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Nox.III 物語の怪物
人気の相変わらずない街をオズと女性――ヘリナ・チェスターフィールドは共に歩いていた。
一度、ヘリナがスーツケースを置いていたテラス席のあるカフェに戻り、そこで荷物を回収して、次の目的地としては街の北東部にあるヘリナが部屋をとったホテルを目指すところだ。
ホテルの名前を聞いて、それが王都で最も高価なホテルの名前と同じであることを、中流層であるオズは三度も確認してしまった。
どうやら、このエリナという女性は相当な富豪なようだ。
そして何となく、予想はできていたが、彼女は人間ではなく吸血鬼ということらしい。
普通に考えていれば何を言っているのだという話なのだが、オズは意外とあっさりとそれを事実として受け入れることができてしまった。
目を覚ました時に目にしたこの世のものとは思えぬほどに神秘的で、背徳的で、あまりにも耽美な光景が印象的だったためだろう。
だが、自分までもが今はもう人間ではなく、ヘリナの眷属――つまりは吸血鬼になってしまったと宣告されたことは流石に予想外だった。
「はぁ……マジかぁ……。吸血鬼って普通に人間と恋愛できたりするのかな。せめて彼女くらいは欲しかったよね。あ、でも吸血鬼と人間のロマンスってのもなかなか良いと言えば良い気がするね」
「貴方、どうしてそんなに呑気なの……?」
オズの反応が意外だったのだろう。
ヘリナがここに来てはじめて驚いたような、傷つく言い方をすれば不気味なものを見るような目でオズのことを眺めていた。
「いや、もちろん、吸血鬼になってしまったのはショックですけどね。それでも事実、そうなってしまったのは仕方ないとして、受け入れて生きていくしかないのかなって。もちろん、育ててくれた家族、昨日まで普通に遊んでた友達、バイト先のマスターやシャーリーちゃんにもう会えないってのは寂しい……。あぁ、やっぱり結構寂しいかも……」
「前向きなのか後ろ向きなのかわからないわね……」
オズはヘリナに差し出されたシルク素材の紺色のハンカチで目元の涙を拭う。
それでも仕方ないだろう。
自分の中の感情に折り合いをつけるべきとは思った。
それでもいざ、考えれば、そんなに簡単に折り合いをつけれるほどに今までの20年間、オズが積上げてきたものは軽くはなかったのだ。
「ねぇ、貴方は私のことを恨まないの? 私が貴方を生き返らせたのは貴方のためなんかではない。自分がこの街で行動するためにもう少し、自由に動かせる手駒が必要だと考えたからよ」
「恨みってのはないですかね〜。仮にヘリナさんが生き返らせてくれなかったら、死んで終わりでしたし。それで女神様の国へ行けるかどうかもわかんないんですから」
オズは胸ポケットから出した革製の財布から、代金を少し多めに取り出すと近くの人の居ない露店にそれを置いて、林檎を一つもらう。
「あぁ、そういえば女神様の国って本当にあったのかな。まぁどっちにせよ、よくわからないことも多いですけど、それなら吸血鬼としての第二の生を生きてみることで見つかる楽しみもあるのかなって。そう考えた方が何かお得な気がしません?」
「はぁ、貴方、やっぱりお気楽だわ」
ヘリナは呆れたようにそう言うと露店に置いてあった炭酸水を一瓶もらっていた。
ちなみにお金は払わなかった。
「それと、敬語は不要よ。その方が貴方も話しやすいでしょ?」
「ははは、そうだね。それじゃそうさせてもらおうかな。これからよろしく頼むよ、ヘリナ」
「敬語は不要だけれど……主人はあくまで私であることは忘れないようにね」
オズから差し出された右手をヘリナは静かに握り返した。
「それにしても……さっきの女性、僕の首を刎ねた彼女は何者だったんだい? あれも、ただの通り魔というわけではないのだろ……?」
「あれは――〝物語の怪物〟よ」
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