 「はい。今度は太平洋横断です。」 綾瀬Mは豪華客船に乗る。主に英語しか通じない船に乗る。 どうして、彼女がクルーズが好きで英語しか通じない船に乗るのか、その理由を葵が知るのは暫く先になる。
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