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満開の桜に囲まれていたからだろうか。その日、先輩は普段より殊更機嫌が良かった。
「いい席取れたじゃん!」
そう言って僕の肩をバシバシと叩く彼女の左手には、アルコール度数の高い缶チューハイ。
「こんないい席でお花見したの、大学入って初めて。早くから席取りしてくれてたんでしょ、ありがとね」
缶チューハイの中身を喉に流し込み、先輩が顔を見げる。
花びらが待って、それが彼女の髪に貼りついた。
触れたい。
思わず差し出した手を引き、先輩と同じように視線を上に向けた。
空の青が見えないくらいの桜色。
昨晩からシートを敷いて待機していたのだ。トイレだって我慢した、我慢できた。この景色を見せてあげたいと思ったから、彼女が喜ぶと思ったから。
上級生との交流が盛んなゼミに嫌気がさしていたがこれかこれで、よかったと思える。
何より彼女と出会えたので、後悔はしていない。
これでもう少し距離を詰めることができれば……いや、付き合うことができれば文句はないのに。
「ねぇねぇ、嘘つかないゲームしない?」
陽気な声に振り返るとニヤケ顔の先輩が飲みかけの缶チューハイを僕に差し出していた。
いいのか、これは。
いやダメだろ、間接キスになって……いいのか?
「いえ、結構です」
理性が勝った。缶を押し返すと、先輩が頬を膨らませて「やろうよ」と肘をぶつけてくきた。
スキンシップが激しい……これはよくない。
僕は嬉しいけどこれを、他の人にやって欲しくない。
酒をやめさせようと缶を奪うと、「取られちゃったー」と笑う先輩が「りんご」と声を発した。
「はい?」
「だから、りんご」
それはシリトリというゲームではないかと思ったが酔っぱらいのやることだ。
あえて反論はせず「ごりら」と返した。
即座に「らっぱ」と彼女が言い、僕が「パンダ」と返す。
「ダ、かぁ……」
困ったように顔を上げた先輩の眼前を桜が舞い落ちた。
地面に落ちた花びらを指で掴み、先輩が僕に視線を向ける。
「君はさぁ、飲み会好きじゃないよね?」
突如再開される『嘘つかないゲーム』
やはり酔っ払いの相手は面倒くさい。
「はい」
「あははっ、やっぱりね。見てたらわかる」
「……僕もわかります」
「ん?」
「先輩も同じですよね?」
彼女は小さく頷き、「次は私の番」と居住まいを正した。
僕も横を向き、膝を合わせて向かい合う。
「それなのに毎回、飲み会には参加してるよね?」
「先輩がいる時だけです、あとは行ってません」
「えー、なにそれ。酔ってる?」
「酔ってるのは先輩でしょう?」
「どうして?」
「はい?」
「なんで私のいる時だけ、飲み会に参加するの?」
「……黙秘権を行使します」
「なるほど、うまい言葉使うね。うーん、じゃあ、私のこと好き?」
思わず、缶を落としそうになった。わずかしか残っていない、彼女の飲みかけの缶。
「黙秘……」
「二度は使えません」
「……」
「これ、嘘つかないゲームだから。ほんとこと言ってね?」
酔っているな、これは相当に。だけど酔うと本性が出るという言葉もある。
彼女は僕に、何を言わせたいんだろう?
「先輩はどうなんですか?」
「へ?」
「僕のこと、好きですよね?」
酔っているのかもしれない、僕も。
言わせたい、彼女の気持ちが知りたい。
今の態度が本性なら、過度なスキンシップが本音からくるものだとしたら。
このゲームの結末は、
「そうね、好きよ」
あまりにもあっさり言うものだから、聞き間違いかと思ってしまった。
「は、え?」
「だってさー、優しいじゃん? 優しい子だなーと思ってたら他の人には塩対応、私にだけ優しいみたいじゃん? 好きになるってそんなの」
あははっと笑った先輩が、花びらを避けながら立ち上がった。
桜色を背景に愛しい人の後ろ姿。
綺麗だと思った矢先、彼女が振り返った。
「嘘じゃないよ、そういうゲームだから」
先輩は愉快そうに笑い、フラフラした足取りで歩き出した。靴も履かず芝生の上を歩き、同級生に怒られて共に再び歩みを進めた。
ひらひらひらひら、桜の花が舞う幻想的な風景。
たった今起こった出来事が信じられず、しばらく呆けている間にお開きになって。
結局その日、彼女は戻って来なかった。
○
翌日、学食で偶然彼女と出会した。互いに「あ」と声をあげ、顔を背ける。
「昨日は、ごめんねー。トイレ行ったら気持ち悪くて、そのまま帰っちゃって」
「いえ、こちらこそ……大丈夫ですか?」
「寝たらもうすっかり……あー、えっと、ごめんね?」
チラッと窺う先輩の視線が、やはりかわいい。
「ごめんって、何がですか?」
「え? あー、えっと、昨日の……ゲーム」
どうやら記憶はあるらしい。
それならば相当恥ずかしいだろう。早く、早めに応えてあげないと。
「僕も好きです」
「……え?」
「昨日のゲーム。僕、答えてなかったから」
はっとした彼女が僕を見つめたが、すぐに視線を逸らした。
恥ずかしそうに、耳を真っ赤に染めて。
「嘘ついちゃいけないゲームですよね?」
「あ、うん……」
「じゃあ先輩の言葉も、嘘じゃなかったってことですよね」
顔を上げた彼女と目が合う、潤んだ瞳でコクコクと小さく頷く。
「僕も同じです、好きです。付き合って、くれませんか?」
まだアルコールが残っているのか、顔が異常に赤かった。
桜色の頬がくしゃりと歪み、唇が微かに揺れた。
その笑顔はとても愛らしく、昨日見た満開の花より何倍も綺麗だと思った。
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