4人が本棚に入れています
本棚に追加
2、綾瀬M ①
「この1ヶ月、どうでしたか?」
面談と呼ばれる診察は、この言葉で始まる。
綾瀬さんは、私、早川葵と同じ年齢の患者だ。もう、20年以上の付き合いだ。病名、双極性障害1型。発症時期不明。恐らく10代。
この患者は、初診時、「不眠」を訴えていた。それに希死念慮。なのにテンションが高い。ニコニコしながら「死にたいんです。」と言う。
仕事は大企業の労働組合書記長。40代の女性。畑違いの私でも想像できる「大きなストレス」を抱えていた。
本人は鬱だと言っていた。先ずは、睡眠導入剤と軽い精神安定剤から投与開始。抗うつ剤の投与は様子を見る。精神科の患者は病名を欲しがる。あえて「うつ状態」とパソコンに打ち込む。
「睡眠薬、全然効きません。」
「変えてみましょう。合う合わないがあるんですよ。」
短時間型は効かないのか。。。未だ、睡眠導入剤を数種類試す段階だ。綾瀬Mは、徐々にうつ状態が悪化。休職に入ることになった。
綾瀬が訴える「鬱」とそれを話す口調が噛み合っていない。引っ張り出すために抗うつ剤を投与。
一日で躁転。綾瀬が言う。「身体が止まらないんです。元気になりました。やっぱり鬱だったんですね。」
2週間後、「また、鬱に戻ってしまいました。」
薬剤変更。抗うつ剤。また、躁転。直ぐに鬱転。睡眠薬は長時間型の最強。ここで眠れるようになった。
直ちに心理検査を行なった。発達水準(知的能力)、個人の能力における得意、不得意、性格傾向、行動パターン、現在の心理状態、病態水準をテストする。これは、その専門分野の精神科診断面接(SCID)によって行われる。
初診から半年後、確定した病名を綾瀬に伝えた。
「双極性障害1型です。心配は要りません。予後はそんなに悪くない。」
これはある意味では本当だ。
綾瀬Mは、不安そうな顔をしながら「抗躁薬」を受け入れた。抗うつ剤は投与できない。綾瀬Mは、この時以来今日に至る20数年、抗うつ薬を服用していない。
双極性障害に抗鬱剤を投与してはならない。悪化に傾いていく。それが確立されたのは、そんなに昔ではない。個々のケースにもよるが、1型にとって抗鬱剤の長期投与は人生を破壊しかねない。
さらに2週間後、綾瀬Mは自分から話し始めた。
「先生、この病気は初診から病名確定まで平均7年かかるそうですね。それを先生は半年で確定して下さった。
全部調べましたよ。自分の病気ですから。遺伝のことも知りました。私の叔父は画家です。精神科病院に出たり入ったりしながら描き続けた。私は知らなかった。親は都合の悪いところは隠蔽していました。叔父は45才で突然死しました。有名ではないけれど、画壇に足跡を残しています。
私は長いこと苦しかった。それの正体が分からず生きてきたんです。
これから、一生続く通院と服薬。さらに自分で自己観察をしてコントロールしなければならない病気。。。障害だったんですね。」
ここから、医師と患者は二人三脚で歩んでいくのだ。精神科はそう言うところだ。双極性障害は、寛解あって完治無しが現在の精神医学の限界だ。
その後、20余年の間に綾瀬Mは自殺企図5回、入院は有に10回を超えた。私が保護入院させたこともある。
仕事に凄く拘っていたのに、結局は退職した。最近も、こんな事を言っていた。
「仕事、したいんですけど何もできなくなってしまったんです。」
私は答える。「もう、仕事しなくてもいいんです。年齢からして考えてご覧なさい。綾瀬さんは、今、食べていける環境をお持ちなのだから。」
綾瀬は、真面目に働き続けたお陰で「厚生障害年金」を受給できた。限界ギリギリまで働き続けた。部署替えになり、給与が下がっても休職を繰り返しながら、退職を決断するまでは本当に拘った。
双極性障害1型の特徴は、知能が高く、クリエイティブ、創造欲求の奴隷という側面も持つ。
よく私が「選ばれた者」と励ましで言うと、綾瀬は「良い方も悪い方もですよ。」と言いながら、大量のカップ麺でタワーを作って写真を撮って「作品です。」と見せてくれた。「大学の講義の時に学生に見せてもいい?」と訊くと「どうぞ。」と言ったりする。
調子がいい時は、かなりの数の絵を持ってくる。綾瀬の方から「資料に使いたいから、先生モデルになってください。」
白衣の観察。構造と動きを知りたがる。
「中は何を着てるんですか?」とリクエストが出る。そして、私が医者の白衣の下のいい加減な格好を披露したりしている。
今、私は「早川メンタルクリニック」の院長をしている。大学の講師もしている。
初診は担当していない。
最初のコメントを投稿しよう!