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「うるさい、あっちに行け」
優しさが気に障る。ほっといてほしいというよりも、全てが憎いからこそ、自分に近付かないでほしかった。
それでも猫は、声を大きく上げてまた鳴く。
「あっちに行け、お前も嫌いだ!」
猫を睨んで、パウは泣き続ける。
そう、全てが嫌いだ。なんだその鳴き声は。慰めようとしているつもりか。こんなにも苦しいのに、何もわからないくせに。馬鹿にしているのか。
だが猫はまた鳴いた。パウの足に纏わりつく。
「やめろって」
軽く足でぐいと押して、猫を離す。それでも黒猫は諦めずに一鳴きして、前足を一歩出したものだから。
「やめろって!」
喉が裂けんばかりの怒号。怒りに固く瞑った目から涙が飛び散った。自身の爪が食い込むほどに、手に力が入る。
同時に、肉に何かが突き刺さる音がした。
はっとしてパウが目を開けると、猫は足元にはいなかった。少し離れた場所に横たわっている。がくがくと震えるその身体に突き刺さっていたのは、歪な水晶。溢れ出て地面を染めるのは、深紅の血。
自分がやった。
刹那の戸惑いの後、パウは気付いた。
「あ……あ……!」
立ち上がるものの、その足は震えてしまっていた。
黒猫に近付いて見下ろすものの、手を伸ばすことはできなかった。黒い毛皮に突き刺さった水晶がひとりでに消えれば、溢れ出る命の赤色はさらに増し、パウのつま先まで広がった。
どうしたらいいのかわからない、という以前に、何も考えられなかった。ただ血の海が広がっていく。その深紅に思考が染まっていく。
――物音がして、現実に引き戻された。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま振り返れば、見慣れない青年が木々の間に立っていた。
大人というには、まだ若いような気がした。銀に見える、長い灰色の髪。向かって左側に三つ編みが見えた。黒に近い紺色の瞳は静かにこちらを見据えていて、ゆっくり歩いて来れば白い衣が花弁のように揺れた。
「ち、違う、俺は……」
とっさにパウは。
「俺は殺そうとしてない! 俺は、ただ……」
――猫を殺したと、思われたくなかった。
殺そうと思ってやったわけではないのだ。
怒られるのが怖かった。
「お、俺は……」
震えながらパウは否定しようとするものの、猫を傷つけたことは事実であるため、それ以上声がでなかった。
突然現れた彼は、何も言わずにパウを見下ろしていた。
「猫を、助けて……」
果てにパウは助けを求めた。
猫を死なせたくはなかった。これは間違いだった。
けれども。
「それはもうできない」
青年は淡々と答える。
「あの猫は、もう助からないよ……できることは、苦しみを長引かせないこと、それだけだよ」
その言葉の意味を、幼いパウは理解して凍りついた。青年は猫の前にしゃがみ込む。その背に隠れてしまって、猫が見えなくなった。しかしパウは、魔法の光を見た。
青年が立ち上がる。
血溜まりの中に、もう動かなくなった黒猫が一匹。
「終わったよ」
青年は振り返れば、少し残念そうに微笑んでいた。ひらりと手を振るも、パウは小さく悲鳴を上げた。
「ああ、ごめんね、驚かせてしまったね」
とっさに青年は血に濡れた手を引っ込めた。
けれどもパウは、血に怯えたわけではなかった。
この人に猫を殺させてしまった。
自分が悪いのに、手を汚させてしまった――。
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