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14、初恋
早川先生が、面談で麻布の王宮マンションに来るようになった。違う。
私、一木が赤坂までお迎えに上がっている。面談が終わると送って差し上げる。
私は運転手だ。
お嬢さんの面談はお嬢さんの私室で行われている。12畳ほどの洋間で、天蓋付きのセミダブルベッドにお嬢さんは横になっている。壁の一方は大きなウォーキングクロゼット。その反対側には庭を眺められる窓と勉強机。お嬢さんは、ピアノもかなりの腕だが、ピアノはリビングにある。
お嬢さんは、面談の初めの頃、早川先生を前にしても泣いてばかりで碌に面談にならなかった。面談には私も立ち会っている。
先生の方から「先生もお母さんを10歳で亡くしたんだよ。それもね、朝、学校に行く時に『いってらっしゃい。』と言ってくれたのが最後の言葉だったんだ。悲しかったな。悲しくて当たり前。」と言われたら、お嬢さんの方がポカンとしていた。畳み掛けるように早川は「眠れてる?」と訊いた。
お嬢さんは首を横に振った。
「そっか、それは困った状態だ。睡眠が1番大切なんだよ。」
お嬢さんは、まるで他人事のように言う先生に驚いていた。
「いいじゃない。お母さんが死んじゃって悲しいのは当然だよ。泣いていいんだよ。眠れないのは困るから、これから今日はお注射をする。睡眠薬じゃないよ。心をよしよしするお注射。少し痛いけど、泣いたりしないよね。そこまで赤ちゃんじゃない……そうでしょう?」
葵は鞄から何やら入った大きめの硬い箱を出すと注射の準備を始めた。
陽に注射を一本打つと一木を手招きした。
「陽さん。あなたのボディーガードがそばに居ますからね。安心して眠りなさい。」
葵は椅子から立ち上がると目で一木にその椅子に座るように促した。そのまま後片付けをすると部屋から出ていった。
陽が眠りに着くと一木は陽の部屋から出た。早川先生はリビングで家政婦さんがお出しした紅茶を飲んでいた。
「一木さん、陽ちゃん、病気とは言えないよ。多分、普通にショックなだけだよ。断定はできないけど……。お母さんが亡くなってショックを受けてる。。。その範囲だよ。私より、海斗のお祓い受けた方がいいんじゃない?あまり病人扱いしないように。眠れないのは問題だから、睡眠障害の方向で引き続き面談をします…。それと、これは断定できる。陽ちゃんは別人だ。陽じゃない!陽なら、私のさっきの態度に反論するか、若しくはキレてるよ。」
「あっ!陽さんは、普通に一人で勉強できます!女王はいつまで経っても字が読めない!」
「田中陽も字が読めなかったよ………女王って何?」
「ダメです!先生!勘弁してください!言えません!」
葵は一木の顔を見て暫く睨んでいたが、強面の一木が真っ青になっているので、訊かないことにした。
「明日の朝から、陽ちゃんの好きな食べ物だけ食べさせてください。お菓子でもいいよ。アイスでもなんでもいい。兎に角食べてもらわないと。次回までに食べないようだったら、クリニックで点滴始めるから。はい。処方箋ね。精神安定剤と軽い睡眠導入剤。」と言って葵はA5の紙を一木に渡した。
帰りの車の中で、葵はコレだけは訊きたいと思っていたことを一木に訊いた。
「一木さんは陽のことを良く知ってるの?」
「はい。私とあの方との付き合いは古いです。あの方は私の雇い主です。でも、よく知っていたつもりだったのに、本当はもっとずっと健気な方だったみたいです。」
「健気かぁ………。」と葵は呟くと車の窓から外を眺めた。
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