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日曜なのに、その工場の正門の鉄扉は開けられていた。レイは4トン車を降りて脇の守衛所に寄る手間が省けた。
『第45回神奈川製作所 創業観桜祭』と書かれた看板が正門にくくりつけられている。
その横を通って、家族連れや年配の夫婦等がちらほらと入ってきている。
工場の敷地内に車を進めると、正面に制服を着た、黒縁メガネの男性が立っていて、次の道を左に曲がるよう誘導してくれている。左折してさらに進むと、同じ制服を着たお団子ヘアの女性が立っていて、次の道路を右に曲がるようジェスチャーで合図してくれた。その先でもう一人の男性が両手を左右に降り、車を停める場所を示した。
レイは前にも一度、この工場に納品に来たことがあったが、その時は事前に道順と納品する建物の棟番号を教えてくれただけだ。
「お疲れさまです。日曜日にも関わらず、お届けいただき、ありがとうございます。」
レイが運転席から降りると、トラックを停める場所を誘導してくれた男性が近寄ってきて、挨拶した。
車を降りて初めて気づいたが、工場の建物の向こうから、わいわいガヤガヤと賑やかな声が響いている。
「こちらこそ、誘導までしていただき、ありがとうございます・・・随分にぎやかですね。」
レイが声のする方を向きながら答えた。賑やかな声は、わずかにアルコール混じりの風に運ばれてきているような気もする。
「今日、4月の第一日曜は、毎年創業記念を兼ねて、お花見の会をやっているんです。地域交流の一貫として、近隣の方もご招待していまして、それで誘導をつけさせていただきました。」
レイは、正門の『創業観桜祭』という看板が何だったのか、合点がいった。
建物のシャッターが開けられ、レイはトラック後部のパワーゲートを使って、納品物が積まれたカゴ台車を降ろす。降ろされたカゴは、先ほど誘導してもらった三人が積み荷を確認し、建物の奥に運び込む。
カゴは全部で五十台あったが、二十分もかからずに保管場所に納められた。
検収の書類を受け取り、挨拶をして運転席に戻ろうとしたところ、お団子ヘアの女性社員に声をかけられた。
「あの、レイさん、お時間あったら少しお花見していきません?」
「そうそう、ウチはこの界隈じゃ、桜の名所として有名で、なかなかのもんですよ。」
黒縁メガネの男性が加勢する。
レイは戸惑う。
「い、いやあ、ボクはこの通り、車なんで、お酒はちょっと・・・・」
「それなら、問題ないですよ。実は我々三人ともお酒、飲めないんですよ。トラックなら、この敷地、停め放題ですし。」
レイは三人の強い勧めに抵抗できず、後をついていった。顔馴染みのお客さんでも、そうでなくても、彼女はこの手のお誘いをよく受ける。どうしてだろう、と首をかしげる。
建物の列を二つ抜けると、広い芝生に出た。そこには無数のカラフルなレジャ-シートが敷かれ、この会社の制服を着た社員だけでなく、家族連れやお年寄りのグループに、若いカップルまでもが混ざり合って座っている。
芝生の向こうは桜並木。敷地の端から端まで、やわらかい輪郭でピンクの帯が伸びている。つい最近、レイは樹齢七百年の孤高の桜を見たばかりだが、これだけ多くの桜がズラリと並んでいるのはまた、違った趣があって圧倒される。
「ウチの桜は、ソメイヨシノが基本ですが、葉っぱが桜餅の原料になる大島桜、江戸彼岸桜、なども混ざっています。あ、あそこの大きいのは枝垂桜です。今年の春は、今日に合わせて一斉に咲いてくれました。」
黒メガネの男性が枝垂桜を指差しながら嬉しそうに説明してくれた。
「随分桜にお詳しいんですね!」
レイは驚きを隠さずに感想を述べる。
「いやいや、この人偉そうに喋ってるけど、ココに勤めている者はみんな知っていることよ。仕事と一緒に、先輩から代々教え込まれるので。」
黒メガネの男性は頭を掻きながら舌を出した。
「社員の皆さんの宝物なんですね。」
とレイ。
「いいこと言ってくれるわね・・・さあ、飲んで食べてって。」
多分、ソフトドリンクの用意などもあるのだろうが、宴の席に入るのは場違いなんじゃないかと懸念しながら、レイは案内に従う。
案内された場所はなぜか、五メートル四方がポールパーテーションで区切られている。
よく見るとサインスタンドが立っていて、
『ノンアルゾーン』
と書かれていた。文字の横には、徳利に✕印がつけられたイラストが描かれている。
シートの上には、女性社員が多く座っているが、若手の男性社員もちらほら見受けられる。近所からの飛び入りだろうか、家族だろうか、小さな子供達も飲み物や食べ物が置かれたミニテーブルの間を駆け回っている。
レイは空いているミニテーブルの一角を勧められ、案内してもらったお団子ヘアの女性と一緒に腰を降ろした。
テーブルの上には、一見、果実系の酎ハイかカクテルの缶が並んでいるようだったが、どの缶にも『ALC.0.00%』と記載されている。
「さあ、好きなのを選んで。」
レイは勧められるがままに、巨峰サワーテイストの缶を手に取った。
「カンパーイ!」
お団子女子の音頭で、先ほど荷降ろしをしたメンバーで缶を軽くぶつけ合い、乾杯した。
なんかこういうのって、いいなとレイは嬉しくなった。同時に、ボクって得な性格かも、とも思う。
テーブルの上には、焼きそばや唐揚げ、ピザなどが並んでいる。
黒メガネの男性が割り箸と紙皿をレイに手渡しながら話す。
「以前は、ノンアルゾーンなんてなくて、飲める人間も飲めない人間も一緒くたで、花見してたんだけど、こういうご時世でしょう。アルハラなんて言葉も出てきたし、近隣の目もあるし、数年前からきっちり分けようってことになったんです。」
なるほど。
トラックの仕事をしていると、職業柄、レイの職場には無理矢理飲ませようとする人はいない。普通の会社はこうやってルールつくらないといけない時代なんだな、と初めて知った。
「おーい、シラフで花見していて、楽しいのか?」
『ノンアルゾーン』の隣のシート席の男性から、ヤジが飛んできた。
レイの隣で焼きそばをつついていた、お団子ヘアの女性社員は『んだと!』と口に出し、ノンアルのカシスオレンジを一気に飲み干すと、まだ未開封のノンアル酎ハイのロング缶を手にし、靴を履いてズカズカとヤジった男性の方に向かった。
「こっちはこっちで楽しくやってんの。放っといてくんない?」
「いやあ、酒も飲まずに、盛り上がれんのかね、と思って。」
「ああ、盛り上がってやろうじゃないか! あんたも試してみるかい? ノンアルで盛り上がれるかどうかをさ。」
「え、どうやって?」
「ほら、これ飲んでみ。」
お団子女子は、ロング缶のノンアル酎ハイをプシュっと開け、男性の前に差し出す。
「いや、アルコール無しなんて要らないよ。」
「まあ、試しに飲んでみなよ。」
「・・・いえ、遠慮させていただきます。」
男性の声がだんだんか細くなっていく。
「遠慮するなって。」
遠目ながら、レイには、お団子女子の目が座ってきたように見えた。
ヤジを飛ばした男性は、ついに降伏し、ロング缶を受けとり、何度か息を継ぎながらそれを全部飲み干した。
「どう、気分は?」
「・・・はい。盛り上がれそうな気がしてきました。」
「それは何より。」
レイは、疑問に思った。
お酒を飲んでない人が、酔っぱらいにノンアル飲料を強要するのは、アルハラに当たるんだろうかと。
黒メガネの男性が、レイにだけ聞こえる声で話す。
「あの子はね、正確にいうとお酒が飲めないんじゃくて、飲んじゃいけない人。大酒飲んでいろいろやらかしたので、みずからお酒を断っている。」
「ええ! そうなんですか? シラフであれなら、お酒飲むといったどうなっちゃうんですか?」
「・・・思い出したくない。」
さては、この黒メガネの人も被害を被ったことがあるんだなとレイは直感した。
ノンアルゾーンに戻ってきたお団子女子は、
「さあ、元気に飲んで食おうぜ!」
と激を飛ばした。
お酒を飲まない人々は、楽しく騒ぎ、笑いあった。
ヤジを飛ばした男性がいるレジャーシート上では、お通夜のような静まり返った宴会が繰り広げられた。
(おしまい)
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