8人が本棚に入れています
本棚に追加
数年間ログインしていなかったSNSをなんとなく開いてみたら、その文字が目に飛び込んできた。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
“今朝夢にひまわりさんが出てきて”
“久しぶりにあえて”
“夢だとわかっていたけどさめてほしくなくて”
“交わした言葉をメモしている”
アカウント名:ハナミズキ(鍵)
記憶が、ゆっくりとよみがえってくる。
ハナミズキさんとひまわりさんは夫婦だ。
たぶん、オフ会で一度だけ見かけたことがある。
二人はSNS経由で、オタク趣味のオフ会で知り合ったと言っていたはず。
奥さんのハナミズキさんはびっくりするくらい可愛くて、ひまわりさんはすらりとした色白の美青年だった。
外見を知らないまま知り合ったはずなのに、あれほどの美男美女が巡り合って結ばれるなんて、確率的にすごいな、運命ってあるんだな、と思った。
そのオフ会は大規模で、私は二人と話したかどうかも覚えていない。遠目に見ただけのような気もする。
ただ、オフ会前後に参加者をまとめてフォローしたときに相互になっていた。
私は少し用心深いので、異性であるひまわりさんはフォローしなかった。ひまわりさんからもフォローはされていなかった。相互になったのはハナミズキさんだけ。
オタクあるあるなんだけど、ジャンル移動、趣味の移り変わり、生活スタイルの変化で、オフ会するほどのめり込んだ「何か」とはいつの間にか疎遠になるのは普通に起こり得る。
同時に、そのとき曖昧につながっていた人たちとも、なんとなく途絶えてしまう。
だけどSNSではフォローを外す機会を逃していて、相手も別にこちらのフォローを外さなくて、おそらくもう二度と会うこともなければリプを送り合うこともないのに、互いがフォロー・フォロワー1にカウントされる関係がある。
私とハナミズキさんは、言ってみればそういう間柄なのだ。
数年経っても覚えていたのは、本人がものすごく可愛かったこと、旦那さんが恐ろしくお似合いのイケメンだったのが視覚的に衝撃的だったこと。
さらに言えば、フォローしてから私がアカウントにログインしなくなるまで数年眺めていた彼らの生活が、非の打ち所なく甘々のイチャラブで、順調に結婚して周囲に祝福されていて、子どもを授かって二人らしく可愛がっていたのが印象に残っていたからだろう。
子どもが初めて喋ったとか、一緒にどこに行ったとか、どんな離乳食を作っているかとか。
ハナミズキさんは少しポンコツ気味で抜けているところがあって、年上のひまわりさんが万事フォローしているらしかった。
朝、仕事に出るまでに保育園の準備が終わらないで、いつも全部ひまわりさんに任せてしまうハナミズキさん。
保育園の書類が苦手で、やっぱり全部ひまわりさんに書いてもらうハナミズキさん。
料理が趣味だから、二人で飲むのが好きだからと、晩酌の準備をしてくれるのもひまわりさんで「子どもが寝てから二人でのんびり飲みました」とハナミズキさんが美味しそうな料理とお酒の写真をアップしている。
そこはいつも温かな光に包まれていて、SNS用の外向きの投稿だとしても、私は見るのが好きだった。
あの美男美女がですよ。
互いを知らないまま知り合って、結婚して、少子化の現代で無事に子どもを生み育てていて、さらには子持ちになってからも楽しく二人で飲んでいるだなんて。
まるで少女まんがみたいに綺麗で尊い世界だから。
とは言っても、私は二人の生活に興味津々の熱狂的ファンかというと、そういうわけでもない。
彼らは時折私の視界に流れてくる幸せな生活のひとつであり、友人でも知人でもなくリプを飛ばすこともない私はちらっと見て「今日も仲が良いな」と思う、そのくらいの位置づけなのだった。
だから、そのSNSにログインしなくなって数年見かけなくなっても、別段気にもとめなかった。
二人は二十代でまだ十分若く、子どもも小さくて、きっとその生活はこの先何十年も続いていくのだろうな、と当たり前に思っていたから。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
数年ぶりに見たハナミズキさんのアカウントは。
アイコンもバナーもアカウント名もそのままなのに、フォロワー限定公開の鍵がかかっていて。
いつも死にたがっていた。
何日も何日もスクロールしても、ずっと「おはよう」と「死にたい」を繰り返していた。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
ハナミズキさんの生活から、ひまわりさんが忽然と消えていた。
* * *
最初のコメントを投稿しよう!