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観覧車を降りてから広場に戻る途中で、睦は不意に立ち止まった。なだらかな幅広の階段が続いた向こうに、ライトアップされた噴水が見える。
「涼しそうだな。あそこで歌うか」
噴水の手前で腰を下ろした睦は、刻々と形を変える水と照明をしばらくじっと見つめていた。彼の横顔が七色に照らされている。少し寂しげではあるが、つい目で追ってしまうくらい綺麗だった。
私がカメラを構えていることに気づいて、睦はこちらを向いて微笑んだ。夜空を仰いでから目を閉じて、静かに歌い始めた。さっき事務所でいちばん初めに聞いた曲だ。CDとは違う生の歌声に魅了されて、私は録画していることも忘れて彼の歌に聞き入っていた。
「ちゃんと撮ってるか。見惚れてんなよ」
彼の地声が聞こえてきて、慌てて画面をチェックする。からかうように覗き込む睦の顔が大写しになる。すぐにくしゃっとした笑顔に変わり、そのまま次の歌に繋げていく。
見た目だけじゃなく、本当に才能やオーラが溢れている人っているんだな。この役を任せるのに彼を知らないのが条件だったのは、盲目的なファン目線じゃなくて、自分の作品をフェアに評価して、ちゃんと関わって欲しかったからかもしれないと思った。
歌が終わりに近づいていた。
睦が画面越しに話しかけるように歌っている。
「…愛してる」
初めて目にする男性の色気に当てられて、ドキッと心臓が跳ねた。いやいや、本気にしてどうする。
そういう歌詞 だよね…
「もうちょっときゅんと来てくれてもよくない?」
わざとにやにや笑う彼に、鼻の頭にシワを寄せていーっとして見せる。彼の手が伸びてきて私の頭をぽんと軽く叩いた。
「子どもか」
そう言ってまた笑う。
子どもだよ
どんなに背伸びしたって
大人には敵わない
睦が触れた前髪を、意味もなくいじって直すふりをする。ほら、子どもを手玉に取るなんて簡単だもの。
睦がジュースを買いに行ってくれたので、その間にお手洗いに行った。洗面所で鏡の中の自分と向き合った。
今日はずっと楽しそうだね
そう言ってあげたいくらい、自分の表情がいつになく輝いて見えた。
恋人の設定だけじゃなく、今夜の二人の距離はとても近くにあった。どこまで踏み込んでいいのかわからなかったけど、私は彼が拒まないことにすっかり心を許していて、今なら甘えても平気だと思っていた。
誰かにそんなことを感じたのは初めてだ。
どうせ今日だけなら せめて…
この気持ちが役に立つなら、睦のために出来るだけのことをしよう。私はまだ17だけど、子どもには子どもの意地がある。
思い出してポシェットから口紅を取り出した。聡美さんのアドバイス通りにゆっくり唇をなぞると、薄くベールを纏うようにベビーピンクの魔法がかけられた。
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