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 さくら名所で、このまま何も見ずに帰るのも、もったいないな」男がつぶやいた。 「そうね」女が男のつぶやきに答えた。  見つめ合っていた二人は、桜の咲く方へと歩きはじめた。彼らは、まるで愛し合っているかのような、他人が割り込む隙のない甘い香りが漂っていた。  桜が途切れた先に神社があった。 「お参りしましょう」 「そうだね」  神社の中にも桜が咲いていた。日曜日の午後で多くの人々が花見に来ていた。二人はその中で、ゆるりと歩きながら拝殿まできた。拝殿の前は、人が途切れていて静かだった。二人は、自然と並んでお参りした。彼らの表情は清々しく晴れやかになっていた。  彼らは心の中で呟いていた。もう桜も観た、お参りもした、ここに留まる理由がない、と…。 「帰りましょう」 「そうだね」    桜の木々を背後に帰る道すがら、二人の手がそっと触れた。何度か揺れ、触れていくうちに手を繋ぎあった。  二人は歩くことを止め、じっと佇んで互いの手の温もりを感じ合った。言葉はいらなかった。  この瞬間、それが全てだった。  彼らは、最初に出会った場所まで戻ると、どちらともなく 「さようなら」と言葉を交わし、来た道の方を向いた。男は北へ、女は南へと歩き始めた。互いを振り返らずに、ゆっくりと歩き続けた。満開だった桜も風に揺れ、花びらを散らして、彼らにさよならを告げてるようだった。  彼らの恋人は、それぞれ不可抗力に見舞われていた。だから、待ち合わせ場所に来ることが出来なかったのだ。  男の恋人は、来る途中に乗った電車が人身事故のため、動かなくなってしまった。その頃は、スマートフォンのような便利なものがなく、男との連絡手段がなにもない。彼女 は、駅と駅との間の中途半端なところで、列車内で閉じ込められたまま、一時間以上いらいらする面もちで過ごすしかなかった。やっと電車が動くと、もう彼は待っていないだろうと思い、家路へと引き返した。それから、間もなく男から連絡の電話が鳴り、ことの顛末を話したのだった。男は、偶然出会った女のことは話さなかった。  男とその恋人は、その後も愛を深め、生涯の伴侶との誓いをした。    女の恋人は、来る途中、事故に遭っていた。恋人が最寄りの駅まで自転車走行中に、脇見運転していた車に撥ねらたのだった。幸いなこと、命に別状はなかったが入院を余儀なくされた。彼女の恋人は、待ち合わせどころではない、災難に見舞われていたのだった。彼は落ち着いた頃、女に待ち合わせしたのに行けなかったことを詫びていた。女は、『彼は何も悪くないのに。わたしの方こそ謝らなくては…』と心の中で思うも、この時偶然出会った男のことは、話さなかった。  女はその後、恋人と永遠の誓いをたてた。  待ちぼうけを被っていた男女は、本来の相手と結婚をし、それぞれ子供も授かった。  桜咲く道の帰り道に、触れ合った手のひらの感触は、二人の中に何も残らなかったように、時は流れていった。  ある時までは…。  二十数年後  花見の魅力は変わらず、桜が咲く頃は人手で賑わう。とあるさくら名所も、満開の桜が道を彩っていた。  北の方面から一人の若い女が歩いてきた。同時に南の方面から一人の若い男が歩いて来た。  花見名所は、人でごった返しているのに、名所の入り口付近は、この男女が歩いてくるだけだった。日曜午後なのに。彼らのために舞台を用意したかのように、男女だけの空間が作られていた。  男女が近づいて、すれ違いそうになった。だが、すれ違わず、花見名所の方に身体を向けた。  同時だった。近づきすぎていたのか二人の肩がぶつかってしまった。 「ごめんなさい」女が言った。 「ごめんなさい」男も言っていた。  二人は同時に謝り、顔を見合わせた。     続く    
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