第五章 神亡き闇にて

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 彼は一歩前に出る。思わずパウは身を引いたが、磔にされているいま、動くことはできなかった。  床から少し浮いた高さで磔にされている中、見据えればベラーと目が合う。 「蝿化グレゴにはまだ価値がある。だから回収しているのだよ」  それは先程も言っていた。以前出会った『遠き日の霜』の魔術師スキュティアも同じことを言っていた。 「けれどもそれは、不老不死のため、劣等な存在と愚かな者達を滅ぼすためだけではない――完全なる存在へ至る道が、あの醜い蠅にあるかもしれないからだよ」  完全なる存在。  一体何であるか、パウにはわからなかった。それを感じ取ったのか、ベラーはあたかも、かつて魔法の教えを説いた時のように続ける。 「我々『遠き日の霜』が真に目指すもの。それは完全なる存在に近付くこと……『神』へ近付くことなんだよ、パウ」  神――神?  戸惑うしかなかった。神。この世界を創り、去ってしまったといわれる存在。 「完全なる存在への進化の一歩として、我々はまず、不老不死の研究していた……しかしあの巨大な蠅は、驚くような進化を私達に見せてくれた」  パウ、お前はもう知っているのかもしれないね、とベラーは首を傾げる。 「蝿化グレゴは、同じく蠅化グレゴを喰らうことで、新たな姿となり、力を得る……しかも不死を維持したまま。不老であるかはわからないけれどもね。しかしあれは……姿と知能はさておき、我々の望んだ進化の道を得ているのだよ」  パウは何も言わずに彼を睨んでいた。  なるほど、話が見えてきた。だから彼らは世界に散ってしまった蠅化グレゴを集めているのだ。  そして蠅化グレゴが共食いすることによって進化することも、すでに気付いていたらしい。 「ああ……あの事故さえ起きなければ、ね。あの事故で失われたものは多い……蝿化グレゴを再び作り出そうにも、あの時に資料が失われてしまってね。だから利用できるものは利用して回収している、というわけだよ。完全なる存在への進化のために。神と呼ばれる存在になるために」  『遠き日の霜』の目的の一つに、自分達以外の人間の排除もあった。  つまりそれは、支配者になるという意味もあるが、新しい世界を創る、という意味もあるのかもしれない。神は世界を創ったのだから。  拘束された中、かろうじで動かせる手に力が入る。  こいつらは、狂っている。 「……パウ。君は、自分に備わった魔力は、何のためにあると思う?」  唐突に話題が変わる。しかしパウは睨むことを止めず怒鳴った。 「魔法は人々のための力です! 誰かを助けるための力だ! 師匠は間違ってる!」 「私達にあるのは、選ばれた人間である証の力だよ」  涼しい顔をして、ベラーは返す。 「私達は一歩進化した人間。非魔術師達よりも優れた人間なのだよ……選ばれた私達は、更なる進化をしなくてはいけない。そうであるのに、何故、平和のためという理由で、劣る者達に尽くさなくてはいけないんだい?」  静かに燃える意志を孕んだ声は、凛と響く。 「ここは、神なき世界。一歩優れた私達が、この世界の主となるべきなんだ。古き時代を捨ててね……魔法は、神の遺したものだと言う者もいる。神なき世界で奇跡を起こし人々を助ける術だと……それならばなおさら、私達はその使命を捨てなくてはいけない。存在していない古き時代の神を捨てるために。新たな主となり新世界を創るために……!」  だからパウ、と、ベラーの片手が頬に伸びてきた。細い指は冷たく、けれども血は通っていた。 「――私と一緒に、もう一度道を歩んでくれないか? 君は、私達の崇高な目的の鍵となる。現に君は、グレゴの進化に続く鍵穴と見つけ出し、鍵までも作り出した。君は未来への扉を開いてくれた。だから、もう一度……」
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