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一木が社長秘書になると社長と一緒にいる時間が増えた。社長秘書は一木を含めて3人いた。
3人の中のボスは井上と言った。この井上も相当な切れ物で競争心が強かった。
そして、物言いが変だった。
「私と一木がコラボするとニューベストシナジー効果が出るな。」(あくまでも井上が主語である)
「今の言葉を日本語に訳すと……井上さんと私で仕事すると新しい最高の効果が生まれる……と言うことですね。それは単に『相乗効果』と言えば良いのではないですか?」
一木は本当に不思議だった。普通の日本語があるのにワザと『英語もどき』を混ぜて話す井上の頭の程度を疑った。
「だったら秘書室の公用語は英語にしませんか?」と言いたくなった。
それで、マウントというものを取っているらしいと知った日には、エリートでもコレ?「龍の島国」の底辺っぷりに開いた口が開きっぱなしになってしまった。
「社会的イシュー」「コミット」「プライオリティ」「アイテムにリソース」「マルチストーンをクリア」………。こんな言葉を会議で延々と並べられたら、話されてる相手は目が死んでしまう。話している方は自信満々で利口なふりをしている。でも、高くはない知能程度をご披露しているのにも気がついていない。
いちいち井上が、一木をディスってくるので、嫌味でスペイン語対応の会議の時は一木が仕切ってやった。沈着冷静、淡々とやられた分はやり返すが一木のモットーだった。
神澤社長は何でもお見通しで、秘書同士がバトルしているのもクスクス笑って見ていた。この社長室の秘書のうち最後の一人は女性だった。この女性はギスギスした一木と井上の間をうまく調整していた。本当のボスは女性秘書の山上だ。一番年長で、到底男には考えもつかない気配りをする。一木はそれにも気が付いてしまった。バカな喧嘩はやめようと思った。
社長秘書になって2年。
何故か一木は神澤社長のお気に入りになった。
「分からない。わからないんです。なんで、社長は私のような小僧に肩入れして下さるのでしょうか……」と山上にこぼしたら、彼女は教えてくれた。社長には生きていれば一木と同じくらいの息子さんがいたそうだ。2歳になる前に亡くなったという。一木は話を聞いてしまうと聞かなければ良かったと思った。
「でもね。今、社長はお幸せなのよ。3歳になるお嬢さんがいらっしゃるの。お嬢さんのこと何もお話にならないでしょう?怖いんだと思うわ。命の儚さをご存知だから。」
あ。。。忘れてた。そうだ。そのお嬢さんに会いに行かなければいけないんだった。
その機会は直ぐに訪れた。
社長が会食でかなり酔ってしまい。一木が送っていくことになった。社長の自宅は麻布の低層マンションの1階全部だった。
殆ど王族の住まい。玄関がやたら広い。奥様がお嬢様を抱いて迎えてくださった。3歳のお嬢様。
「すみません。一木さんですか?夫からお話は聞いていましてよ。お若いのにとても気配りがお上手と伺っておりますわ。私は神澤の妻、詩織と申します。この子は娘の陽と申しますの。」
「ようちゃん。パパだよ〜ただいま。」とベロンベロンの社長が言う。一木の目は3歳のお嬢様に釘付けだ。
眉が太い市松人形。
その人形がメンチ切って左側の口角を上げる。
その目は「遅い!」と言っていた。
「一木君、今度ウチに遊びにこないか?」と社長に言われたのは翌週だった。
庭でバーベキューをすると言う。『陽お嬢様が、この前のおじちゃん連れてきて。」と言ったそうだ。そのバーベキューは少し仕事も絡んでいるらしい。他の会社の偉い人も来るという。
一木に断ることができようか。少しカジュアルなジャケットを着て麻布の王宮マンションに行った。
一階のガーデン込みで「神澤哲郎」が所有していた。
その場はバーベキューなんて物ではなかった。ガーデンパーティーだ。
大きなタープの下で寿司職人が寿司を握っている。その向かい側ではTVで見たことのあるフレンチの料理人が腕を振るっていた。小鉢や小皿に盛り付けられたアペタイザーのテーブル。デザートのテーブル。果物と10以上の銘柄の赤、白、ロゼのワインボトル、磨き上げられたワイングラス達。いくつもの丸テーブルと椅子。給仕も数人行き交っている。ゲストはみんな顔見知りのようだ。
その中にイリヤがいた。「入谷さん」と声をかけると相手は不思議そうな顔をして「お人違いでは?私は杉本と申しますが。」
そうだ!もう、あれから6年。乗っ取りのイリヤは、この衣から離れている。
「すみません。人違いです。」
慌ててその場を離れようとした一木のジャケットを小さな手が掴んだ。
「話がある。ついて参れ。」3歳の市松人形が話した。
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