すべてを嘘にして、また明日から。

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もう耐えられない。限界だ。 包丁屋でこれはこんな風に手入れする、サビ防止のため油を塗る、いい包丁だから魚も肉も切れてー……、なんて聞きながら、うるさい、どうせ人を刺すのに使い捨てだ。と聞き流した。買ったレシートをみて くしゃくしゃに丸めてポケットにしまう。 俺の味方なんて誰もいなかった。 かわいいとか将来大物になりそうとか存在を褒められたのは幼児のときだけ。成長するにつれ周りの目は冷めた。周りも俺も、俺が大したやつにならないのがわかったからだ。 友達は複数いたが、いつのまにか嫌われて疎遠になって、卒業したら全部なくなった。 そして社会人数年目でついにいままでの人生にキレた。 俺に守りたいものなどなにもなく 俺は無敵の人だった。 趣味もない、明日もいらない。 金もない。 だからコンビニで金を奪って、成功したらそれで美味しいもんでも食べる 失敗して捕まってもいい。 べつに殺しをしてもいい。 どうなろうと、このなにもしない自分が生きて明日も会社行って上司にため息つかれるよりはマシに思えた。 やれる、俺はやってやるぞ。 カバンの中に隠した包丁 人気のないコンビニ 店員は女一人 タイミングが良い。 良いのだが手に汗がたまる 俺の中の良心が、いまならなんの犯罪でもない、いますぐ引き返し明日の仕事の準備をしろ と言っている。 皆平凡な自分を引きずって、それでも頑張って生きているんだ。不幸なのは自分だけではない。 すべてわかっているが俺はめちゃくちゃにしてやりたくて仕方ない自分の本能に従うことにした。 「っしゃいませー」 やる気のない店員に、俺はー……ついに包丁を見せた。もう後戻りはできない。 このままなにもしなくても逮捕だ たまにみる逮捕されたかった とか明日を生きる金がなかった とかいうジジイがいるが、それみたいになるだろう まあべつに構わない 刺すよりも俺が辛かったんだ、と世間に伝わりやすいだろうか。そう思っていると 店員はーー目を丸くし続けた。 「エイプリルフールだからって冗談きついよ 田沼くん〜」 ケラケラと笑っている。 この女……他人だと思っていたが、思い出した。 中学隣の席だった真理という、まあそこそこモテていた女子だ。 何度か話たことはある。 『教室移動どこだっけ』 『ここ分かる?教えてくれる?』 『ありがとー』 そんな話したともいえない、用事を済ますだけの会話。けれど何を隠そう、俺は真理ちゃんが好きだった。 しかし他の人が告白断られてるのをみて諦めた 俺の好きは、いつだってその程度だった。 なんだ、この音楽聞いてたの俺だけじゃないのか なんだ、この漫画応援してるの俺だけじゃないのか 俺より絵うまいやついるんだ、俺よりこの仕事できるやついるんだ 俺より真理ちゃんに近いやつたくさんいるんだ その程度でなにもかも諦めて。 「なにがエイプリルフールだよ金出せよ みりゃわかるだろ」 「やめてくださーい 過激なエイプリルフールはー」 「おい!」 「だって田沼くんならホントにこんなことしないでしょ、私いまなら通報しないよ」 「……は?」 「田沼くん優しかったもんね」 「……中学のときから大分たっただろ お前に今の俺のなにがわかるんだよ」 「人の本質は変わらないと思うよ 田沼くん頑張りやだった、急に冷めちゃうことも多かったけど、でも気持ちはわかるなあ、て思ってたよ、連絡はたしかに そもそも交換してなかったし、とってなかったけど でもどうでもいいわけじゃなかったよ? 覚えたし、たまに思い出すくらいあったよ 結構そういう人多いと思うなあ そこから連絡ちゃんととりあってれば 色々相談にのれる友達になれたと思う。 今の私でも、田沼くんが 殺人とか強盗、する人じゃなかったことくらい 私は知ってるよ」 死にたくないからこの女は、俺を丸め込もうとしている。 どうせこのあとすぐに通報するだろう。 わかっていても俺は震える手でナイフをカバンにしまった。 なぜクラスの端っこでなにも活躍なんてしなかった 俺の名前を覚えててくれたんだ。 なぜ怯えずに、むしろあわれむように 俺を見てくれるんだ。 それだけで、良かったと思ってしまうじゃないか この世は捨てたもんじゃないと、思ってしまうじゃないか。 「田沼くんが考え直してくれてよかった 店長には友達がふざけておもちゃのナイフもってきただけて言うねー 大丈夫事件になんてならないからさ バイト終わったら飲み行こー」 「さすがに危機感なさすぎじゃない?怖いでしょ、俺のこと」 「そう?私も数ヶ月前ブチギレて包丁といでる間に家族に結婚まだか遅れてる余り物とか言われて刺しそうになったよ」 「…………」 「私達思い留まれただけ偉いから!飲んで忘れよ!」 エイプリルフールなど嫌いだった 嘘つく相手もいなければ 嘘をついてくる相手もいない どうでもいいイベントだ でも、この日の、いままでの鬱憤の すべてを嘘と誤魔化して やり直すことができたこの日を 「ん……飲んで忘れるか。……で明日から仕事頑張るわ」 俺は好きになった。 他の人がどれだけこの日を好きかはしらないが 俺の中では、一番、トップに。 ……真理ちゃんのことも、な。 end
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