お七、心を立つ

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 夕暮れ時、桜が雨のように散っている中、どうしてこのようなことになったのだろうかと考えても埒が明かない。  まだ木の香りがあちらこちらに漂う、できたばかりの我が家を見上げ、お(しち)は涙ぐんだ。 *  火事があり、八百屋であったお七の実家だけでなく、近所全てが全焼した。行くあてのないものは全て、善広寺(ぜんこうじ)に移り住み、お七の家のもの、つまりお七とお七の父母もその中の一家族であった。  お七は十代半ばで、同じくらい(よわい)のものが数人おり、その中の一人に尚三郎(しょうざぶろう)という優男がいた。尚三郎は老若男女誰にも平等に優しく気さくで、気の強いお七にさえ穏やかに接してくれる。  お七にとってはそれがうれしくてしょうがなかった。まもなく、尚三郎様ともっと仲良くなりたい!という欲望が生まれ始めたが、なかなか素直になれない。  ある日、尚三郎が何やら左手の人差し指をずっといじり回していた。何をしているのか気になってしょうがないお七だったが、いつものごとく、話しかける勇気もない。  もどかしく思っていたお七の横で、ささっと動きを見せたのはお七の母親だった。 「おっかさん?」  思わず声が漏れるが、その声が届いたのか届いていないのか、母親はそのまま尚三郎の隣に行き指を見せるよう促した。 「ああ、これは棘が刺さっているね。ちょいとお待ち」  母親は毛抜きを持ってきて、尚三郎の指から必死に棘を抜こうとする。しかし、そう安々と上手くいかない。  もどかしい気持ちで見つめるお七。何でおっかさんはあんな簡単に尚三郎様の手に触れることができるのだろう、母親の行動にさえ悶々とする始末だった。 「んー、ダメだ。老眼が始まっててね、大事なところが全然見えやしない。お七、お前が取っておやり」  急に指名されてビクリと体を震わせる。まさか自分のところに、こんな絶好の機会が舞い込んでくるとは思ってもみなかった。  それでもなお、尻込みしてもじもじしていると、お七と同じように火事で家が全焼し、お寺でともに暮らしていたお(きよ)がしゃしゃり出てきた。  まずい!と思ったが時すでに遅し。 「私が取ってあげるわ」 「そうかい?じゃあお願いするよ」  お七の気持ちを知らない母親が、いとも簡単に毛抜きをお清に手渡している姿を見て、お七はどうしようもない後悔に包まれた。  何ですぐに取ってあげなかったんだろう……どうしてお清にこの場を奪われなければならないのだろう、そう思っても後の祭りだった。  尚三郎の手を握りしめたお清は、少々時間がかかったが、ものの見事に棘を取り除いてみせた。 「ほら、こんな長い棘が奥に刺さっていたのよ」  長くて細い棘を尚三郎に見せるお清。 「ホントだ。お清ちゃんのおかげで助かったよ、痛くてしょうがなかったんだ」  夕空のように頬を赤らめながら、尚三郎はお礼を言った。そんな彼の様子を見ながら、お七の胸には、その長くて細い棘がそのままずっぷりと刺さったような心地がした。
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