キミノネ

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 後はお偉い方々が来るのをひたすら待ち続けるだけだ。日が昇ってくるといよいよ花見客は増え始め、花を見上げて歓声を上げる声や、花より団子に盛り上がる声が聞こえてくる。  正直、このままただ待ち続けるのは面白くない。  そこで、ブルーシートなどの荷物とは別にバッグに潜めてきた保冷バックを取り出す。中にはビールやカクテルなどの缶が数本。  シートを汚したりしなければ、場所取りがてら少しくらい花見気分を味わったって怒られないだろう。とりあえずビールを一本取り出してから、袋を彩萌に渡す。 「せっかくだし、少し飲もうぜ。アルコールの入ってないのもあるから」  普段飲み会に来ない彩萌が何が好きかわからないから、色々用意してきた。もしかしたらお酒が苦手なのかもと思ったけど、彩萌はペコリと頭を下げてからカクテルの缶を手に取った。 「乾杯」  軽く缶を重ねてから、ぐびり。隣を見ると彩萌も両手で缶を握りしめるようにしてチビチビとカクテルを飲んでいた。その横を桜の花びらがヒラヒラと風に乗って踊っている。  これまでオフの彩萌を見たことはなかったから、その様子は何だか新鮮だった。 「お返し、というわけではないですが」  彩萌は缶を慎重に隣に置くと、手持ちのカバンから俺のと似たような保冷バックを取り出した。中からは小振りなタッパーが3つ。唐揚げとチンジャオロース、ミートボールというわんぱくな組み合わせ。 「よかったら、どうですか?」  彩萌が割り箸を差し出してくる。ありがたく受け取ってミートボールをつまんでみると、甘辛さと酸味のバランスがちょうどよかった。 「これ、彩萌が作ったのか?」 「そうですけど」  彩萌は当然だとでも言いたげに答えながらカクテルを口にする。正直、彩萌に料理ができるイメージが無かったから意外だった。仕事以外の要素を切り捨てているような印象があったけど、先入観はよくないなと思いながら唐揚げに手を伸ばす。 「先輩。全部顔に出てます」  ツンとした彩萌の言葉に、しっかり下味のついた唐揚げを吹き出しそうになる。むせてしまって、少し勿体ないと思いながらもビールで流し込む。 「悪かったよ。すげえうまい」 「言い訳みたいに言われてもですね」  ジトっとした目でざっくりと言い放って、カクテルの缶をくぴり。缶を傾ける彩萌の指に絆創膏が巻いてあるのが見えて、だけどそれを指摘したら怒られそうだ。小さく頭を下げてチンジャオロースを口にする。これもうまい。  とにかく、何か話題を変えよう。普段は何気なく話しているはずなのに、こんな時には話題が浮かばない。それとなく辺りを見渡してみると、桜の木の根が地面を縦横無尽に張って互いに絡まり合っていた。  ああ、そうだ。今日みたいな状況にピッタリな話題がある。 「あのさ、彩萌。時には今日みたいなくだらない接待とか、地味で目立たない『根回し』が仕事の成り行きを左右することもあるだろ?」 「はあ……?」  急に話題が変わったせいか、彩萌は怪訝そうな顔で頷く。それに、彩萌であれば言われなくても当然だろうし、そもそも突然何の話だって思われるだろうけど。 「『根回し』って言葉の由来って知ってるか?」  彩萌は怪訝そうな顔のまま顎に手を当てて視線を宙に彷徨わせる。 「木を移植するときに予め太い根を切っておくことで、細かな根がしっかり張って土地との馴染みがよくなる……でしたっけ」  まるで脳内のコンピュータで検索してきたかのような回答が返ってきた。聞いといてなんだけど、どこからそんな知識を仕入れてくるのか。 「さすが。じゃあ、樹木同士が根を通じて栄養をやり取りしてるって話は知ってる?」  今度は疑うような目で俺のことをじっと見た後、彩萌はふるふると首を横に振った。よかった。そこまで彩萌が知っていたら話題が広がらなくなるところだった。 「土の中には根といっしょに菌類がネットワークを張り巡らせててさ。そこで栄養をやりとりしてるらしい。虫に食われたりとか、そういった弱った木に栄養を融通して助け合ってるんだと。地上では太陽の光を奪い合ってるように見えるけど、そうやって地面の下では助け合って森は生きてる」  少し前にテレビで見た内容の受け売りだけど、彩萌は興味深そうに相槌を打っている。俺も印象深くて覚えていた内容だったから、その反応は何となくくすぐったくもうれしかった。 「そう考えてみると、根回しって上手い言葉だよな」 「絶対そこまで考えて使われてないと思いますけど」 「別にいいんだよ。もしかしたら『根回し』って現象的にも地下的な意味でも深い言葉なんじゃないかって思ってた方が、働いててなんだか楽しくないか?」  樹木の根の菌糸がそれぞれ繋がり合うことで木を生かし、木々は森を作る。それはまるで人間社会の在り方のようにも見えるし、あるいはこの世の縮図とさえいえるのかもしれない。人間社会なんて数億年前から存在する森の模倣に過ぎないのかも。  そんな風に考えを遊ばせていると、唇を小さく噛みしめるようにして彩萌がじっと俺を見ていた。 「そんなことしなくても、先輩はいつも楽しそうに働いているように見えます」 「そうか?」 「そうです。いつも笑っててお花見気分なんじゃないかって、隣で見てて思います」  彩萌の言葉は、褒めているのかけなしているのか微妙なラインだった。これを微妙と感じられる時点で、彩萌の言うところのお花見気分なのかもしれないけど。 「まあ、笑ってりゃ、大抵のことはどうにかなるからな」  無駄に笑えばいいわけじゃないけど、イライラしたり落ち込んだりするくらいなら、人を怒らせない程度に笑って過ごした方が仕事的にも精神的にも健康だと思う。笑う門には福来るっていう言葉を生み出した先人は偉大だ。 「……彩萌?」  何気ない雑談のつもりだったけど、彩萌は思いつめたようにギュッと膝を抱えて視線をブルーシートにじっと落としていた。ハラハラと舞う桜がこの瞬間だけは彩萌を避けているように見える。 「私も、笑った方がいいですか?」  やっと、胸の奥から吐き出したような彩萌の声。いつもは粛々と仕事をこなす彩萌からは想像できない言葉だった。 「別に、無理して笑う必要ないだろ」 「先輩はそう言ってくれますけど」  もしかしたら、知らず知らずのうちに彩萌が胸の奥に抱えている一番痛い部分を抉っていたのかもしれない。  俺は、ということは。彩萌は俺の部署に来るより前に二度、上司との折り合いが悪くて異動を繰り返してきた。その頃の上司と彩萌の関係がどんなものだったのか、直接見たことはないけど想像はできた。 「俺はさ、彩萌が自然体でいてくれたほうが楽だよ」 「でも、先輩だって私みたいなのより、普段からニコニコしてるような後輩の方が働きやすいんじゃないですか」  ぎゅっと膝を抱える彩萌はまるで心を閉ざした蕾のようで。普段と違った状況に何となく浮かれ調子だった気分がしゅるしゅると萎んでいく。 「勝手に決めんな。無理して明るくされてる方がやりにくいに決まってるだろ」 「無理じゃありません」  俺の言葉に反射するように、それまで膝を抱えていた彩萌が身を乗り出してくる。 「私だって、やればできます。証拠だって、あります」  そう言って彩萌は唇を固く結び、ぐいっとスマートフォンの画面を突き出してきた。
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