初めての張り込み

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「何から何までありがとうございます、青山さん」 「いいえー? 犬山さんがうちに来てくれるのは光栄です」  女性はハンガーラックを男性更衣室の中まで持ち込むと、「ごゆっくり。私はここで失礼します」と言って恭祐にウインクを送って出て行った。 「あの、所長」 「なんだ? サイズが合わないか?」 「さっきの女性、所長に気がありますよね?」 「なに言ってんだ。青山所長は既婚者だよ」 「……え、青山所長って……ここの所長があの人なんですか?」 「若く見えるけど40代後半だし、向こうは若手を見守ってくれているだけだろ」  大雅は驚いて言葉を失う。「青山所長」は恭祐の少し年上にしか見えなかった。  そもそも、演技や撮影以外のシチュエーションでウィンクをする女性に初めて会ったような気がする。 「青山所長は不倫に悩む女性のための探偵事務所をやっていて、メインは尾行調査になる。変装に必要なあらゆるものが揃っているから、この辺で尾行や張り込みが発生したら頼るんだ。後でしっかり請求書が届く」 「なるほど……探偵の調査費が高くて驚きましたが、専門の準備が要るんですね」  納得しながら作業着をまじまじと眺め、大きなポケットが多いなと感心していると、視線の先に筋張った腕が見えてぎょっとした。  大雅はモデルをしていたため細身だが、恭祐は見た目よりもがっちりとしている。スーツは着やせしやすいのかもしれない。 「所長、筋トレとかしてるんですか?」 「してない。もともと肉がつきやすいだけだ。(カツラ)はひょろひょろだな」 「モデルの中では細くない方なんですけど、全然違いますね」 「作業着を着ている連中からしたら俺もひょろひょろな部類だろうけどな。電気工事はまた違うのかな」 「これ、電気工事用の作業着なんですか?」 「ああ、制電加工されてるやつだし。電気関係ならマンションにもビルにも自然に溶け込めるだろ?」  制電加工、と言われ、大雅は作業着が機能を持って着られていたことを認識する。  自分の知らないことがいかに多いのかをずっと思い知らされ続けていた。
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