第四話

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第四話

 アラタ、と勇仁が名前を呼び、新は自然と勇仁の唇に自分のそれを寄せた。  痛いくらいの執着と独占欲が、嬉しかった。他の人ではなく、新でなければダメなのだと分かるから。  冷たい月明かりの下で、新と勇仁の唇がそっと重なった。舌が絡まりあい、互いの唾液を舐め合う。  瞬間、勇仁がぐっと眉間にしわを寄せた。  どうしたのだろうと新が見上げると、勇仁は頬を上気させ、浅く呼吸を繰り返していた。こめかみにじんわりと汗が浮き、苦しそうだ。 「おうさ……」  どうされたのですか、と問おうとすると、勇仁が切羽詰まったように新に尋ねた。 「アラタ、この先を望んでも良いか?」 「お、王様が望むことなら、俺は何でも嬉しいです」  新がもじもじと答えると、勇仁はやや強引に新を横抱きにし、真っ直ぐにベッドへ向かった。  勇仁は新をベッドに優しく寝かせると、興奮を必死で抑えるようにしながら、新の靴を、服を、丁寧に脱がせていく。新も勇仁の服を脱がせ、互いに生まれたままの姿になると、掛け布団の中に潜り込んだ。 「王様、あの、さ、触ってもよろしいですか」  新は、はしたないかもしれないと思いながらも、勇仁に乞うた。  勇仁が自分のことを愛しているなど、まだにわかには信じられなかった。直に触れ合って、勇仁の愛を確かめたかった。 「ああ、好きなだけ触れ」  勇仁は新に覆いかぶさると、新の手を自分の胸に当てた。  自分と同じくらい速い勇仁の鼓動が手のひらに伝わってきて、新は嬉しくなる。自分だけではない。勇仁も初夜に緊張し、興奮してくれているのだ。  勇仁の心臓に左耳を当て、彼の強靭な身体に腕を回す。脇腹から背中へ、張りつめた筋肉の凹凸を指先で丹念に辿り、堪能する。同じ男なのに、勇仁と自分とではまるで身体の構造が違った。新が陶酔していると、ふと勇仁に手を握られる。 「王様?」 「勇仁でいい。私も触っていいか?」 「はいっ、もちろんで……ひゃっ」  勇仁は、新の胸の淡い桃色の尖りを指先でつんと突いた。乳首が陥没気味のつつましいそこを、勇仁は何度も優しく撫でる。  何も感じないはずの尖りが、むず痒くなるような気がした。勇仁に触られていると、どうしてかもっと触ってほしくなる。  もっと触って、ひどくしてほしい。  そんな気持ちが過ぎって、新は真っ赤になった。 「どうした?」 「勇仁様、俺、自分が、は、はしたなくて……恥ずかしいです」 「褥で淫らなのは良いことだ。私にだけたっぷり見せてくれ」  勇仁に両の乳輪を優しく揉まれ続け、新は目をつぶって告白した。 「な、舐めて、噛んで、いただきたいのです……」  勇仁は身をかがめ、新の熟れたりんごのような頬にキスを落とした。 「お前はおねだりが上手だな、アラタ」  耳に艷やかな低音を吹き込まれ、新の細い腰がびくんと跳ねる。  勇仁は新の白い貝殻のような耳たぶを、きれいにそろった歯でやんわりと噛んだ。耳の孔にぐちゅりと舌を差し込み、もう片方の耳の孔には自身の指先を挿入()れ、くりくりといじる。新の頭の中では、勇仁の舌先が奏でるぬちゃぬちゃといういやらしい体液の音と、彼の美しい声が反響している。 「あっ、あっ」  腰が勝手に前後に動き、花芯の先端が勇仁の硬い腹筋に擦りつけられる。 「悪い子だ。私の許可もなく先にイこうとするとは」  勇仁が、ぐ、と新のささやかな花芯を握りしめたが、新にはその刺激さえ快感になった。 「あ、あ、勇仁、さま」  新の瞳に快楽の涙が溢れた。ぽろぽろと涙する新の頬に口づけるも、勇仁は責める手を休めない。 「イきたいのだろう? 私の手でイけ」  先走りでどろどろになっている花芯の幹を、根本から先端へ絞るように擦り上げられ、新はかすかな悲鳴をあげた。もう、絶頂が目の前だった。 「勇仁さま、イ、きますっ」  勇仁の首元に縋りつき、胸いっぱいに彼の体臭を吸い込んだ。  ラベンダーの香りに彼自身の汗の香りが混じって、えもいわれぬ色気漂う香りになっている。またたびを吸った猫のようにぼんやりしながら、新は下半身に電撃が走るのを感じた。びゅ、びゅ、と勢いよく白蜜が花芯の先から溢れ出る。  はあ、はあ、と肩で大きく息をしていると、勇仁の身体がぐらりと傾いだ。 「お前は、不思議だ。初めて会った時も、理性がかき乱される、甘い香りがした」  首元に鼻を寄せて呼吸されて、新は荒い息をしながら首を傾げた。そういえば、自分を襲った受刑者たちが、「異様なほど惹きつけられる香りがした」と言っていたことを思い出す。イったばかりの朦朧とした頭で、自分は特殊な体臭でも発しているのだろうか、とぼんやり思う。 「お前と繋がりたい、が、お前の尻は小さくて、壊してしまいそうだ」 「そんな、でも勇仁様がお苦しい……」  身体を起こす勇仁に、新は縋るようにしがみつく。自分だけ気持ちよくなるのは嫌だ、と駄々っ子のように首を横に振った。  勇仁は吐息だけで笑うと、ばさりと掛け布団を剥いだ。  新の目の前に、勇仁の逞しい雄芯がぶるん、と露わになる。  新は言葉を失った。赤ん坊の腕ほどありそうなほど、太く、長い逸物が、腹につきそうなほど反り返っていた。  先端は李のようだが赤黒く、幹は血管がいくつもぼこぼこと浮き出ていて、まさに凶悪。凶器と言っても過言ではない雄芯だった。  一方、新の花芯は、薄桃色で、小さく細い。幹もすんなりとしていて、勇仁のものと比べると、まるで大人と子どものようだと恥ずかしくなる。  しかし、たしかにこれほどの凶器ならば、自分の尻にはすんなり挿入(はい)りそうもない。いくら慣らしたとしても、入り口が耐えきれなさそうだ。 「今日は我慢だ。これからいくらでも機会がある、また次の機会に抱かせてくれ」 「は、はい」  勇仁にも気持ちよくなってほしかったのに、と新が申し訳ない気持ちになっていると、勇仁が新の細い腰を抱き、くるりとひっくり返した。 「え?」 「挿入()れはしないが、股を貸してくれ。アラタも気持ちよくなれるはずだ」  回った視界にあたふたしていると、勇仁が新の耳元に唇を寄せ、囁いた。  両太ももを閉めさせられると同時に、新の小さな袋を突くようにして、勇仁の雄芯がぬるり、と割り入ってきた。 「ひゃん!」 「アラタ、私のかわいいアラタ……」  勇仁の鋼のような身体が、熱かった。  新を羽交い締めにするようにして、後ろから激しくピストンする。パン、パン、と新の尻に勇仁の強靭な太ももが激しくぶつかる。まるで本当に挿入()れられているような感覚だった。 「ああっ、前、きもちい……!」  勇仁の太い雄芯が、何度も新の花芯の幹を擦る。彼の大量の先走りと新の出した精液が混じって、ぐちゃぐちゃと音を立てるのが卑猥だった。  勇仁の固い雄芯に蟻の門渡りをぐり、と強めに擦られ、新は尻を突き出し喘いだ。  新の背にぽた、ぽた、と勇仁の汗の粒が落ちていく。汗の落ちた跡からぞくぞくと快感が呼び覚まされ、新はたまらず背をしならせた。  勇仁が二人の雄をまとめて握り込み、ぐちゅぐちゅと上下させる。もう、限界が近い。新はそこに勇仁がいるのを確認するように、愛しい人の名前を何度も呼んだ。 「勇仁様っ、勇仁様っ」 「ああ、アラタ……っ……!」  どぷ、と勇仁の雄芯からおびただしい量の白濁が噴射する。新の花芯からもわずかに白蜜が漏れて、二人の体液が勇仁の大きな手のひらの中で一つになる。  勇仁はベッド横にある水を張った桶で手をゆすぐと、ぐったりしている新に沿うように寝転がった。 「素晴らしい初夜だった。アラタ、ありがとう」 「こちらこそ……勇仁様も気持ちよくなれて、本当によかった……」  新のまぶたが徐々に落ちていく。身支度をして自分の部屋に帰らねばと思うのに、身体が鉛のように重かった。舌もうまく回らず、むにゃむにゃと喉の奥に吸い込まれていく。  いつの間にか、新は目をつぶり、健やかな寝息を立てていた。勇仁は使用人にシーツを取り替えるよう命じると、体液に塗れた新を清めるため、彼を抱いて浴室に向かった。 「俺が王妃に?」  驚く新に、勇仁が真剣な顔で頷く。  今晩もまた、新は勇仁に呼ばれて彼の寝室に来ていた。開かれた窓から入る温かな夜風は心地よく、ついまどろんでしまいそうになる。  薫子の歌会で、新は貴族たちに王妃として認知された。それをきっかけに、勇仁は新を正式に王妃にしたいと朝議で発言したらしい。  しかし、それを許さないのが、義昭率いる新法反対派だ。道化師上がりの王妃など前例にない、貴族でもない者を王妃にすべきでない、「白き鳥」がまだ現れていないのに王妃などもってのほか、と王宮は嵐の様相らしい。 「王妃になるのを反対されるのは分かりますが、俺が男なのはいいんでしょうか?」 「純度の高い鳥人の雄は、相手が雄でも雌でも孕ませることができる」 「す、すごい。そうなのですね」 「アラタが何者か明らかにすべき、との声が強い。身体検査や身元調査を受けることになるかもしれない」 「俺は構いません」  新が胸を張ると、勇仁は「心強い」と微笑んだ。  身元を調査されれば、自分が鳥人でなく、異世界から来たただの人間であることは明らかになるだろう。  そうなると、「正体不明の者を王妃にするなど」と新法反対派は勢いづくかもしれない。結果的に、新は王妃にはなれないかもしれないが、勇仁が新を王妃にしたいと思ってくれている、それほど新を大事に思っていると周囲に示してくれることが嬉しかった。  翌日から、新は王宮の医務部に何日間もかけて監視される生活が始まった。裸に剥かれてあちこちを測られるところから始まり、血どころか尿や便まで採って検査される。また、未熟な鳥人は喜怒哀楽の波が大きい時に鳥に変化しやすいらしく、楽しかった思い出や辛かった思い出を話すように命じられ、鳥に変化しないかを執拗に確かめられた。  医務部の者たちに「これで検査は終わりです」と言われた時、新はもうくたくただった。どんな結果が出ようと、なるようになる。その夜は、久々にぐっすりと眠った。  それから数日が経った頃、新は朝から勇仁に呼び出された。  勇仁が夜以外に新を呼び出す理由は、新法案についての相談がほとんどだ。それにしても、朝からとは珍しい。使い慣れたワックス板と鉄筆を片手に、勇仁のもとへ急いだ。 「お前に早急に伝えたいことがあり、呼んだ」  固い表情の勇仁に、新はどこか嫌な予感がした。 「はい、どのようなことでも仰ってください」 「今後、お前が寝起きする場所は、私の寝室の隣室にする」  どきり、と心臓が大きく音を立てた。  勇仁の部屋の隣は、王妃の部屋だ。まだ王宮内では新を正式な王妃とするのに反対の声が強いと聞くのに、良いのだろうか。しかし、勇仁が決めたのなら否とは言えない。  新は戸惑いながらも返事をする。 「は、はい。そのようにいたします」 「それと」  勇仁がひどく言いにくそうに、けれど決心した、というような苦々しげな表情で言い放った。 「私が許した時以外、部屋の外に出てはならない」  新は思わず目を見張った。  手からワックス板と鉄筆が滑り落ち、大きな音を立てる。 「ど、どうしてですか!? まだ新法案は草案段階です。最終版まで詰める必要が」 「分かっている。だが、やむを得ない事態が起こったのだ」 「やむを得ない事態とは?」  新は勢いよく尋ねたが、勇仁は唇を引き結んだ。  どうしても言いたくないようだ。  勇仁の許す時以外は外に出てはいけない、つまりそれは、監禁されるということだ。  普段の新の生活は、こうだ。朝から夕方までは図書館にこもり、他国で施行された法と新法案を照らし合わせながら必要な条項はないかを調べる。そして、晩は勇仁と音楽を聴いたり、語らったりして過ごす。これが常だった。  新法案を起草するのは新のライフワークだ。勇仁と勇仁の国のために働く喜びを実感できる大切な時間だったのに、それを取り上げられてしまうなんて。  一体、「やむを得ない事態」とは何なのか。せめて自分にだけは説明してほしかった。  新は拳を握り込む。納得できない。  新は勇仁に反論しようとした。  しかし、勇仁がじっと不安げに新を見ていた。琥珀色の瞳が、まるで置き去りにされた子どものように心細げに揺れていた。  新は口をついて出そうになる言葉たちを、ぐっと飲み下した。 「……王様が仰るなら」  勇仁が、何の理由もなしに自分を監禁するとは思えなかった。  勇仁には、何か心配事があるのだと思う。自分の身体や身元の調査結果が明らかになり、新法反対派が勢いを増したのかもしれない。彼らの攻撃から自分を守ろうとしてくれているのかも、と新は思った。  渋々だったが、新はこうして監禁生活を送ることになった。  生活は、これまでとはがらりと変わった。寝起きする部屋が変わったことで、新は王妃に限りなく近い扱いを受けることになったのだ。  まず、付き人の数が変わった。これまで侍女一人しかつけられていなかったのに、部屋の前には警護のための騎士が二人つき、服を着替える時や入浴する時のために、使用人が十人もつけられた。  監禁されているのだから必要ないだろうと思ったが、勇仁と並んでも見劣りしないよう、余所行きの服が何十着も作られた。恥ずかしかったのが、寝間着だ。勇仁と大きさが違うだけの全く同じデザインのネグリジェを着せられるようになり、まるでペアルックのようだと一人赤面した。  王妃扱いをされるようになったことでまた薫子が嫌がらせをしてくるのではと思ったが、先日の歌会で打ちのめされたらしく、公妾たちは静かだった。  そんな新の新しい毎日はというと。  朝から夕方にかけては、暇な時間を持て余すようになった。せめて図書館だけでも行かせてほしいと勇仁に頼んだが、彼は頑として首を縦に振らなかった。とはいえ、何もしないのはワーカホリックの新には難しい。新法案の問題点を整理してみたり、侍女に頼んで、図書館から持ち出せる本を見繕ってもらったりした。  ただし夜は、勇仁が自分の寝室に呼んでくれるので退屈しなかった。二人で楽師たちの演奏を聴いたり、酒を飲みながら本を読んだり、今日王宮で何があったかを教えてもらったりする。夜の時間だけは、勇仁はそれまでと変わらなかった。いつもの優しい勇仁だった。  そして、先日初夜を迎えてから、夜に新しい習慣が加わるようになった。  それは、勇仁と同じベッドで寝起きをするということだ。  就寝の時間になると、勇仁は新を横抱きにしてベッドに運んでくれ、新は彼の腕枕で眠る。  ベッドの中での勇仁は、過剰なほど新の隅々に触れたがった。石鹸の香りがする新の髪に鼻を埋めて吸い込んでみたり、バラの香りがする水をたっぷりつけた白い頬に頬ずりしてみたりと、まさに猫可愛がりで、されている新自身が恥ずかしくなるほどだ。 (俺は、勇仁様に愛されてる、はずだ)  新は勇仁の逞しい腕の中で、複雑な気持ちになりながら思った。  どうして勇仁は自分を監禁するのか。どうして理由を教えてくれないのか。  日に日にモヤモヤとした気持ちが心の奥底に溜まっていく。  それでも、勇仁が自分を愛していることだけは分かった。自分を抱きしめる手の優しさ、見つめる瞳の温かさ、それは言葉にせずとも、新を心から愛していると主張していた。  しかし、一つだけ気になることがあった。 「勇仁様」 「──っ、ダメだ。アラタ」  勇仁の頬に唇を寄せようとして、顔を背けられた。  まただ、と新は思う。  そう。キスを、拒まれるのだ。  抱きしめたり、手を握ったり、頬ずりはしてくれる。けれど、キスは絶対にしてくれない。新が求めると、「すまない」と謝り、ふいと顔を逸らすのだ。  勇仁からキスを拒まれるたび、愛されている、と思う心と、本当にそうなのか、と疑問に思う心が、せめぎ合った。本当は新を王妃に推したことを後悔しているのではないか、今更引っ込みがつかなくなって単にそばに置いてくれているだけなのではないか、そんな思いが湧いてくる。  一度不安に思い始めると、まるでそれが事実かのように思えてきてしまう。  新は頭を振り、祈るように両手を胸の前でぎゅっと握った。 (勇仁様を信じろ)  勇仁は愛していると言ってくれた。その言葉を信じよう。  心の隅に不安を抱えながらも、新は無理やりにでも前を向くことにした。  外に出られないと嘆くのではなく、部屋の中でしかできないことを頑張ればいいのだ。  部屋の中でしかできないこと、つまり、後孔の開発をしよう、と新は思い立ったのだった。  先日の初夜では、勇仁の雄芯が大きすぎて、挿入()れるのを断念させてしまった。監禁されていて時間はたっぷりあるのだから、後孔の開発をするのにはぴったりだった。  勇仁にキスを拒まれる今、新の心は大きくぐらついていた。自ら積極的に後孔の開発をするなんてふしだらな、と思わないでもなかったが、新は、現状を打破できる何かに取り組みたくて必死だった。  侍女に相談すると顔を赤くしていたが、いろいろな大きさの張り型と香油を準備してくれた。新は毎日人払いをして、後孔を拡げるように一人で練習するようになった。 「ん、っ」  ずぷ、と新の後孔に頭が挿入(はい)ったのは、勇仁のものにかなり近い大きさの張り型だ。いくつもの張り型を長い時間をかけて挿入()れて、やっとこの大きさまでたどり着いた。  とはいえ、新はまだ後孔での快感を得られていなかった。なんとか挿入()れられても、ただ異物感がひどいだけなのだ。  学生時代に男子学生たちが「アナルでセックスすると気持ちいいらしい」とふざけて言い合っていたのはガセだったのかもしれない。せっかくなら勇仁も自分も気持ちよくなれたらいいが、と、どこか諦め気味な気持ちでそろそろと挿入()れていく。  張り型の雁首を越えて、ゆっくりと幹が挿入(はい)りはじめた、その時だった。  しこりのようなところを張り型の幹がかすめた途端、腹の奥から、大声で喘ぎたくなるようなむず痒い快感がどっと湧いた。ビクン、ビクン、と新の四肢が自然と跳ねる。  何だ、何が起こった、と新は目を白黒させた。腹側にある小さなしこりにぶつかっただけで、気持ちいいことしか考えられなくなった。もっとめちゃくちゃに突いてほしい、と恐ろしいほどの衝動が湧く。  新は快感の余韻に震える手で、もう一度恐る恐るしこりをぐっと押してみた。  身体じゅうの性感帯が泡立ち、乳首が痛いほど勃ちあがった。勃ちあがった乳首を誰かに触ってほしくて、敷布に懸命に擦りつける。  もっと、もっと、しこりを擦って、押し込んで、そうすればイける、と頭の中で誰かが叫ぶ。緩んだ口の端から、涎が垂れた。  もう、自分が自分でないようだった。イくことしか、考えられない。 「ゆ、じん、さま」  勇仁の声を、手を、瞳を思い出す。新を愛していると言ってくれた時のことを、思い出す。  ──私は、お前を愛している。伝説の白き鳥など要らない。お前さえいればいい。 「俺もっ、勇仁様さえ、いれば……っ」  しこりを幹で何度も擦ると、まるで勇仁に挿入()れられ、腰を動かされているような気持ちになった。中の襞は張り型を貪欲に舐めしゃぶり、離すまいと食いしめている。香油のぐちゅぐちゅと鳴る音に煽られ、新は張り型で何度もしこりを突くようにして出し入れし、花芯を握った。限界まで反っていた花芯は、新がそっと握っただけで、あっけなく白蜜をどぷりと吐き出す。 「はあっ、はあっ」  全力疾走した後のように、心臓が脈打っている。 (これで、やっと、勇仁様と一つになれる)  張り型をそっと後孔から抜き出すと、ベッドにぐったりと横になった。  勇仁と一つになれると思うだけで、新の胸は安心感で満たされた。愛する人に愛していると、行動で示してもらえる。それがどれほど嬉しいことかを、新は初夜で知った。だからこそ、キスさえしてもらえない今の状況は、新にとって恐怖でしかなかった。  あれほど自分だけを愛していると情熱的に囁いてくれた人が、自分を見放してしまったら。そう思うと、恐ろしさのあまり、場所も時も選ばずに叫びだしたくなるほどだった。  新は、勇仁に、愛してほしかった。自分だけを変わらず愛していると、行動で示してほしかった。  勇仁に抱いてくれと頼んでみよう。  勇仁はどんな顔をするだろう。やっと新を抱ける、と喜んでくれるだろうか?それとも……いや、悪いことは考えないようにしよう。新は勇仁が喜んでくれることを願って、しばし目を閉じた。  数日後、勇仁と新はいつものようにともにベッドに入った。その日、勇仁は珍しく疲れた顔をしていて、入浴後もどこか口が重い様子だった。新は早めに就寝しようと提案し、勇仁もそれに従った。  腕の中に抱き込まれた新は、ふと太ももに熱い塊が当たっているのを感じた。 (勇仁様の、勃ってる)  勇仁は気づいているのかいないのか、新のこめかみあたりに鼻を押し当て、じっと目をつぶっている。 (今を逃しちゃダメだ)  新は勇仁に抱きつくと、甘えるように言った。 「勇仁様、俺、あの、後ろを自分で拓く練習をしたんです。だから」  セックス、しませんか、と言うと、勇仁は驚いた表情をしていた。  嫌悪感は見えない。  けれど、ぐ、と唇を噛み、新を引き剥がした。 「すまない。アラタを、愛している。が、できない」 「どうして!」  新は思わず声を上げた。愛しているなら、なぜキスしてくれないのか、なぜ抱いてくれないのか。  意味が分からなかった。何が勇仁をそれほどためらわせているのか。 「私とてお前を抱きたい! けれど三度交われば……!」  勇仁は掛け布団を跳ね飛ばし、珍しく語気を荒げ、大声を出した。新は勇仁のあまりの剣幕に驚く。  両手で顔を覆ったその姿があまりに悲壮感に満ちていて、新は何も言えなくなった。勇仁は、新が思っている以上に何か大きな問題を抱えているようだった。 「勇仁様、ごめんなさい。俺が考えなしでした」 「違う、アラタは何も悪くない。私が悪いのだ。お前に我慢を強いて」  勇仁の声は震えて、今にも泣き出しそうだった。  新の両腕を掴み、必死に言う勇仁に、新は分かっている、と首を横に振った。 「勇仁様は、いつも俺のことを思ってくださっていると分かっています。どうか不安に思われないでください。俺はどんな時も、勇仁様を変わらず愛しています」 「アラタ」  勇仁は新を強く抱き寄せた。 「すまない、今はただ何も聞かずに、私の言うとおりにしていてほしいのだ。必ず、理由を話す」  勇仁の腕の中で、新は黒々とした不安が自分の心を取り巻いていくのを感じた。勇仁の言葉を信じたい、けれど、信じられない理由が多すぎた。理由も言わず監禁する、キスを拒む、セックスを拒む……。  自分を叱咤して勇仁を信じようとしても、心は水気を失った花のようにぐったりと首を落としていた。  セックスを断られた翌日、勇仁は昨夜の詫びのつもりなのか、図書館に行くことを許してくれた。騎士二人を付き添いにするように、と命じられ、厳重過ぎる警護を居心地悪く感じたが、それでも久々の外出に新の心は踊った。  新は図書館に到着すると、夢中になって本を読み漁った。侍女の肩を借りて本を選んでいたが、ふと、奥まった場所にまだ本棚があることに初めて気づく。こちらにも本があったのか、と、新は埃っぽいそこに足を踏み入れた。  気になる本があったので抜き取り、侍女には呼ぶまで好きにしてくれていいと頼む。  行儀悪く床にぺたりと座り込んだが、こんな奥まった場所に人は来るまい。新は夢中になって本を読みふけった。  どれほどの時間が経った頃だろう。ガタガタ、と音がして、新は本棚の隙間から音の鳴った方を見た。すると、ぼそぼそと誰かが話すような声も聞こえる。こんな辺鄙なところに一体誰が来たのだろうと息を潜めると、どこかで聞いたことのある声だった。 「──アラタなどという俗物を王妃の座に据えようとしている王様への批判は、日に日に強まっております。我々の勢いは増すばかり。義昭様、次はいかがなさいますか」 「まあ、そう焦るな」  義昭だ!新は久しぶりに見た男をじっと見つめた。  しかも、隣にいる男にも見覚えがあった。新が初めて新法案の会議に参加した際、新法賛成派として秀に影のように張りついていた大臣だ。あの男、義昭に買収されていたのか、と新は絶句する。  興奮した様子の大臣とは対照的に、義昭は鷹揚としている。  それにしても、やはり自分のせいで勇仁は窮地に陥っているのだ。新は勇仁への申し訳なさで心がずきずきと痛むのを感じた。しかし、義昭たちはなぜこんなところでこそこそと話しているのだろうか。 「明日、王様は新法案について民の声を聞くために王宮を出られる。その際、王様はどこからか放たれた矢によって命を落とすのだ。王様亡き後は、王族である私の甥に王位を譲っていただこう。さすれば政治の手綱は我々の手に渡り、これまで以上に富を築ける」 「素晴らしいお考えです。射人はもう決めておいでで?」 「ああ、先の戦争で活躍した弓の名手らしいが、今は金に困っているようでな。一も二もなく私の提案に飛びついてきた」 「しかし金で釣ったとなると、他の者にさらに買収される危険性もあるのでは……」 「誰にものを言っている? 用が済めば殺しておく」 「さすが義昭様、首尾は万全でいらっしゃる」  新は悲鳴をあげそうになる自分の口を、必死で押さえた。  勇仁が矢で射たれて殺される。殺した射手も殺される。そして、義昭の息のかかった王族が王位を継ぎ、義昭とその仲間たちは莫大な権力と富を手に入れる。  勇仁に早くこのことを話さねば。しかし、今はもっと情報がほしい。勇仁を狙うといっても、必ず護衛がついていくはずだ。護衛の目をどう掻い潜って狙うつもりなのか。詳しく知りたい。  義昭たちが何を話すのか、もっと聞こうと身を乗り出した途端、新が寄りかかっていた本棚から、誰かが中途半端に抜き出していたらしい本がバサリと落ちた。  まずい。 「何者だ!」  ざっと新の全身から血の気が引いた。  新が二人の話を聞いていたと知られれば、何をされるか分からない。口封じに殺されてしまうかも知れない。新には、勇仁に義昭の企みを伝えなければならないという使命があるのに。  コツ、コツ、と大臣が近寄ってくる足音がした。足音はどんどん新の方に近づいてくる。  大臣が、新の隠れている本棚の一つ前まで迫った。  息遣いがすぐ近くに聞こえる。  もうダメだ、終わりだ、と新が目をつぶった時だった。 「アラタ様! どちらにおられるのですか、アラタ様!」  侍女が叫びながらこちらに近づいてくる声がした。  大臣は慌てて義昭のもとに戻ると、「では明日」とだけ言って、二人は散り散りに去っていった。 「アラタ様! ずっとこちらにいらしたのですね」 「う、うん」  侍女の顔を見た途端、新はどっと疲れが身体にのしかかるのを感じた。侍女は不思議そうな顔をしていたが、新は腰が抜けて、しばらく立ち上がれなかった。  その晩、新は勇仁の部屋に呼ばれるのを、今か今かと待っていた。  けれど、今日に限ってなかなか呼ばれない。もう勇仁は入浴を終えている時間だろうに、なぜ、と侍女に尋ねると、勇仁はまだ政務室で仕事をしているらしい。文字の読めない平民たちにも新法案を理解してもらえるよう、王宮お抱えの絵師に法の内容を図解させたものを描かせているそうだ。その細やかな心遣いはいかにも勇仁らしかったが、今はそれどころではない。  勇仁の命の危機が、すぐそこまで迫っているのだ。  どうか勇仁にお目通りを頼んでほしい、と侍女に頼んだが、集中したいので何者も部屋に入れないように厳命されている、と従者に追い返されてしまう。 「お願いします、どうしても王様にお伝えしなければならないことがあるのです!」 「アラタ様、落ち着かれてください。私が王様に言伝いたしますので、よろしければお申しつけください」  半狂乱になりながら従者に噛みついたが、怯えたようになだめられて、新はぐっと唇を噛む。  新法賛成派、つまり勇仁の味方だと思っていた大臣も、義昭側に寝返っていた。つまり、今や王宮内で誰が勇仁の敵で、誰か味方か分からないということだ。長年勇仁に付き添っているらしい従者さえも、信用できない。 「……『明日お出かけになられる前までに、なるべく早くお会いしたい』と、お伝え下さい」 「承知いたしました」  きっかりと腰を折り去っていく従者を見ながら、新は頭を掻きむしった。本当ならば、明日街へ出かけるのを中止してほしい。だが、中止したところで義昭たちは別の手で勇仁を殺そうとするかもしれない。ならば、この機会を逆手に取って、義昭たちを追い詰めねば。  勇仁には、警護を厳重にしてもらい、特に高い建物には見張りを置くようお願いして……と、新は必死で彼を守る方法を考えた。侍女に「王様がお呼びです」と声をかけられるまで、新はどれだけ時間が経ったかも忘れていたほどだった。  新は侍女を急かして弾丸のように部屋を飛び出し、従者に案内されるまま、勇仁の寝室に駆け込んだ。  勇仁はちょうど風呂からあがったところらしく、疲れきった顔をしていた。 「勇仁様、お命が狙われています!」  新は青ざめながら叫んだ。勇仁は新を手で制すると、侍女に自分のベッドまで新を運ぶよう命じ、そのまま新を抱き込んで目をつぶってしまう。 「勇仁様、お聞きください。お願いですから……!」 「アラタ、私はひどく疲れた。明日必ず聞くから、どうか今晩は休ませてくれ」  新は勇仁の腕を無理やり解き、話を聞いてもらおうとした。しかし、勇仁は言葉の通りとても疲れていたようで、新をなだめるなり、意識を失うようにすとんと眠ってしまった。  あまりに早く勇仁が寝てしまったので、新は呆気にとられる。寝息をたてる彼の腕の中で静かに寝返りをうつと、彼の顔をじっと見つめた。  切れ長の美しい瞳の下には、暗闇でも分かるほどくっきりとした隈ができていた。頬はいつもよりシャープな線を描いていて、月の光に照らされるとまるで病人のように目鼻がくっきりと浮き彫りになっている。あまり食事を摂っていないのではなかろうか。  新は勇仁の頬にそっと手を滑らせると、自分の愚かさに唇を噛み締めた。  こんなに愛しているのにどうしてこうしてくれないのか、ああしてくれないのか、と、自分の考えばかりを押しつけて、肝心の勇仁のことを全く見ていなかった。誰よりもそばにいたのに、これほど衰弱した勇仁に気づかなかったなんて。  新は勇仁の両頬に手を添えると、少し逡巡し、意を決して、彼の唇に口づけた。  そして、かすかに開いた勇仁の唇の間から、自分の舌を滑り入れる。  彼の舌にそっと触れると、背筋にまるで電撃が走ったような激しい衝撃があった。きっと久々に彼の唇に触れたからだろう。彼の舌が、唾液が、蜜のように甘く感じられて、もっともっと欲しい、と思った。  強引に唇の間から舌をねじこむと、彼の整った歯列をなぞり、口の天井を舐め、舌の裏側をくすぐり……と、自分が彼にされて気持ちよかったところをそのままなぞった。勇仁は深く眠っているようで、ぴくりとも動かない。  自分が暴走している自覚はあった。一度勇仁の唇に触れてしまうと、貪欲にどこまでも求めてしまう。勇仁が欲しい。勇仁と一つになりたい。  新の身体は、どんどん熱を帯びていた。まるで身体の奥に燻っていたマグマが、突然湧き出し活動し始めたようだ。  乳首や花芯など敏感な部分が勇仁の身体と擦れるたび、びくびくと震えて悦んでいるのが分かる。なぜか肩甲骨のあたりがやけに熱くて、まるでそこから炎の羽がめきめきと生えてくるような気がした。  ああ、もし自分に炎の羽があったのなら、勇仁を抱えてどこか遠くへ、二人だけしかいないどこかへ、飛んでいきたいのに。 「勇仁様」  ちゅぷ、と音を立てて、新の唇が勇仁から名残惜しげに離れる。  このキスは、自分へのはなむけだ。  義昭にとっては、勇仁だけでなく新も邪魔者だろう。勇仁を殺した後は、新も近いうちに殺されるかもしれない。けれどそれならば、新は義昭の企みを裏切って、命をかけてでも勇仁を守りたいと思った。  勇仁は、新にとって、唯一無二の人だ。新の心と身体を初めて愛し尽くしてくれた人。彼を失ったら、新はどう生きていけばいいのか分からない。 (勇仁様がどれだけ反対しようと、明日は必ずおそばについていこう)  新はひっそりと決意した。 「俺が、勇仁様をお守りしますから」  新は勇仁の寝顔にそう告げると、彼の腕の中にそっと戻った。目は冴えきっていて、なかなか眠気は訪れそうになかった。  翌朝、目を覚ますと、ベッドに勇仁の姿はもうなかった。一気に血の気が引く。まさか、もう勇仁は出発してしまったのか。 「勇仁様は!?」  顔を洗うための湯を持ってきた侍女に飛びかかる勢いで尋ねると、「政務室においでです」と答えが返ってきた。慌てて身支度をし、勇仁のもとへ向かう。  勇仁はすでに外出するための準備をすっかり整えていて、同行する大臣たちがその周囲をずらりと取り囲んでいた。 「アラタか。どうした?」  勇仁は気安い様子で話しかけてきたが、新は神経を張り巡らせていた。  誰が敵で誰が味方か分からないこの状況下で、勇仁の命が狙われていることを言ってしまっていいのだろうか。いや、危険だ。この場にいる全員が義昭の仲間ならば、新の発言をきっかけに、勇仁も新もここで殺されてしまうかもしれない。それならば、平民たちという大勢の第三者がいた方がいい。やはり、街に出る勇仁を自分が守るしかない。 「王様、どうか俺も連れて行ってください。俺も新法案の起草に携わった一人です。新法をより良いものにするためにも、民の声を直接聞きたいのです」  新は懇願した。勇仁のそばにいられれば、刺客から勇仁を守れる。 「駄目だ。お前は王宮で待っていてくれ」 「王様! お願いです。今回だけで良いのです。今回だけ、どうか一緒にお連れください!」  新は必死で頼むが、勇仁は眉をしかめ、厳しい表情を変えない。 「王様、アラタ様がお願いされるのももっともなことでございます」  突然真後ろから声がして、新はびくりとした。 「本日は気候も良うございます。ずっと王宮の中におられては、アラタ様も息苦しくお感じなのではないでしょうか。南の離宮ではちょうどひまわりが満開だと聞きました。南の離宮にお連れするのはいかがでしょうか?」 「違います! 俺は……」  ぐり、と背中に何かを押しつけられる感覚があり、新は横目でそれを見て、思わず叫びそうになった。それは手の中に隠せるほどの大きさの、抜き身のナイフだった。 「大人しくしろ」  新にだけ聞こえるような音量で脅され、新はぞっと鳥肌が立った。恐る恐る後ろにいる男を見上げると、なんとそれは昨日図書室で義昭と話していた大臣だった。 「お前……!」 「離宮に行くと言わねば、この場でお前を殺す」  新の背に冷たい汗が伝った。  暗殺計画を勇仁に知らせようとしていたことだけでなく、図書館で盗み聞きしていたこともとっくにばれていたのだろう。そうでなければ、こんなにも早く新を勇仁から引き離し、殺そうとする理由がない。  この場でむざむざ殺されるわけにはいかない。新は勇仁を守らなければいけないのだ。しかし、離宮に行かされれば、勇仁を守ることができない。  背中にかかる圧が強まり、刃の先端がざくりと服を切り裂いたのを感じた。 「り、きゅうに、行きたいです」 「王様、いかがでしょうか?」 「……お前が言うなら、そうしよう」  勇仁はしばし考えている風だったが、新を監禁しているという負い目を感じているのか、大臣の提案にすぐに乗った。  勇仁は新のもとに歩み寄ると、耳元で囁いた。 「義昭の謀反を心配してくれているのだろう? お前の後ろにいる者は、私の派閥の者だし、護衛もつける。安心して出かけるといい」  ぽん、と勇仁に肩を叩かれて、新は絶望的な気持ちで彼を見送った。  違う。この男はもう義昭に……そう叫びたかったが、背中にはずっとナイフが突き立てられたままだ。言葉は喉に張りついたまま、一言も発することができなかった。  勇仁が政務室を出た後、新は離宮に赴く準備をすることになった。 「離宮のひまわりは本当に美しいのです。遠くに海が見えるのですが、海とひまわりの対比がそれはもう筆舌に尽くし難く……」  侍女は離宮に行ったことがあるらしく、てきぱきと準備を進めながらも、とても興奮しているようだった。新は侍女に生返事をしつつ、どうにか使用人たちの目を盗んで勇仁たちに合流できないかと考える。  何か事件でも起こして、それに皆が気を取られているうちに逃げ出すのはどうだろうか。例えば火事はどうか。身の回りに火の気がないか探したが、まだ日の高い今の時間では、どの燭台にも火はついていない。  ならば身体のどこかが痛いと騒いで外出を中止させ、こっそり部屋を抜け出すのはどうか。支度をしている部屋の前では、新を脅した大臣がこちらをじっと監視しており、外出しないという選択肢は無理そうに思われる。  使用人たちは離宮に行くのが楽しみなようで、手早くトランクに食事や服を詰め込み、新が行こうと号令を出すのをそわそわと待っている。  考えに考えたが、新の頭にはもうこれ以上何の選択肢も残っていなかった。 「……行きましょう」  張りつけたような笑顔の大臣が、侍女ごと新を誘導する。  侍女は新と同じ馬車に乗り込み、大臣は新のすぐ後ろの馬車に乗ったようだった。御者の掛け声とともにムチのしなる音がし、ゆっくりと馬車が動き出す。  まるで処刑台に向かう囚人の気分だ。どんどん城が遠くなっていくのを見ながら、新は絶望的な気持ちになる。けれど、諦めてはいけない。まだ命はあるのだ。できることを考えなければいけない。  流れていく景色を見ながら、いつこの扉から飛び出そうかと考える。しかし、扉は外側から施錠されている。窓はずっと開いたままだが、新の身体をねじこめば途中で詰まってしまいそうだった。  どうしたらいい、どうしたら勇仁様のもとへ行ける。  新は頭を抱え、うずくまる。  奇跡でも起きない限り、ここから出ることはできない。 (鳥になりたい。何を犠牲にしたって構わない。勇仁様のもとへ飛んでいける、鳥になりたい)  皮膚が切れてしまいそうなほど、両手を握りしめて必死で祈る。  祈っても何も変わらないかもしれない。けれど、どうか、お願いだから、この願いだけは──。  新がきつく両目をつぶったその瞬間、意識はふっと遠のき、まぶたの裏の景色は真っ白に塗りつぶされた。 「王様のお成り!」  城下町に降りていった勇仁は、大勢の平民たちに歓迎されていた。 「王様!」 「王様がいらっしゃった!」  勇仁をひと目見ようと平民たちがどっと集まり、さらには大道芸人まで出てきて、笛を吹くやら太鼓を叩くやらで、あたりは大騒ぎだ。  勇仁は馬に乗り、にこやかに手を上げ、周囲を見回しながら進んでいた。街で一番賑わっている市場へ赴き、そこで新法案について民たちから意見を聞く予定だ。  勇仁の周りは警護のための騎士たちが取り囲み、その後を大臣たちがついてきている。ぞろぞろと列をなして進み、市場に着くと、勇仁はひらりと軽やかに馬から降りた。 「我が愛する民たちよ! 今日は貴族に税を課す新法についてお前達の声を聞きにきた! 存分に声をあげてくれ!」 「おおお!!」  勇仁が集まった平民たちに叫ぶと、負けじとばかりに彼らも歓声をあげた。  勇仁は早速、絵師に描かせた図を大臣に持たせ、説明を始める。平民たちは皆じっと黙って聞いていて、あたりは風の音しか聞こえないほど静かだ。  勇仁が説明を終えると、平民の一人が声を殺して静かに泣き始めた。つられて、周囲の者たちも声をあげて泣き始める。 「王様、素晴らしい法です。一刻も早く施行してください」 「王様ほどの名君はおられない! 王様、万歳!」  王様、万歳!と、声はどんどん広まっていく。勇仁は手で制するが、声は大きくなるばかりだ。 「基本的な方向性について異論はないようだ」 「ええ」  勇仁がそばに仕えていた秀に言うと、秀は真面目な顔で頷いた。 「この法に異論がある者があれば、この場で言ってくれ! 新法に反映させたい!」  勇仁が叫ぶと、平民たちは顔を合わせてざわざわと話し始める。 「あの、王様、法律の難しいことはよく分かりませんが、王様にお聞きいただいきたいことがあるのです。先日、地方に行った時に貴族様からひどい商談をふっかけられて……」 「それなら俺も聞いていただきたいです! 俺もお納めする作物に難をつけられて、貴族様に嫁をとられて……」  平民たちがどっと勇仁の前に押し寄せ、騎士たちが慌てて流れをせき止める。 「分かった、分かった。皆の話を聞くから、落ち着くのだ」  勇仁は近くに置かれていた空樽に腰掛けると、平民たちの話を聞き始めた。騎士たちが勇仁のもとから離れ、平民たちを並ばせようと誘導したその時だった。  ピュン、と風を切って勇仁の斜め後ろから一本の矢が真っ直ぐに飛んできた。  しかし騎士たちは平民たちの騒ぎに巻き込まれて、誰も気づかない。矢が勇仁の髪に触れそうなほどすぐ近くに迫った時、秀が顔を真っ青にして叫んだ。 「王様!!」  勇仁が秀の声に振り向いた瞬間、彼の目の前いっぱいに、羽ばたく小さな白い鳥がいた。純白の鳩だ。 「ギャアッ!」  勇仁の眼前で、鳩の胸を、一本の矢がぐっさりと貫いていた。  ぱた、と鳩の血が、勇仁のしみひとつない頬に落ちる。勇仁は目を見開き、鳩を呆然と見つめた。目の前の小さな白い胸は、みるみるうちに真っ赤に染め上がっていく。羽ばたいていた鳩は力尽きたように、勇仁の胸にどさりと落ちた。  矢は勇仁の頭を的確に狙っており、そのまま刺さっていたならば、確実に即死だった。  血塗れの鳩を見た平民たちが、悲鳴をあげた。自分も殺されるのではと、皆がパニックに陥る。しかしそんな中でも、鳩を凝視し興奮する者たちがいた。 「『真白き鳥』だ!」 「『真白き鳥』が王様を守ったぞ!」  大混乱の平民たちを押さえながら、騎士たちが慌てて勇仁を取り囲み、あたりを見回す。矢が放たれた方角にある高い建物を見てくるように、騎士たちが部下に指示した。 (これは、『真白き鳥』?)  勇仁は騎士たちに守られながら、自分の腕の中に落ちてきた白い鳩を見て、思う。  これまで国内外でさまざまな「真白き鳥」候補と会ってきたが、これほど頭から尾の先まで白一色の鳥には初めて出会った。自分の命を助けてくれたこの鳥こそが、あの伝説の「真白き鳥」なのか。  と、ふと、鳥から甘い香りが漂っていることに気づく。この香りは何だろう、どこかで嗅いだことのあるような。  その時だった。鳩から強い光が漏れはじめ、勇仁はまぶしさに目を覆う。抱いていた鳥がどんどん重くなり、片腕で抱えられなくなる。鳩は、人型に姿を変えようとしていた。 (一体何者が、私を守ってくれたのか)  ゆっくり目を開けた時、勇仁はあまりの衝撃に絶叫した。 「アラタ!!」  鳩から姿を変えたのは、新だった。  全裸の新の胸にぐっさりと矢が刺さっており、勇仁は急いで矢を引き抜く。どぷ、と傷口から血が溢れ出すのにもますます焦る。  どういうことだ。アラタは離宮に行ったはずだ。いや、そもそもアラタは鳥人ではないはずなのにどうして鳩になっていたのか? 「ゆ、じん、さま」  血の色が抜けた真っ白な指先で、新は勇仁に触れようとする。勇仁は新の手を握り、恐慌気味に問い詰めた。 「アラタ、なぜここにいる!? その身体はどうしたのだ!?」 「矢、を、調べて、ください……犯人、が」  ごぷり、と口から血の塊を吐き出した新に、勇仁は叫んだ。 「もう何も言うな! 今すぐ王宮へ戻る!」  ざわつく平民たちをよそに、勇仁は新を素早くマントでくるむと、新を貫いた矢を持ったまま馬へ駆け寄った。マントで新を自分にくくりつけ、一緒に馬に飛び乗る。 「秀、矢を放った者を探せ」  追いかけてきた秀に矢を渡すと、秀はこくりと頷いた。  それを見届けると、勇仁は全速力で王宮へ向かって走った。腕の中の小さな命が消えないようにと、馬に鞭打ち、目を血走らせて走った。  王宮に着くと、勇仁はすぐに自分のベッドに新を寝かせ、医務部の者を呼んだ。  医務部の者たちが部屋に到着するなり、勇仁は厳しい声で追求した。 「お前たちは鳥人と三度体液を交換すればアラタは死ぬのだと言ったな、しかしアラタは鳥人になっていた! どういうことだ!」 「お、恐れながら分かりません。純人間に関する記録はまだ研究途中のものが多く」 「ではアラタを治療するにはどうすれば良いのだ、私の体液を分けて良いのか!? 早く申せ!!」 「も、申し訳ありません、王様! 鳥人になったということは、すでに鳥人の体液を三度以上摂取したということ。これ以上摂取しても問題はないと思われますが、か、確証は持てません」 「ぬけぬけと……!」  勇仁は怒りのあまり、思わず腰の剣を抜いた。すらりと音がし、医務部の者たちは悲鳴をあげてその場に土下座する。 「王様! 怒りをお収めください!」  大臣たちが焦ったように勇仁を止めるが、勇仁の怒りは収まらない。 「お前たちが言ったのだ! 『純人間のアラタに三度体液を与えれば死ぬ』と! それを今になってのうのうと覆すのか! アラタにどれだけの苦しみを強いたと思っている!! 私を馬鹿にしているのか!?」 「王様、決してそのようなことは」 「王様、まずはアラタ様の傷を治さねばなりません。お怒りを収め、王様の体液をアラタ様にお分けされた方が良いのではないでしょうか。見ての通り、アラタ様の傷は深く、医務部の技術ではとても治せそうにありません」  秀の臣下が怒り狂う勇仁を懸命に説得する。勇仁は、はあはあと肩で息をしながら、乱暴な仕草で剣を鞘に収めた。 「もしアラタが死んだら、どう責任を取る」 「私の命を王様に捧げます」 「お前の命を奪ってもアラタは帰ってこない!」  勇仁の咆哮に使用人たちは怯え、小さくなっている。 「しかし、王様の体液以外でアラタ様を治す方法はございません。ここは、思い切って賭けるしかないのでは?」  勇仁は唇を噛んだ。秀の臣下の言う通りだった。  新の胸からは血が流れ続けており、顔色は紙のように白くなるばかりだ。息も時間が経つほどか細くなっており、いつ止まってしまってもおかしくない。  多くの目に見つめられながら、勇仁は決断を迷った。  もしアラタが自分の体液を摂取して死んでしまったら?自分は一生その傷を抱えていきていくことになるだろう。愛する人を、自分のせいで死なせてしまったと。  では逆にアラタに体液を与えなかったとしたらどうだろうか?それでも、同じように後悔するだろう。医務部にアラタを預けても、彼らは止血することしかできない。傷を根本的に治療するには、純度の高い鳥人の体液を摂取させるしかないのだ。自分が体液を与えていれば、もしかしたら生きていたかもしれないという傷を一生引きずるだろう。  それならば、と勇仁は腹をくくった。 「アラタ、生きてくれ。頼む」  勇仁はひゅうひゅうと隙間風のような呼吸をする新の唇に、自分の唇を重ねた。新の舌の上に、唾液を何度も送り込む。 「アラタ、飲み込めるか?」  新はぼんやりとした瞳で、かすかに頷いた。  こくり、と小さな喉仏が上下する。  新の胸に広がっていた血の染みが、広がりを止める。寝室に充満していた鉄臭い血の臭いが、うっすらと和らいだ。胸の傷口はぐねぐねとうねり、そして、新の胸にぼっかりと空いていた穴は、すっかりなくなった。 「アラタ様!」 「すぐに気つけのお薬を持ってまいります!」 「血を拭う布を持ってまいります!」  医務部の者たちから歓声があがった。誰もが薬を、布を、と奔走し、その場には勇仁と新と従者、そして数人の使用人だけが取り残された。 「アラタ、アラタ、聞こえるか?」  勇仁は血だらけの新の細い手を取り、自分の頬に当てた。  新の身体を血がどくどくと巡っている音が皮膚を通して聞こえ、勇仁はほっと安心する。 「ゆ、じ、さま」  口の中に溜まった血のせいで喋りにくそうな新を見て、勇仁はすぐに使用人に水を張った桶を持ってくるように指示した。 「アラタ、お前が生きてくれていて、良かった」  勇仁は自分の声だけでなく、身体も震えていることに気づく。  自分のせいでアラタを失うのではないかと、心底怖かった。よかった。アラタは、戻ってきてくれた。  そこに使用人が水桶を持ってきたため、勇仁は添えられていた布に水を浸し、新の身体を拭いてやった。血だらけのマントを剥ぎ、身体を拭く。清められた身体に、使用人たちがネグリジェを着せていく。胸に傷痕は残っていたが、もう少し勇仁の体液を摂取すればすっかり見えなくなるだろう。桶の水で口をゆすがせ、口の周りの血も拭い取った。  勇仁は新に唇を近づけると、もう一度キスをした。  今度は、新もゆるく舌を絡めてくる元気があるようだった。唾液を舌に送り込むと、新がゆっくりと飲み込む。ネグリジェを捲り胸の傷を見ると、もうほとんど痕は見えなくなっていた。  勇仁は、手の中に新が戻ってきたことに、心から安堵した。
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