Nox.0 日陰の席の客

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Nox.0 日陰の席の客

 ネビュラ国王都【ポラリス】南西部。  国を代表する名門ポラリス大学があるその地域は、常に学生達の活気に満ち(あふ)れて賑わっている。  暗く、寒く、長い〝ノエス〟の時期が終わり、多くの国民が待ち望んだ〝ファレス〟が来た。  先週までは街に積もっていた雪も今では、すっかりとその姿を地の底へと消した。  だが、近年は深刻な環境問題により、〝ノエス〟と〝エレアス〟の時期が長くなり、四季と言えるものがネビュラでも他国同様に感じにくくなってきていた。  学生達の格好も見ればノエス用の暖かなコートを着ているものが大半だった。  この国らしい雨が降ったり、止んだりを繰り返すどんよりした空模様の中、紺色(ダークブルー)のトレンチコートを風に踊らせながら一人の女性が歩いている。  彼女の右手には漆黒の蝙蝠傘(こうもりがさ)が握られていた。  その傘は雨が降ろうとも、止もうとも閉じられる様子はない。  左手は黒い重量感のあるスーツケースを石畳の上で転がしていた。  大学の象徴であるオールドカレッジを始めとして、図書館やコンサートホール、他の大学の重要施設も共に密集する灰色の歴史を感じさせる石造りの建物が建ち並ぶポラリス大学の敷地(しきち)を抜ける。  すると周囲の景色には、やや不釣り合いな近代的な建物――ネビュラ国立博物館が見えてくる。  そこを更に北上して行き、坂道を登って行くと左手側に広大に(そび)え立つ緑豊かな丘が見えた。  丘の上へと視線を向ければ、頑強(がんきょう)な城壁に囲まれた城があるのが見える。    長い年月で風化と劣化が進んでいるものの、それさえも(おもむき)があるように感じられた。  その城から女性は目が離せなかった。  何かしら人を惹きつける魔力のようなものが、そこから放たれているのではないかという錯覚さえもしてしまいそうだ。 ――「うわ! これはまた重そうですね〜。上まで持ちますよ」  突如、背後からかけられた声に思考が強引に断ち切られ、女性が振り返ると一人の青年が立っていた。  二十歳(はたち)くらいだろう。  身長も高く、容姿も整っているが言動や雰囲気に〝軽さ〟が付きまとう青年だ。  男性にしては明るめな肩上ほどまで伸ばされた躍動感のあるオレンジブラウンの髪、人好きのしそうな爽やかな笑顔にハキハキとした話し声。  白いレザージャケットにワインレッドのストールを首元に巻き、淡い色合いの裾の広がったデニムパンツにベージュのブーツを合わせていた。  着る人間を選ぶ格好だが、この青年にはよく似合っていた。  男は、ほとんど強引にスーツケースを持ち去ると、女性の速度に合わせながら坂を登って行く。  女性の方は「えぇ」とか「そう」と適当に相槌を打つだけだが、男の方は特に気にもせずに話を続ける。  青年――オズワルド・ホワイトと言うらしい。  彼(いわ)く、この坂の上に彼がアルバイトをするカフェがあるようで、今日の限定のチーズケーキは自信作だとか、少しブランデーを入れた紅茶が絶品だから、コーヒーよりもそちらを選んでほしいなど他愛もない話を彼はずっとしていた。 「さて、着きましたよ!! ここが僕の働いてるカフェ【ムーン】です。いやぁ、重かった〜。お姉さん、こんなの一人で大変だったでしょ。心を込めて美味しいお茶を淹れさせていただくので、是非くつろいで行ってください」  女性は男性が渡すのも待たずにスーツケースを彼の手元から引ったくった。 「ここまで荷物を運んでくれた気遣いには御礼を言うわ。ありがとう、そしてさようなら」  細かな雨がピタピタと石畳に落ちている。  徐々に二人を包み込むように霧が発生し、視界が悪くなっていく。  男性が(わず)かに後退(あとずさ)りし、その場でよろけて地面へと尻餅をついた。  雪よりも冷たく、細長い銀糸が男の頬を()でる。  彼が見上げた曇天(どんてん)には血のように紅い真紅の瞳が輝いていた。
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