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会社帰りにいつも通る商店街に目を引く光景があった。
小さな机と椅子に暗いレースの生地を掛けて水晶玉が置いてある。
占い師だ。
いつもは視線の端にも入らない光景が、仕事で大失敗した五月女良一の目を引いた。
五月女は31歳で、仕事も上手くいかない、恋人もいない冴えない独身のサラリーマンだ。
「占って欲しいんですけど」
「何かお悩み、仕事で失敗されたのですか?」
何も言ってないのに、どうして分かったんだ?
「まあ、そんなとこです」
「仕事について占いますか?」
何について占うか考えていなかったな。
「何か運命を切り開く為にすべき事があったら占いで教えてもらえますか」
「なるほど。では手相、水晶玉、生年月日のどれで占いますか?運命であれば、手相と水晶玉を組み合わせるのがお勧めです」
「じゃあ、それで」
「では、手相から拝見させて頂きます。テーブルに手を出して下さい」
五月女は手の平を上にして、テーブルの上に置いた。
「 生命線から長生きの手相ですね。感情線は一本が緩やかな線で穏やかな性格を表しています。知能線は太くきらめきやアイデアに関連する仕事に向いています」
占い師のスラスラした説明が、ここまでで止まった。
「うん?運命線が珍しい方向に伸びていますね。波乱、解決、英雄の手相┅┅。 水晶玉も確認しましょう」
占い師がテレビや漫画で見るように、両手をかざして水晶玉を覗き込んでいる。
「様々な人を救う英雄、あなたが世界を救う運命にあります。そう、2本の道。明日が運命の分かれ道のようです」
「どういう意味ですか?」
五月女は、分かりやすく説明してくれと頼んだ。
「明日あなたが小さな命を救うかどうかで、今後の運命が決まるようです」
「何だか恐いな~」
五月女は冗談めかしながら、料金の三千円をテーブルに置いて席を立つ。
まあ、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦って言うからな。
恋愛でも占ってもらえば良かったかな。
五月女は、そんな事を考えながら家路に着いた。
◇◆◇
ピピピピ
無意識に目覚ましを止めて二度寝してしまった五月女は、遅刻ギリギリになってしまい全速力で商店街の道を走っていた。
キキキーッ
急ブレーキの音が目の前で聞こえる。
リードを付けたままの犬が、車の前で固まっている。
いつもなら見てみぬフリをする場面なのに、昨日の占い師の言葉が頭を過った瞬間、体が動いていた。
道路に飛び出して、犬を抱えていた。
ドカンッ
背中に衝撃が走り、世界がクルリと反転した。
俺は博愛主義者でもないし自己犠牲なんて冗談じゃないのに、あの占い師め。
この世の最期とばかりに、占い師を呪う言葉が脳裏を走った。
野次馬が集まってくる声。
「マロンっ、この人がマロンを助けてくれたの?」
女性の声を聞いたのを最後に、意識が遠退いた。
◇◆◇
「ここは?」
目の前に見える白い天井は、安アパートとは別の部屋らしい。
「気が付きましたか?うちのマロンを助けて頂いて、ありがとうございます」
目の前に美しい女性が佇(たたず)んでいた。
「たまたま通りかかって、痛いっうう」
起き上がろうとした五月女は、腕と背中の痛みに呻いた。
「そのまま寝ていて下さい。車にひかれたので、脳の検査もしないといけません」
女性が五月女の肩をベッドに押し付けて、セミロングの髪がサラリと顔に当たる。
「あっ、すみません」
女性は恥ずかしそうに身を起こした。
「自己紹介がまだでしたね。私、皆芝翔子と申します」
「あっ、五月女です。五月女良一です。あの皆芝さんと言うとうちの会社の」
五月女の働いている会社が皆芝物産だった。
「まあ、父の会社の方だったんですね」
父の会社と言うと、社長の娘、社長令嬢。
五月女は、また頭がクラクラするのを感じた。
何か失礼でもあったら大変だ。
「あのワンちゃんは無事でしたか?」
自分でもよく分からないが、助けた犬の話しをしていた。
「お陰さまで、怪我一つありません。マロンは私の家族なんです。本当にありがとうございました」
翔子は五月女の手を握り締めた。
こんな美人に手を握られた事なんてないぞ。
五月女は心臓の音が翔子に聞こえてしまうのではないか、自分の顔が赤くなってないか余計な心配ばかりしていた。
「あの五月女さん、ご連絡するご家族はいらっしゃいますか?」
「いいえ、田舎から上京してきて、こちらには一人なので連絡する人もいません」
五月女は、女で一つで育ててくれた母親に心配をかけたくなかった。
「では、私がお世話しても構いませんか」
飼い犬を助けたから申し出てくれているだけなのに、ドキマキしてしまう三十路の自分が恨めしい。
「気にしないで下さい。社長のお嬢さんにそんなご迷惑はお掛け出来ません」
「いいえ、今時自分の危険を顧みずに道路に飛び出してくれる方がいるなんてビックリしてしまって」
翔子は、ヒーローでも見るように五月女を見つめた。
なんとなく占い師の【運命の分かれ道】と言う言葉が頭に浮かんだ。
「迷惑じゃなければ、よろしくお願いします」
それから翔子は五月女が入院している3日間、病院に付きっきりで看病してくれた。
すっかり元気になった五月女を退院日に迎えに来てくれた翔子と商店街の道を歩く。
翔子が家で、五月女の好きなオムライスを作ってくれる約束なのだ。
「腕を組んでもいいですか」
「はいっ」
「まあ、くすくす」
大きな返事をしてしまい翔子に笑われてしまった。
そう言えば、あの占い師に
【明日あなたが小さな命を救うかどうかで、今後の運命が決まるようです】
って言われなければ、マロンを助けなかっただろうな。
それにしても、あの人、本物の力を持つ占い師だったんだな。
五月女は片隅に座る占い師に頭を下げて、翔子と2人家に向かった。
◇◆◇
五月女を占った占い師。
「あっ、あの人エイプリルフールに占った人だ。まさかあの占いを信じてないよな」
占い師がエイプリルフールに悪戯心で大袈裟な嘘を付いて、それが切っ掛けで結ばれた縁でした。
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